Clover
- - - 第17章 兄と弟7
[ 第17章 兄と弟6 | CloverTop | 第18章 言霊1 ]

血の臭いがする。
何故、こんなことになっているのだろう。

王宮はしん、と静まり返っていた。
ついこの間の戴冠式後はお祭り騒ぎだった場所と同じとは思えないほどに、不自然な静まり方だった。

要所要所には黒い服に身を包んだ衛兵が立ち、目を光らせている。
そんな視線の中を、レインは真っ直ぐに進み、王の間を目指していた。

次兄であるユリアティウスがいなくなったという報告を受けて、レインが離宮へと行っていた間に、王宮の様子は一変していた。
もしものことがあってはいけないと、王宮に残していったイオはどこにいるのか。
わからないことが多すぎて、顔には出ないものの、レインはかなり苛立っていた。

(王族の虐殺とは―――――どういうことなんだ)

王都へ戻る途中で聞いたその事実を、レインは到底信じる気にはなれなかった。
あのセイルファウスがそれを許すはずがない。それにセイルファウスの側には、イオもいるはずなのだ。

―――――だとしたら、誰がそれをした?

レインの頭の中で導き出される答えは一つしか見当たらなかった。


* * * * *


「早かったな」
「……」

腕を組み、柱に寄りかかるその姿に、レインは無言で殺気を込めた視線を送った。
以前のような金色の衣装ではないものの、一目見ただけでも豪奢な衣に身を包んだアイザックは、乾いた笑みを浮かべている。

「お前の仕業か、アイザック」
「……手を下したのはな」
「兄上をどうした」
「セイルファウス兄上なら王の間にいらっしゃるぞ?」
「ふざけるな……監禁でもしているというのか」
「人聞きの悪いことを言うなよ……何もしちゃいない」

それを信じるほど、レインは気楽な性格ではない。
肩を竦めるアイザックに、無言で圧力を与える。

「今回のことはオレの独断でもなんでもない、兄上が望んだことだ」
「見え透いた嘘を……!」
「嘘かどうかは自分で判断することだな。言っただろう?兄上は王の間にいると」

アイザックが指で指し示す方向に、確かに玉座の間があることをレインは知っている。
しかし、ここでこの男を放置していく気にもならない。

「お前は何故ここにいる。その腕と足はどうした」
「お前に切り落とされたはずの手と足か。簡単なことだ、再生してもらっただけさ」
「……再生?」
「新しい手と足を貰ったということだ」

そんなことが出来るはずはない。
確かに自分はあの時、多少正気ではなかったにせよ、アイザックの手と足を切り落としたことを忘れてはいない。
しかしそんなレインをあざ笑うように、アイザックは続けた。

「それが出来る人間も、この世界にはいるということさ」
「……何だと」
「お前だってその目で見てきたんじゃないのか、ノイディエンスタークにあれだけいたんだからな」
「……お前に手と足を与えたのが、ノイディエンスタークの人間だというのか」
「そうとは言わないが……魔導力というのは、そういうことも出来る力だ。そう思わないか?」
「黙れ」

レインはすっと腰の剣に手をかける。
雷神がその感情に反応したように、チリチリと唸りをあげているのがわかった。
その殺気だった様子に、アイザックはチッと舌打ちをすると、身を翻した。

「オレはここでお前とやりあう気はないさ。また手や足を切り落とされるのはごめんだ」
「……」
「とにかく兄上に会ってきたらどうだ?オレの言ってることが本当かどうかはそれで分かるだろう」

アイザックはそのまま、回廊の奥へと消えていく。
その後姿を見送ったレインは、暫くその場所に立ち尽くしていた。

(もしも)
(もしもあの時、俺に……)
(守れるだけの力があれば)

願わなかったわけではない。
いや、心の底から願った。
力が欲しいと―――――そう思った。

リルフォーネを一瞬でも自分の側から離さずにすむだけの、力。
守るための、力が欲しいと―――――渇望した。

けれど願いは叶わず、想いは置き去りにされた。

(「帰ってきてね―――――」)

何故、今、自分はその言葉を思い出しているのだろう。
あの夜のフィアルの言葉は、優しく、そして緩やかに自分を包み、縛る。
けれどそれは、何故か心地のいい束縛だと、レインは自嘲的な笑いを漏らした。

