Clover
- - - 第17章 兄と弟2
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その衝撃は、ディシスから言葉を奪った。

どうしてなのだろう。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。

フィアルはあの日のことを、ディシスにすら語らなかった。
……違う、語れなかったのだ。
語れるはずがない、抜け殻になってしまうのも、当たり前だ。
ユーノスはフィアルにとって、父親と同じ位に大切な存在だったはずなのだから。

「その光景は私でも嫌悪を覚えるようなものだったぞ?幼い娘には、あまりにも衝撃が大きかったのだろうな。泣くことも忘れ、全ての感情を凍らせてしまったかのように、呆然としていた」
「……」
「それが動いたのは、奴等が愚かにも、あの娘にまで手を伸ばしたからだ」

ユーノスを食らい、血に濡れたその手で、その口で。ぬらりと赤く光る、その舌で。
彼よりももっと高位の存在、神竜と魂を分け合った、この地上で最も神に近い者。
その身体を―――――食らうため。

「奴等の手が、娘の身体に触れようとした瞬間だった……あの光が発動したのは」





―――――フィアルは、耐え切れないほどの感情に飲まれたのだ。





恐怖、嫌悪、悲哀、憎悪、畏怖。
どれだけの感情が、彼女の小さな身体の中で爆発したのだろう?

それはあまりにも大きすぎる、光の奔流。
小さな身体から放たれたその光は、その広間の全てをなぎ払い、焼き払った。
ユーノスを食らった者達は、一瞬でその光にのまれ、塵すら残らなかった。

「私は顔を焼かれたが、後ろからあの娘を羽交い絞めにしていたおかげで、遥か彼方に吹き飛ばされて助かった。それでも部屋の遥か彼方、王宮の外にまで吹き飛ばされたがな」
「……」
「私はその時に悟ったのだ。光の力は決して聖なる力ではない、奇跡の力でもない。あれは、恐ろしい……恐ろしすぎる、力なのだ。決して崇めるものではない。あれは……脅威でしかない」

―――――そう……そうかもしれない。
13諸侯が受け継ぐ魔導の力……それは確かに純粋で絶対の『力』だ。
けれどそれを使うのが、人である限り。
それがどんな力になるのかは、その使う人間によって、決まるはずだ。

本来なら、暴走などするはずもなかった力。
使わなくてもよかったはずの力。
それを使わせたのは……使わなくてはいけないほど、小さな少女を追いつめたのは―――――誰だ。





(フィーナ)
(……オレの)
(小さな……愛しい娘)





「私は恐れた……あの力を恐れた。あの力を滅ぼさなければいけないと分かった」
「……だから……お前は……」
「そうだ。私は手に入れた、あの力に対抗できる唯一の力を!闇と魔の力を!」





―――――ああ。
それが……リューク……お前だったのか。
そのせいで、お前達は……あんな最期を迎えなければならなかったと、そういうのか。





(「ディシス―――――花をくれたんだ」)
(「あの子が、俺に……花を」)
(「これが―――――花なんだな」)
(「とても……綺麗だ」)





ほんの少しのボタンの掛け違いが、心のすれ違いが、沢山の悲劇を生んだ。
兄妹のように仲がよかったはずの、目の前の男と大神官妃も。
最高の親友だと思っていた、自分とファングも。
最期までお互いを守ろうとしたジークフリートとユーノスも。
そして……深く想いあっていたはずの自分の子供達も。





……どうしたらいい?自分は、どうしたら?
これ以上、大切な人達に悲しい想いをさせたくない。
本当の笑顔を、見せて欲しい。
今例え目の前の男を、殺しても、何の解決にもならないと、ディシスにはわかっていた。
震えたいほどの憎しみを、感じないわけではないのに。
どれだけの血が、涙が流れれば、終わるのか。
どれだけの苦しみを、あの子に強いれば、終わるのか。

守ってやれない。
こんなにも大切に思っているのに……自分はその心も、想いすら守ってやれなかった。





(フィーナ……)
(フィーナ……!)
(オレは……無力だ)
(どうしてオレは……こんなにも無力なのだろう)





ふと脳裏に栗色の髪の、生真面目で無愛想な青年が浮かんだ。





(「俺は……力が欲しいんです」)
(「姫は大きすぎる力はいらないものだと言いました……けれど」)
(「力がなければ、守れないものも確かにあると、俺は知っているから」)
(「―――――守りたいものは、一つだけだ」)





キールのその言葉を、冗談のように受け流したリトワルトの夜。
そのもどかしさを、彼もずっと抱えていたのだろうか?





―――――『力』





必要な力、必要ではない力。
望む心、望まぬ心。
全てが相反するものなのに。





「……ジョルド・クロウラ」

搾り出すかのように、いろいろな感情の入り混じった声で、ディシスは目の前の男に問いかける。
知りたいのだ、今自分にできることがなんなのかを。

「お前は……何を望む?魔竜を手に入れて、ノイディエンスタークで再び覇権を得たいと、そう思っているのか?」

その言葉に、かつて権力を欲しいままにしていた男は、何故か……とても静かで、穏やかな声で答えた。

「……わからぬよ……もう……私にも」
「……?」
「本当に何が望みなのかなど、もう分からぬ。分からぬのだ」
「……ジョルド……?」
「だがもう後戻りはできぬ、立ち止まることもできぬ、前に進むことしか許されてはいない。……ならば、狂気にこの身を委ねたままで行くしかなかろう」

その答えは、ジョルド・クロウラが既に狂人ではないことを意味していた。
年月がそうさせたのか……それとも途中で既に気付いていたのか。

「……他の道を選ぶことはできないのか」
「同情はいらぬ」
「……」
「私は私の望んだとおりの道を歩いてきた。野望深き狂人だ……それでいいではないか」
「お前……」
「確実に分かっているのは……私は死してももう、ユリーニと同じ場所には行けぬ、それだけだ」

光溢れる天に導かれたであろう彼女と、二度と再び道が重なることはない。
何故かそう言った、内乱の首謀者たる男の瞳は穏やかで……ディシスは俯いた。

この男も……同じだ。
ラドリアの狂王と呼ばれたアドニスと、同じだ。

気付くのが、遅すぎた。

―――――ただ、それだけ。
誰もがたった一つの小さな願いを、抱えているだけ。

その切なさに、ディシスは無意識に、ぎゅっと自分の胸を握り締めることしかできなかった。