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- - - 第17章 兄と弟1
[ 第16章 王冠を戴く者7 | CloverTop | 第17章 兄と弟2 ]

@注意@
今章には残酷な描写を含みます。現実と仮想の区別がつかない方は読まずにスルーして下さい。



* * * * *


「久しぶりだな」
「……ほう、これは懐かしい顔だな」

暗闇の中でも、その男がにやりと笑ったのがわかった。
それにはどこか、侮蔑の感情が混じっていて、ディシスは顔を歪めた。

ファングに伝えたいことは伝えた今、ディシスがラドリアにいる意味はない。
一刻も早くノイディエンスタークへ、娘の元へと戻りたかった。
魔竜を召喚したであろう彼女が、あの国の中でどんな立場に立たされるのかは火を見るより明らかなことだ。

―――――それでも今なお、ディシスがこの地に留まったのは、ひとえに目の前の男に問いただしたいことがあったからに他ならない。

厚手のローブを頭からすっぽりと被ったその男は、かつてはノイディエンスタークの神殿に仕えていた神官だった。

「お前の居場所は既にノイディエンスタークに知れているぞ、ジョルド・クロウラ」
「そんなことは、百も承知だ……」

ジークフリートがまだ健在だった頃、ディシスはこの男と、神殿で、時には王宮で、何度も顔を合わせていた。
若く血気盛んだったディシスにとって、ジョルド・クロウラというこの男は、平凡な特にめだつことのない神官という認識しかなかった。その男が、まさかあの内乱を画策していたなどと、当時の近衛隊の誰もが気付くことはなかっただろう。

「ディシス・シュトラウス・メテオヴィースか……最年少で近衛隊長に選ばれた類まれなる剣士。だが……その腕を以ってしても、大神官を守ることはできなかったというわけだ」
「……お前がそれを言うのか。あの内乱を起こしたのは、お前だろう」
「違うな、そうではない。あれは必然だった。たまたま行動に移したのが私だっただけのこと」

ジョルドは目の前の元近衛騎士から視線をはずし、小さく灯されたテーブルの上のランプに触れた。
ちらりと見えるその顔は、醜く歪んでいる。

「腐っていたのだ―――――元からあの国はな」
「よくもそんな口が利けたものだな……!」
「一番腐っていたのは、あの国の大地だ。あの大神官家に守られなければ存在し得ない土地など、この世界には必要ない」
「貴様……ジークフリート様を愚弄するのか」

尊敬し、忠誠を誓った唯一の人を貶める言葉に、ディシスは反応した。
しかしそんなディシスに、ひしゃげた顔の奥、いやに眼光だけは鋭いその男は、馬鹿にしたような笑みを向けた。

「ジークフリート……そう、あの男がいなければよかった」
「……なに?」
「あの男は善人面をして、一体何をした?お前は知っていよう?」
「ジークフリート様が何をしたというんだ!」
「あの男は、生きながらユリーニを殺したではないか」

―――――予想もしない人間の名前が、目の前の男から発せられたことに、ディシスは凍りついた。





今……この男はなんと言った?
ユリーニと―――――そう言わなかったか?





「お前……」
「ユリーニは殺されたのだ。あの男と、あの男の子供にな」
「……違う。ユリーニ様は、病死だ」
「誰がそれを信じる?誰もが知っていることだ。ユリーニはあの娘と神竜を生まされて、殺された」
「それは……!」
「人が竜を生む。神にも等しい竜王を生む。そのことがどれだけユリーニの身体の負担になるか、分からぬ者などいるものか。それでもお前達はあの娘の誕生を喜んだ。その影で死んでいった哀れな彼女のことなど忘れてな」

ジョルドの言葉の端々に、ジークフリートへの、そして大神官家への憎悪が垣間見え、ディシスは愕然とした。

基本的に、ノイディエンスタークに生を受けた者が、大神官家を憎むということはありえない。
羨み、妬み、そういった感情ならともかく、憎むなどということは。
それは、誰もが知っているからだ。
ノイディエンスタークという国そのものが、大神官なくして存在し得ない国だということを。

そう、誰もが幼い頃から本能的に知っている。
大神官家は―――――特別なのだと。

それを例え、大神官家に生まれた者が望んでいなかったとしても―――――。

「お前は……誰だ」
「……私の両親は代々空のエリオス侯爵家に仕えていた」
「……それでユリーニ様とも面識があったというのか」
「そうだ。幼い頃からまるで妹のように可愛がってきた、大切な娘だった」

くるくると変わる表情も、その大きな空色の瞳も、柔らかに波打つ明るい茶色の髪も、愛しいものでしかなかった。
幸せになって欲しいと、心の底から思っていた。
侯家の娘だ、いずれ何処か他の侯家の元へと嫁ぎ、子を産んで幸せになるとそう信じていた。

「……まさか、大神官家へ嫁ぐなどとは、考えたこともなかった」
「……あれは……」

この男は、知っているのだろうか。
ユリーニがどれほどジークフリートを愛していたのかを。
そう……確かにユリーニはジークフリートを愛していたのだ。
どちらかと言えば二人の結婚に乗り気でなかったのは、ジークフリートの方だったのだから。

ずっと近くで見ていたディシスは知っている。
リュークとフィアルのような、決して激しいものではなかったにせよ、確かにジークフリートとユリーニは穏やかな愛情で結ばれていたのだ。

