Clover
- - - 第17章 兄と弟4
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夢を見る。

(「―――――逃げなさい、わたくしの可愛い子供達」)

優しかった父が、何故あの神官達に寝返ったのか、今となってはわからない。
けれど……地の血筋である誇り高き母は、そう言って、子供達に未来を託した。

そう、自分達は、逃げたのだ。
自らの―――――父親から。

わずかな供の者だけを連れて、自分達は手を取り合い、ひたすらに逃げた。
その繋がれた手のぬくもりだけが、お互いの全てだった、あの日。

その母が父の手にかかったことを知ったのは―――――ずっと後のことだった。

隠れるように各地を転々としながら、やがて潜んでいたメテオヴィースの嫡子であるアゼル達と合流し。
同じ侯爵家の子供達と共に、反抗運動を続けるつらく長い日々も、貴方がいたから、耐えられた。

同じ髪の色。
同じ瞳の色。
同じ顔を持った、双子の兄。

イザークが……大好きだった。

―――――それなのに。

(「スレイオスの双子か……どうにも、邪魔だね」)

そう言って、笑いながら。
アイツは……シオンは、まるで遊んでいるかのように。
―――――イザークを、殺した。

どうして―――――?

本当はイザークの方が生き残らなくちゃいけなかったのに。
だって、スレイオスを継ぐのは、イザークだったのだから。
今でも覚えている、双子の兄の肩に刻まれていた、あの水の紋章を。

イザーク。
愛しい片割れ。

お願いだから、置いていかないで。

(「許さない―――――!」)
(「お前がいなければ、イザークは死なずにすんだんだ!」)
(「返せよ!イザークを返せ!」)
(「お前がイザークを殺したんだ―――――!」)

蜂蜜色の髪の少年の、血を吐くような叫び声が、今も耳から消えない。


* * * * *


ただでさえ夢見が悪かったのに、どうして朝っぱらからこいつと顔をあわせなければいけないのだろう。
イシュタルはそう思い、ついつい、一つため息をついた。
そのあからさまな態度に、直情型のステラハイム侯爵は、ムッと眉を寄せた。

「何だよ」
「……別に、何も」
「フン」

機嫌を損ねたように、リーフはそっぽを向く。
いくつになっても、その仕草は変わらない。

もともとイシュタルとリーフは親しいとはいえない間柄だった。
今思えば、イザークを取り合っていた、というのが本当のところなのだろう。

「あたし、あんたにかまってる暇ないのよ。神官長に呼ばれてるの」
「へえ、偶然だな、オレもだ」

リーフの答えはイシュタルの気分をますます急降下させる効果しかなかった。

「……何であんたが一緒なのよ」
「知るかよ、アゼルに聞けよ」
「……はぁ……」
「オレだってお前と一緒なんて、イヤに決まってんだろうが!」

目の前でまたため息をつかれて、リーフは怒鳴り声を上げる。
しかしそれを完全なまでに無視して、イシュタルはスタスタとフィアルの執務室へと向かった。
あからさまなその態度に、リーフの怒りは増幅していたが、行き先が一緒では仕方がない。少し距離を置いて、その後を追った。

リーフは正直、最近かなりいらついていた。
イシュタルと相性が悪いのは、元からだから今更どうということはない。
ただ、最近の自分の主の行動には、不信感の募ることばかりだった。

―――――何故、キールをすぐに助けに行かないのか。

シルヴィラの風隊が正確な位置を掴んでから。
ラドリアに知られないように隠密にことを運ぶから。

―――――何故、災いしかもたらさない魔竜をわざわざ召喚したのか。

ジョルド・クロウラの手に渡るのを防ぐためだから。
ネーヤの身体に限界が来ているから。

そんなお綺麗な理屈はもう沢山だ。
例えそれが、正しい見解だと分かっていても、受け入れるのは困難だ。

今すぐにでもキールを、あの卑劣なシオンから助け出したい。
魔竜なんて、13諸侯全員で倒してしまえばいい。

(―――――くそっ……!)

