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- - - 第16章 王冠を戴く者5
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アイザックの行方が知れぬまま、ラドリアは新たな王の即位へと向けて、着実に動きつつあった。

最後まで残っていた抵抗勢力を何とか抑え、それぞれの思惑を抱えながらも、セイルファウスの即位はもはや決定事項となった。
セイルファウスは閉じ込められていた自室を出て、既に王の代理として、流行病の対策を推し進めている。
医療チームが結成され、街中にいくつもの救護所を作り、そこに重い病状のものを入院させ、手厚い看護が受けられるように体制は整いつつあった。また、街中に放置されていた病人の死体も、墓所へと丁重に葬られるように命が下された。
食料不足を補うために、病の被害の少ない地方の貴族達から食料も供給させた。
死につつあったラドリアは、セイルファウスの賢明な政策のおかげで、徐々に命を吹き返しつつあった。

そんなセイルファウスが国王となることを、国民は諸手を挙げて歓迎した。
即位の公布が出された城下は、お祭り騒ぎのようで、何十年かぶりで活気が戻ったと、年老いた家臣達は涙さえ見せたほどだった。

レインはセイルファウスの護衛役として、常にその側にあった。
レインの死神、ラドリア最強の呼び名は、セイルファウスに最後まで反抗しようとした者への、強い牽制になったことは間違いない。

「レイルアース、見てくれ、やっとこれで全ての領地に救護所ができた」

先程家臣の一人が持ってきた報告書を、セイルファウスは嬉しそうに指し示す。そんな長兄の様子に、レインは少しだけ目を細めた。

レインは気付いていた。
イオもきっと気付いていただろう。

―――――また、笑えなくなっている、自分に。

ノイディエンスタークにいた頃は、意識しなくても自然と笑いが漏れたのだ。
それが、ラドリアへ戻ってから、レインはまた笑うことができなくなっていた。
時折目を細める、それが精一杯になっていた。

「流行病もようやく終息へ向かいつつある……後は病で死んだ者の遺族に対する保障と、商業や農業の復興を考えなくてはな」
「……そうですね」
「……?どうした?」
「いえ……兄上は本当に政治の才がおありになると思いまして」

それは本当だ。
セイルファウスは自由に動けるようになると同時に、次々と新しい政策を打ち出し、その全てを成功させた。
国王としてこれ以上の人材はいないのではないかと思うほどに、それは迅速だった。
それに比べると、やはり自分は軍人でしかないのだと、レインは思い知らされる。それが嫌なわけでは決してなかったのだが。

「政治の才か……私には考える時間が多すぎたからな」
「……兄上?」
「いつもいつも考えていたよ。この自由に歩くことすらできない王宮で。いつ寝首をかかれるかわからない恐怖の中で。どうしてこの国がこんな風になってしまったのか、どうしたらこの国を平和な国にすることができるのか、と」

皇太子であるが故の孤独。
レインのように戦場に出ることも、離宮へ移ることも許されない生活の中、セイルファウスはただひたすらにそれを考えるしかなかったのだろうか。
兄の苦労を思って、レインの眉間に皺が寄った。

「レイルアース、聞かせてくれるか?」
「……?」
「正直に、言ってくれるか?」
「……何をです?」
「私は……―――――本当に王にふさわしい器だと、思うか?」

セイルファウスは、真剣な眼差しをレインへと向けた。
その言葉に、レインは驚いたように目を見開き、そしてゆっくりと伏せ、また兄へとその視線を返した。

「―――――そう、思います」

その言葉に、まるで少年のように、セイルファウスは笑った。


* * * * *


「これは?」
「昼に届きました。……いえ、届いたというより、運ばれてきた、と言った方がいいかもしれませんが」

夜になり、セイルファウスの元を辞して、レインは王宮内にある自室へと戻った。
そこに待っていたイオから、一通の手紙を差し出されたのだ。

「窓辺に、薄い緑の見たこともない鳥がいまして」
「……ノイディエンスタークからか」
「おそらくは。手紙を受け取ると同時に消える鳥などを使って手紙を届けさせる知り合いに、他に心当たりは?」
「……ないな」

イオの笑いを含んだ言葉に、レインも目を細める。
そして迷うことなく、近くにあったペーパーナイフで封を開いた。

文面にはたった一言だけが記されていた。





『湖にて待つ 絶対来ないとシバく』





(―――――誰が書いたのか一目瞭然だな)

