Clover
- - - 第18章 言霊2
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「……お帰りって、言うべき?」
「……そうしてくれると、助かる」

ラドリアへの出立を翌日に控えた深夜。
フィアルの住まう奥神殿の寝室に足を踏み入れた影があった。
それをいぶかしむこともなく、彼女は白く薄い夜着のまま、その人物を迎え入れた。

黒い皮の服を纏ったその影は、間違いなく彼女の義理の父親だった。

「ファングには、会えたの?」
「ああ……会った。言うことも言ってきた、つもりだ」
「……そう」

疲れたように部屋にあったソファーに沈み込むディシスを怒りもせず、フィアルは近くにあった水差しからコップに水を汲み、彼に手渡した。それを当然のように受け取ると、ディシスは一気に飲み干す。

「アドニス陛下の最期も……看取った」
「……ヴィーから聞いてる。大概お人よしね、ディシス」
「放っておけなかった」
「……じゃあ、聞いたんでしょ」

淡々と返事を返す娘の横顔を、ディシスはじっと見つめる。
その視線に気付いて、フィアルは居心地が悪そうに、ぷい、と横を向いた。

「お前、知ってたのか」
「……なんとなくはね」
「いつから?」
「レインに初めて会った時から」

自分のコップにも水を汲み、フィアルは静かにディシスの向かい側に腰を下ろした。
いつもは結い上げている髪が、さらさらと彼女の肩を覆うのを、ディシスはただ眺め、娘の次の言葉を待っていた。





「―――――魔属性の人間ですら、稀なのに」





その言葉に、ディシスは目を見開いた。

「……レイン、あいつ……魔属性じゃないのか?」
「レインは、魔と闇」
「―――――闇?そんなはずはないだろ?」
「でもレインは間違いなく闇よ」
「闇属性を持つ人間は、この世に一人だけ……リュークだけのはずだ」

光の属性を持つ人間が、フィアルしか存在しないように、闇もまた、一人。
それは神竜と魔竜がこの世界に一対しか存在しないのと同じことだ。
その属性が、リュークと一致する存在。
それが何故ノイディエンスタークではなく、ラドリアに生れ落ちたというのか。

「不思議な話よね、本来は一人しか存在しないはずの闇属性の人間が、三人いたのよ?」
「……三人」
「聞いたんでしょ?ラドリス13世からその名前を」
「……アドニス陛下は、自分で闇を生み出したことを、詫びていた」
「自分の子が闇だったから、悔いて詫びるの?そんなのはおかしいでしょう」

フィアルはじっとディシスの顔を見つめる。
それは強く、そして何故か懇願にも似ていた。

「ディシスはどうした?もしもファングと立場が逆だったら」
「……逆だったら?」
「私が闇で、彼が光だったらどうした?私を育てた?そしてそれを悔いるの?」
「そんなことはありえない。馬鹿なことを聞くな。ファングだって、絶対に悔いたりはしていないはずだ」

ふわり。
その言葉にフィアルは微笑んで、静かに目を閉じた。





「―――――ジョルド・クロウラに、会った?」





「……」

その問いに答えない義父に、フィアルは苦笑する。

「私をそんな目で見ないで、ディシス。悲しそうな瞳、しないで」
「……ごめん」

昔から、人の感情に敏感な娘だった。
ディシス自身、自覚はなかったが、視線に現れていたのだろう。
ジョルド・クロウラから聞いた、あの日の悲劇を知ってしまったから。

「オレは、お前を守っているつもりだったよ……ずっと」
「……守ってくれたでしょ」
「でもオレは、お前の心を守ってはやれなかった」

ギリッとディシスは口唇を噛み締める。握る拳にも力が篭った。

「ユーノスのことも……オレは知らなかった」
「……言わなかったのは私だから」
「言えなかったんだろ?」
「……言いたくなかったのよ」

フィアルは立ち上がると、俯いたままのディシスの横に座り、その拳へ自分の手をそっと重ねた。
小さく、白い手。
長い間傭兵として、血に染まったはずの手なのに、何故こんなに尊く感じるのだろう。

「アゼルには、言わないで」
「……フィーナ」
「知らないでいてほしい……アゼルには」
「そしてお前はいつも一人で、全てを抱え込むのか?それではお前は救われない、お前だけがいつまでも苦しむことになる。オレはそんなのはイヤだ」

笑わないで。
苦しいなら苦しいと、言って欲しい。

ディシスは拳に置かれていたその手を、無骨な自分の手でぎゅっと握り締めた。

「泣けよ」
「……」
「もういいから、抱え込まなくていいから、泣いてしまえよ」

守りたいんだ。
目の前の美しい少女は、大地から愛されている尊い存在だけれど、それでも。
彼女は間違いなく、自分が育てた自分の娘で。
小さな手を、抱き上げても軽かった小さな身体を、この腕が覚えている限り。





「―――――泣けないよ」





泣けと言ったその本人の方が、よっぽど潤んだ瞳をしていると思いながら。
フィアルは微笑んだ。

「泣けないの……」

気持ちは分かる。
彼が、そこまで自分を大切に思ってくれることは、素直に嬉しいと思う。自分もまた、実の父と同じ位に、きっとディシスを大切に思っているのだろう。

「フィーナ……」
「涙……出ないから」
「……」
「あの時に、全部流し尽くしてしまって……もう出ないから」





―――――誰よりも何よりも、貴方が好きだった。





「だから……泣けないの」
「……オレはお前に何をしてやれる?」
「馬鹿ね、言ったでしょ?」

フィアルは真剣に自分を見つめてくる父親の視線に、小さく笑った。
オベリスク討伐の時、リトワルトへ行ったのは、その一言を告げるためだったと言ったら、この人は苦しむだろうか。





「最後まで……―――――見届けて」





残酷な娘で―――――ごめんなさい。
直後……その強い腕が、華奢な身体を抱きしめるのに、理由はいらなかった。