いらいらする。
自分を取り巻く全ての状況に、いらいらする。
そしてそんな自分にも、いらついてしまう。
内乱が起こる前から、起こった後も、終結して数年たった今でさえ、全く変われていない自分に。

(「リーフ」)
(「そんな風に自分以外の全てに、敵意を向けてはダメだ」)
(「相手は物じゃない、心を持った、人なんだから」)

―――――もしも。
そう、もし今ここにあの水の青年がいてくれたなら。
きっとそう言って、自分を静かに、穏やかになだめてくれたに違いないのに。

他の人間が口にする言葉には、全て噛み付いていた自分が、唯一素直に受け入れることができた兄とも慕っていた人。
目の前を翻る長い白銀の髪の娘の片割れ。

その色を見るたびに、彼を思い出してしまう。
彼が死んだ時の悲しみと、怒りと、そして目の前の娘に自分が感情にまかせてぶつけてしまった言葉が甦ってくる。

本当は―――――。
本当は、あんなことを言うつもりなんて、なかった。
わかっていたはずだった。
イザークを失って、一番悲しんだのは、苦しんだのは、自分ではなく……イシュタルだったこと。

その日以来、感情というものを殺してしまったかのような彼女を見るたびに。
リーフはあの日の自分の過ちを責められている気がして、自分自身が死ぬほど嫌いになってしまうのだ。
そのことにまたいらだって、ひどい言葉をぶつけてしまう。

(イザーク)
(お前が、悪いんだ)

いつも―――――思う。
決して消えない、傷。

(お前が、オレとあいつを、置いていくから)
(だから……)

もういない彼を、心の中で責めるたびに。

(「すまない、リーフ」)

記憶の中の彼は、すまなそうに―――――笑った。


* * * * *


「……今度はレインの兄貴かよ」

憮然としたリーフの言葉に、フィアルは苦笑した。
最近輪をかけてリーフが反抗的になったのはわかっている。リーフほど表には出ないが、イシュタルも同じだ。

「別に、ユリウスがいたからって、リーフに何か迷惑でもかかるわけ?」
「ッ!そういうわけじゃねえけど、わざわざ今亡命させる理由がわかんねえんだよ」
「じゃあ、いつだったらいいの?」
「そうだな、どっかのバカな姫の独断のせいで、不安になって騒いでる民をなんとかしてくれたら、いいんじゃねえの?」
「何とかしたら、納得するわけ?」
「……それは」
「どっちにしろ納得しないなら、口出しするのもやめたら?」

今のリーフは、フィアルが何をしても気に入らないのだ。
フィアルに口で言い負かされ、リーフは顔を真っ赤にして怒りを押さえ込むように俯いた。

「……くそっ……」

ブツブツとまだ言っているリーフを軽く無視すると、フィアルはちょいちょい、と部屋の一番隅にいた彼を呼んだ。
久々に本国へ戻ってきたシルヴィラは、その仕草に小さく微笑む。
魔竜を召喚したということは耳に入っていたし、実際それによっていろいろと騒動が起こっている旨も、報告は受けていた。フィアルのことを信頼してはいても、少しだけ心配だったのも事実なのだ。

「じゃ、いいかな?」
「はい」

主の言葉に頷くと、シルヴィラは居並ぶ諸侯達へ視線を走らせた。

「ジョルド・クロウラ、そしてシオン・ラウル・ファティリーズの居場所は掴んだ。どちらもラドリアの王都セイラスからそう遠くはない。隠れている、というよりは、見つかってもかまわないといった感じを受けるずさんな隠れ方だ」

シルヴィラの言葉に、アークは少し考え込むような表情を見せた。

「シオンの目的を考えれば、ヤツが隠れていないのはわかりますが……ジョルド・クロウラもそんなに簡単な場所に?」
「なんだかうさんくせえな……罠じゃねえのか?シルヴィラ」
「その可能性は否定しない」

シルヴィラは慎重に言葉を選んでいるようだった。
その様子をアゼルと共に、フィアルは冷静に見つめている。

「でもキールはそこにいるんだろ!?それさえわかったならとっとと助けに行こうぜ!」
「言われなくても、行くに決まってんでしょ」
「オレは行くからな!止めても無駄だぞ!姫!」

つい先程まで怒りを堪えていたのをすっかり忘れたかのように、リーフは満面の笑顔になる。それを多少呆れた顔で見つめながら、フィアルはそのままイシュタルに視線を走らせた。
魔竜を召喚するまで、確かにあったはずの信頼は、今では危うく揺らいでいる。
そのせいか、フィアルがイシュタルと視線を合わせるのは久しぶりと言ってもよかった。