笑うのを忘れていた、というのは嘘だとレインは思いつつ、口元を押さえて笑いを堪えた。
そんなレインの様子に目を丸くしながら、文面を横から覗き込んだイオも、思わず吹き出しそうになったのだろう、必死で口を押さえる。

「……こ、これはまた直球な……」
「これほどわかりやすい手紙もないな、あいつ以外、こんなこと書かないだろう」

行かないわけにはいくまい。
彼女にシバかれるのは、絶対に遠慮したい。命が幾つあっても足りないではないか。

「行かれるのでしょう?」
「当たり前だ。お前、フィールにひどい目にあいたいのか?」
「いいえ、それは避けたいですね」

イオは心底おかしそうに笑う。ラドリアに戻ってきてから、ずっと浮かない顔をしていた副官の表情に、レインは内心ほっとしていた。

椅子に置いてあったマントをさっと羽織り、レインは立ち上がった。
セイルファウスに一言告げてからにしようかと一瞬考えたが、実質的には既に、ラドリアの国王になっていると言ってもいいセイルファウスに、他国であるノイディエンスタークの巫女姫が国内にいると告げるのはためらわれた。
そんなレインの心を察したのだろう。イオは苦笑いをしながら、こう進言した。

「報告はしなくてもよろしいと思いますが?」
「……そうだろうか」
「レイン様は、これから、大切な知り合いにお会いするだけですから」

イオの言いたいことを悟って、レインもまた苦笑する。
王子と姫が会うのではなく、単なる知り合い同士が顔を合わせるだけなのだと、彼は暗にそう言っているのだ。
単なる知り合いというにはどうにも無理があるような気がしなくもないが、この際だ、そういうことにしておこう。

レインは無言で頷くと、そのまま部屋を後にした。
イオは当然のように、それに続いた。


* * * * *


「―――――遅い」
「……」

湖のほとりに、その人物は静かに立っていた。
人目を気にしたのか、茶色の髪に青い瞳の、傭兵時代と同じ色を纏って。

「私が精霊を送ったのは昼よ、昼!今何時だと思ってるのよ」
「待ち合わせの時間は書いてなかったように思うが?」
「そういうの、屁理屈っていうのよ?レイン」
「そういうお前の言い草こそ、その言葉にふさわしいんじゃないのか?」
「……アンタ、喧嘩売ってんの!?この私に!」
「そう聞こえたなら、悪かったな」

たわいない言い合いに、フィアルは苦虫をつぶしたような顔で、隣に立っていたイオに噛み付いた。

「イオ!レイン、性格が悪くなってる!」
「……そう言われましても」
「無口で無愛想だけがとりえだったのに、既にもうラドリアの毒に染まってるんじゃないの!?」
「毒って……」

相変わらず言動がめちゃくちゃだな、とレインは苦笑した。
でもその心はどこかほんのりと暖かさを感じていた。
ラドリアは―――――自分の生まれ育った国なのに。
彼女のいる、かの国の方が―――――落ち着くなんて。

「大体お前、一人で来たのか?アゼル殿がよく許したな」
「まぁね、ちょっとヤボ用があったもんだから」
「ラドリアに?」
「……ラドリアのうーんとうーんとはずれに用事があったのよ」
「?」
「まぁそこら辺は気にしないで」

適当にごまかしているかのように、その話題から離れようとするフィアルを不信に思いながらも、レインはとりあえず頷いた。
そして彼女がわざわざ自分を呼び出した理由を聞いてみる。

「……で?」
「……へ?」
「だから、お前が俺をここに呼び出したのは何でだ?」
「いや、たまたま通ったから、どうしてるかなと思って」
「……それだけか?」
「……それだけだけど?」

絶対嘘だ、とレインは何故か強くそう思った。
大体たまたま通りかかるなんてことが、あるわけはない。そのヤボ用もラドリアのはずれだと言ったばかりじゃないか。わざわざ王都の近くを通って帰るなんてことを、この聡い娘がするとはとても思えなかった。

「もしもーし、眉間に皺が寄ってるんですけど?」
「お前のせいだろう」
「なんでよ」
「……」
「……姫君、あんまりレイン様で遊ばないでください」

笑いながら抗議しても、イオの言葉に説得力は欠片もない。

「やさしーい、やさしーいこのフィールさんは、根暗で、思考がどん底までマイナスで、しかも無口で無愛想で、顔つきが柔和じゃない王子様が、ラドリアに戻ってますますネガティブになっているんじゃないかと、心配だったわけよ、うん」
「……お前……そこまで言うか」
「何か間違いが?」
「……顔つきは俺のせいじゃない」
「レインのせいよ、雰囲気で人間の印象って変わるものなんだから」
「……」