いつの間にか―――――雷神の唸りは止まっていた。


* * * * *


「―――――兄上」

その大きな玉座の間に入ってきた黒衣の弟を、セイルファウスは穏やかな微笑みで迎えた。

「レイルアース、戻ったのか」

呼ぶ声は優しくいつもの長兄のままで、レインは危うく状況を忘れそうになった。
本当に、この王宮で虐殺などが行われたのだろうか。
でも確かに、この玉座の間に至るまでの回廊は、血と死臭に満ちていたのだ。

「ユリアティウスの行方はわかったか?」
「いえまだ調査中で……それより兄上、聞きたいことがあります」
「……何だ?」
「王族が虐殺されたと聞きました、本当ですか」

下段から自分を見上げる弟に、セイルファウスは少し悲しげに眉を寄せた。

「……本当だ」
「……!」
「私が、アイザックに命じた」
「……何故……」
「レイルアース」

セイルファウスは座っていた玉座から立ち上がり、立ち尽くしているレインの元へと歩いてきた。
視線を同じ高さにして、セイルファウスは呆然としている弟へ口を開く。

「私も、出来るならこんなことはしたくはなかった」
「……」
「だが、彼等は今までの間違った因習を捨てられなかった。蓄えた財を民の為に使って欲しいと言っても、決して首を縦には振らず、逆に課税の権利を私に求めてきたのだ」
「……兄上」
「自分の私利私欲の為に動くものは、私の作るラドリアには不要だ。それではこの国は変わらない」

セイルファウスは真っ直ぐに弟の瞳を見つめた。
その瞳に嘘はなく、レインは兄が本当にそう考えているのだと感じた。

「しかし……殺す必要はなかったはずです」
「殺そうとしたわけではない」
「……?」
「殺そうとしたのは、向こうだ。お前がユリアティウスの元へ発った後の会議の場で、奴等は私兵を率いて、私を殺しにきた」
「なっ!」

セイルファウスは苦しげに顔を逸らす。

「殺すつもりなどなかった……だが謀反人をそのままにしておくことも、できなかった。放置すればまた国民の信頼を失う」
「兄上……」
「それでも彼等だけを断罪するつもりだった。だが……王族や貴族に対して不満のくすぶっていた兵達が、一族郎党を全て皆殺しにしてしまった……止められなかった」

レインは兄の苦しい現状を眼にして、眉を寄せた。
結果的に王族で生き残ったのは、アイザックを除き、レイン達、母を同じくする兄弟だけになってしまったのだとセイルファウスは俯いた。

「母上は……?」
「ちょうどアイザックの生家のパーティに出席していたらしい。巻き込まれて、殺された」
「では、アイザックの家族も……」
「全員、死んだ」

セイルファウスはポン、とレインの肩に手を置くと、窓辺へと歩き出した。
悲しみに満ちた瞳で、うつろに外の風景を眺めている。

「この事態の責任を取って、アイザックには謹慎を言い渡したところだ」
「……」
「だが強くは言えない。アイザックも自分の家族を失ったのだから」
「イオは……イオはどうしました?」
「イオは……私を守ろうとして戦ってくれたが……行方がわからなくなってしまった。奴等が撤退する際に連れ去られた可能性が高い……探しているのだが」
「!」
「……すまない、レイルアース……イオはお前の副官なのに」

緩く束ねた茶色の髪を背に靡かせた後姿を、レインは見つめた。
どうしてだろう、この兄が……とても儚げに見えてしまうのは。

「レイルアース……」
「……はい」
「王とは……孤独なものだな」
「兄上……」
「だが、やめることはできない……それは許されないことだ。だから、お前には側にいて欲しい」

兄の声はかすかに震えていた。

「お前を―――――信じている」

そんなセイルファウスを見捨てることが、レインにできるはずもない。
この長兄は……たった一人で、戦っているのだ……昔も、今も。

(「帰ってきて―――――」)

その約束を―――――いつになったら果たせるだろう。
脳裏に浮かぶ白金の髪を、レインは硬く目をつぶり、ただひたすらに思い出していた。