その主の視線を、イシュタルはどこか冷めた面持ちで受け止めていた。

「イシューも、同じ?」
「……聞くまでもないでしょ」
「それはキールを助けるため?それともシオンに逢いたいからなの?」
「……両方よ」

フィアルはその答えを求めるように、リーフへも視線を走らせた。

「オレも同じだ」

真剣な目で自分を見返してくる二人に、フィアルは苦笑した。
そして隣に立つアゼルへ首を傾げてみせる。

「さて、どうする?」
「……キールの命がかかっている。自分の私怨で動く者を連れて行くのは危険です」
「そんなことしねえよ!」
「絶対と言い切れるのか」

アゼルは厳しい顔で二人を見つめた。
アゼルだけではない。他の諸侯も厳しい視線で二人を見ている。
狭い執務室に緊張した空気が流れた。





「ねえ」





睨み合っていたアゼルとリーフの間に割り込むように、フィアルが柔らかな声で語りかける。

「二人は、シオンに逢って……どうしたいの?」
「……どうしたいって……」
「イシューは?シオンに逢って、どうするの?」
「……」
「貴方達はシオンを憎んでる。その憎んでる相手に逢って、どうしたいの?」

その問いかけに、リーフは戸惑ったように視線を彷徨わせた。
だが、フィアルは笑顔さえ浮かべたまま、二人の答えを待っている。

「殺すの?」
「……姫ッ!」
「遠まわしに言ったって、結局同じことよ。二人の望みは実際、シオンを殺すこと以外にないんだから」

その直接的な言葉を止めるアゼルを、彼女はその言葉で止める。

「大事な人を殺した相手を、今度は貴方達が殺すのね」
「……それが悪いの?フィール……あんたにはわからないのよ」
「イザークがされたことを、シオンに返すつもり?」
「これ以上ないくらいに苦しんで死ねばいい。あいつは……シオンはそれだけのことをしたのよ!あたしの目の前でね!」
「だから、殺すの」
「そうよ!」





「……キールの、目の前で?」





―――――フィアルの最後のその一言に、イシュタルは一瞬言葉を失った。
リーフも驚いたように、目を見開いて固まっている。
他の諸侯達も、冷静にその様子を見つめていたシルヴィラすらも、フィアルの言ったその事実に愕然とした。

「……同じことをしたいの?」
「……違う……あたしは……」
「キールにとってのシオンは、イシュタルやリーフにとってのイザークとは、到底同じ存在ではありえないでしょうね。キール自身、シオンのことを好いてはいないでしょう……でもね、肉親であることは消えない事実なのよ」

例え、キール自身がそれを拒んでも。

フィアルはそっと胸の水晶の花を右手で握り締めた。
キールがいなくなってから、彼女がよくする動作の一つ……諸侯の中でもそれに気付いているのはアゼルだけだっただろう。そしてそれを目にする度に、気にしていない風を装っても、彼女がキールの無事を誰よりも祈っていることを、アゼルは感じ取ることができた。

「その目の前で、シオンを殺すの?」
「……あたしは……!」
「自分と同じ想いを、キールにさせるつもりなの?」
「違う……!違うわ、あたし……違う!……違う、違う、違う!」
「それで気が済む?二人はそれでいいのね?」
「……ッ!」

―――――そんなことは、考えたこともなかった。
―――――そんなことに、気付きもしなかった。

俯いて、自身の心と格闘している二人を、諸侯達は言葉なく見守っている。
フィアルがそのままシルヴィラへと視線を動かすと、風の青年は何もかもを悟ったように静かに頷いた。

「シオンの元へは2日後に発つ」
「……」
「よく、考えろ……二人とも」

シルヴィラが静かに首を動かすと、一番ドアに近いところに立っていたゲオハルトが、悟ったかのようにドアを開けた。
それは、この会合が終わったことを意味する。
立ち尽くしたままの二人を気にしながらも、他の諸侯達が部屋を出て行く中、二人に背を向けて、フィアルは中庭へと視線を向けた。

「信じてるから」
「……え?」
「イシューも、リーフも、自分でちゃんと答えを見つけるって、信じてるから」

窓辺に立つ彼女を取り囲むように立っていたアゼルとシルヴィラが、その言葉に顔を見合わせて、小さく微笑んだ。
その様子に、当の二人は戸惑ったように視線を泳がせる。

「だから」

くるり、とフィアルは振り返り、柔らかに微笑んだ。

「だからね」

どうして、そんな顔が……できるのだろう。

「いっぱい、いっぱい、悩みなさい」

何故だかその言葉は、とても優しく心に響いて。
リーフとイシュタルは、目の前の姫君に抱いていたわだかまりが、あっという間に霧散していくのを―――――確かに感じていた。