悪かったな、とレインは顔を歪めたが、心の底から不快に思っているわけではなかった。
フィールのこの言葉は半分遊びだ。アゼルとの間で交わされるものと同じなのだ。
そう思っていると、フィアルは不意に手を伸ばして、レインの頬に触れた。二人にはかなりの身長差がある。そのため、自然とフィアルはつま先立ちになった。

「ほら、こんなに顔の筋肉が強張ってるじゃない」
「……男なんだから、お前みたいに柔らかいわけないだろう」
「何かザリザリするし」
「……男だからヒゲがあるのは当たり前だ」
「ま、それもそうね」

フィアルはさほどそのことには興味がなさそうに、レインから手を離した。

「結局お前、何しに来たんだ?」
「まぁぶっちゃけて言えば……ご機嫌伺いって感じ?」
「……暇人だな」
「そうでもないわよ?そろそろ、動くと思うから」

フィアルはそう言うと、茶色の髪をふわりとなびかせながら、湖へと視線を移した。

「……動く?」
「そう、このラドリアでね」
「……何をする?」
「キールを迎えに行かなくちゃ。レインと同じで、無表情なくせに寂しがり屋だし」
「……居場所がわかったのか」
「ヴィーがほぼ目星をつけたから」

フィアルは胸元で揺れていた水晶の花へと手を伸ばし、ゆっくりと握り締めた。
フィアルとキールが、13諸侯の中でも特に親しかったのは知っている。

「心配か?フィール」
「……心配?……そうね、ある意味では、心配ね」
「?」
「キールが殺されることはきっとないってわかっているけど、でもひどい目にあっていないとは、言えないから」
「実の兄、なのに……か」
「兄弟だからって、無条件に仲がいいわけじゃないでしょう?」

それもそうだ、とレインは苦笑した。
ついこの間、半分とはいえ、血の繋がった実の兄の手足を切り落としたのは、他でもない自分だというのに。
血の繋がりが無条件に愛しさを伴うものではないことは、イヤというほど知っている。
レインは無意識の内に、腰の雷神を握り締めた。

「―――――レイン」

急に真剣味を帯びた声に、ふと顔をあげると、フィアルは真っ直ぐにただレインを見つめていた。

「約束、忘れないでね」
「……約束?」
「帰ってくるって、約束してね。レインがこの先何を知っても、見ても、かまわないから」
「……フィール?」

戸惑ったように視線を揺らしたレインに、フィアルは小さく微笑み返した。

「自分で知らなくちゃ意味のないこともあるから」
「……何のことだ?」
「すぐに、わかるわ」

意味ありげな視線をフィアルはレインではなく、隣のイオへと向けた。突然見つめられて、イオはひどく戸惑ったように視線を彷徨わせる。それに少し笑って、フィアルは目の前に広がる湖へと視線を動かした。

「……綺麗」
「……?」
「綺麗なままでいたいなんて、私は思わないけど」

湖面に映るのは、空に浮かぶ二つの月。
セイルファウスが救護所を作るまでは、その美しい湖面には、腐敗した死体が浮いていた。

「フィール」

同じように、今はただ静かな湖面を見つめて、レインは彼女の名を呼んだ。
フィアルが自分を振り返るのを目の端に映しながら、その視線は湖から動くことはなかった。

「兄上が……ラドリアの王になる」
「……それで?」
「それは正しい道だと、俺は思う」
「……どうして、そう思うの?」
「兄上なら、きっとこの国を……もう二度と悲劇の起こることのない国に、してくれる」

レインはゆっくりと、自分を見つめる姫君と視線を合わせた。
二人は無言だった。
時折吹く風には、まだ少しだけ血が香っている。

「何が正しくて、何が間違っているのかなんて……誰にもわからないのよ」
「……」
「自分が正しいと信じた道が、万人にとって正しいかなんて、わからない。だから正しさを論じることに、意味なんてないわ」

フィアルがそっと視線を伏せると、その長い睫が彼女の顔に影を作った。

「―――――だから人は、自分が信じたひとりよがりの道を進むことしか、できないのよ」

どうして彼女の言葉は、こんなにも重く心に響くのだろう。
風にあおられて、湖面の月が波状に揺れるのを、そのまま3人は言葉もなく見つめていた。