「ユリーニ様は、決して不幸ではなかった」
「何故そう言える?ユリーニは実際にあの娘を産んで死んだ」

苦々しくジョルドは言い捨てる。
それは事実だ……けれど。

「神と呼ばれる竜、光と呼ばれる姫。聖なる存在……?人はあの一対を確かにそう呼ぶのだろう。……だが、それは間違いだ。あの一対は所詮『力』でしかない。強大で、誰もが逆らうことのできない、絶対の『力』なのだ」
「……」
「聖なる存在などではない、決して」
「そんなことは、知っている」
「あの日、あの娘は自分の持てる光の力を暴走させた。その力がこの顔を焼いた。あの娘にとって近しかった者の最期を、あんな形で見てしまったのだから、それは道理かもしれんがな」
「最期……?」

ジークフリートに託され、脱出をしようとしていたディシスの手を振り切り、あの日フィアルは一人神殿へと戻っていった。
最愛の父親を失うことを、もしかしたらあの小さな娘は本能的に知っていたのかもしれない。
彼女を見失ったディシスが次に彼女を見つけた時、フィアルはまるで抜け殻のようになっていたのだ。
瓦礫の中央で、何も見えず、何も感じていないかのように、ただ目を見開いたまま。

その光の力を、暴走させて―――――。





―――――何を見た?
―――――あの日、お前は何を知ってしまった?





それを、フィアルは未だにディシスに語ってはくれなかった。

「あの娘はそのことを、今もお前達には語っていないようだな」
「……何故」
「語っていれば、私が生きているはずもない。あっという間に憎しみという名の紅蓮の炎で焼かれていただろう」
「……何?」
「アゼルといったか……神官長の息子は」

何故ここでアゼルの名が出てくるのか、ディシスにはわからなかった。
しかしジョルドは、ククク……と楽しげに笑っている。

「私達が殺したのだ」
「……お前……」
「私達が、あの娘の目の前で神官長を―――――ユーノスを殺したのだ」

生まれた時から、半分幽閉状態だったフィアルにとって、父である大神官と、その親友だった神官長は世界の全てだったはずだ。
「……お前が……ユーノスを?」
「そうだ。最期まで親友を守ろうとしていた、あの愚かな男は、我等がこの手で殺した」
「たかが神官に、ユーノスがやられるはずは……!」

仮にも彼は炎の最強魔導の使い手だ。
侯家の力を持たない者にやられるほど、弱い男ではない。

「奴には最強魔導を使えない理由があったのだよ」
「使えない?」
「我々の手には、人質がいたのだからな」

―――――人質。

「お前達……まさか」
「いい時に飛び込んできてくれたものだ、あの娘はな。さすがの神官長も光の姫を人質に取られたのでは、何もできまい?どんなにあの娘が攻撃しろと叫んでも、ユーノスは決して我等に攻撃をしてこなかった」





―――――ああ。
―――――あの時、自分が……一瞬でも目を離さなければ。
―――――フィアルの心に、深い傷を負わせずに済んだかもしれないのに。





ディシスは自分の愚かさを、心底呪った。

フィアルのせいではない。
あの小さな娘が、もう二度と父親に会えないとわかってしまったら、イヤだと泣き叫び、父親の元へ戻ろうとするのは、自然なことだ。
そして―――――あの目立つ外見だ、すぐに神官達に捕らえられてしまったのだろう。





(―――――フィーナ)
(……オレは……お前に)
(残酷なその事実を、一体いくつ背負わせたら、よかったのだろう)





フィアルはきっと……ずっと、見させられていた。
ユーノスが、自分のために反撃もできず、ただただなぶり殺されるその様を。
小さな娘は、自分を責めただろう。自分のせいで、ユーノスは死んだのだと……今もきっと責め続けているのだろう。

「ユーノスが死んだ時、あの娘は泣き叫んだ。あの娘を拘束していたのは、私だ」
「……貴様……」
「しかしあの時、私を除く他の神官達は、ほとんど正気を失っていたからな。ククク……なかなかに面白いことをしでかしてくれたのだよ。そのせいで私の顔はこのありさまだ」

ジョルドの皺の寄った手が、自らの顔を撫でる。
その動作は緩慢で、そしてひどく、醜いとディシスは思った。

「何を……した」
「……知りたいか?」
「お前達は、ユーノスを殺す以上のことを、フィーナにしたのか!」
「あの娘にはしておらぬよ。奴らがしたのは、息絶えたユーノスに対してだ」





―――――やめてくれ。
―――――もうこれ以上、オレの娘の心を壊さないでくれ。





ジョルドの次の言葉は、ディシスを打ちのめすものでしかなかった。





「奴等は―――――食らったのだ」
「神官長の、死肉をな」
「その肉を食らうことで、自分達が、その炎の力を少しでも得られると、思ったのだろう」





その光景を―――――フィアルが見たのだとしたら。





(「人間は―――――嫌い」)
(「人間は……愚かで、醜い生き物」)





(「私―――――竜になりたい」)
(「あの子と同じ存在になりたい」)
(「人間はイヤ」)
(「―――――人間は、裏切る」)
(「人間でいるくらいなら……私は化け物になりたい―――――魔物になりたい」)






(「『人』ではない―――――生き物になりたい」)