Clover
- - - 第18章 言霊4
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「随分と時間がかかったのですね、姫様」
「……こっちにも色々と都合があるのよ。何もかもをアンタにあわせているわけにいかないの」
「のんきですね、そんなに価値がなかったのかな、僕の弟は」

クスクスと笑うシオンと向かい合うように、フィアルはソファーに座っていた。
シオンの作ったものだろうか。感情のまるでないような人形が運んできたお茶を、迷うでもなく口にしている。

夜の神殿を出て、ラドリアにあるシオンの館へやってきたのは、半時程前のことだ。
先触れもなくやって来たフィアル達に驚いた様子もなく、シオンは彼等を館へと迎え入れた。

部屋は薄暗く、そこら中に散らばった古い本やら羊皮紙には、ルーン語で何かが書いてある。
怪し気な魔導具が転がっていて、お世辞にも綺麗とは言えない。
ここにもし、綺麗好きな最年長の地の侯爵がいたならば、確実に文句のひとつも言いそうな程度には、その部屋は汚れていた。

そんな彼女の背後では、今にもシオンに飛びかかりそうなリーフを、ゲオハルトが後ろから羽交い絞めにしている状態だった。
その反面、イシュタルは動じず、静かにシオンを見つめている。
一応不測の事態を考えて、その他にもレヴィン、シードの二人を連れては来たが、とりあえず抑えはゲオハルト一人で事は足りそうだった。

「……で?用件は私にあるんでしょ?」
「そうですね、僕は貴女にはとても興味があります」
「嬉しくも何ともないけど」
「つれないことを言いますね」

シオンもフィアルも、柔和な笑みを崩さない。
その裏でお互いを探り合っているのは一目瞭然だった。

(―――――見てるこっちの方がこえーよ……)

内心レヴィンはそう思う。狐と狸の化かし合いと言っても過言ではないだろう。

「で?」
「で、とは?」
「私が来たのよ、キールは何処?」
「もうすぐ来ますよ、弟も貴女に逢いたがっていましたから」
「ま、当たり前ね。お茶に睡眠薬だの毒だの痺れ薬だのが入ってないところだけ、褒めてあげる」
「そんな無粋な真似はしませんよ」

シオンはあくまで柔らかな口調で、フィアルへ返答する。
その指が優雅にお茶を口に運ぶのを、フィアルは無言で見つめていた。

それに―――――我慢できなくなったのか、ゲオハルトの静止を振り切って、リーフが叫んだ。

「ふざけんな!いつまでこんな茶番を続けるつもりなんだよ!姫!」
「……リーフ、うるさい」
「シオン!てめえもだ!よくオレやイシュタルの前にその面が恥ずかし気もなく晒せるもんだな!」
「僕は隠すようなことはしてないしね」
「イザークを殺したお前が何を言うか!」

冷静に話せと言っているのに、やはり人選が失敗だっただろうかと、密かにフィアルは思わなくもなかったが、ここで置いてきた方がのちのち厄介なことになりそうで、つい連れてきてしまった。
救いはその片割れであるイシュタルの方が、至極冷静さを保ってくれていることだろうか。

「イザーク……ああ、あのスレイオスの片割れか」
「……てめえ……!」
「あの時、時が彼を求めていなかった、それだけのことだな」
「……ずいぶんと詩人みたいなことを言うのね、シオン」
「あの時、僕はちょうど炎の力を増幅させる魔導具を作っていましたから。水の力が近くにあるだけで、その微妙な均衡が崩れてしまったんですよ。僕の近くにさえ来なければ、彼も死なずに済んだんじゃないですか?」

悪びれずニッコリと笑うその青年に、罪の意識はまるでない。
学者や研究者といった、知識を求める者に、時々見られるその残酷さは、シオンだけのものではない。
彼等にとっての価値観は、己の知識が全てであり、それを邪魔するものは全て排除すべき対象なのだ。例えそれが生きている人間であったとしても、変わりはない。





(「スレイオスの双子か……どうにも、邪魔だね」)





静かにシオンを見つめていたイシュタルは、あの日の言葉をようやく理解することができた。
だからといってそれを、許せるというわけではない。

この男は、どこか―――――狂っている。

優雅とも言える程の微笑を湛えた魔の青年に、薄ら恐ろしいものさえイシュタルは感じていた。

「勝手な理屈ね、シオン」
「僕は元々勝手な人間ですから。知りませんでしたか?」
「知ってる」
「それは結構」

フィアルの皮肉めいた言葉に、薄く笑いながら、シオンは怪しい光をその瞳に走らせた。

「あなたは不思議な人ですね、姫様」
「……どういう理由で?」
「貴女は、その属性に完全に反した属性の魔導まで使うことができる。僕でさえどうやっても、聖の魔導だけは扱えないというのに」

シオンがちらりと視線を走らせたその先には、腕を組んだまま静かにこちらを見ているシードがいる。

相反する―――――属性。
炎と水、風と地、魔と聖、雷と浄、星と空。
加えて特殊属性である裂と斬と剛の三すくみ。
もちろんそれは、光と闇も同じことだ。

自分と相反する属性の魔導は、通常、ごく弱いものでなければ扱うことはできない。
己の属性が、それをかき消してしまうからである。つまり、己の属性の血が強ければ強いほど、逆属性の魔導を使える力は弱い。
「貴女が闇魔導を使えると知った時、僕は驚きました。新鮮な驚きでしたね」
「……それはどうも」
「魔導は魔法とは違う。威力が強力な分、その理の縛りは強い。それなのに貴女はあの強力な闇魔導ですら、扱える。その理由を知りたいと思ってしまうのは、仕方のないことだと思いませんか?」
「……思わないわね、実の弟をエサにしてまで知るほど、重要なことじゃないわ」
「おや……怒っておいでですか?」
「アンタ、私が怒ってないとでも思ってたの?おめでたい思考ね」

心底呆れ果てた瞳をフィアルに向けられて、シオンはまたその笑みを深くする。

「僕の弟は、愚かな男です」
「……」
「罠だと分かっていたくせに、わざわざ僕に逢いに来た。けれど結界の力を過信しすぎた」
「……ファングを使ったんでしょう」
「おや、それもお見通しですか?本当に面白い方だな、貴女は」

クスクスとシオンは声を立てて笑った。
彼はこの掛け合いを楽しんでいる。
頭のいい人間ほど、自分と同等のレベルで話せる相手を喜ぶものだ。
それはフィアルにもわからなくもないが、今はそんな会話を楽しむ気はさらさらない。

この館には、あまりにも魔の気が強すぎる。
そう―――――異常な程に。

それがアドラの杖のせいだけとは思えない。もちろん魔の血を強く引くシオンとキールの二人がいるからというわけでもない。
禍々しい、人工的なものだ。

今それを感じ取っているのは、おそらくフィアルと、シード、そしてリーフだけだ。
だからこそ、リーフは虚勢を張っているし、シードは一言も発しないのだろう。二人とも明らかに顔色が悪い。

「キールは何処にいるの?」
「……もうすぐ来ますよ、と先程も申し上げましたが……待てませんか?」
「何をしたの」
「……僕はただ、可愛い弟にもっと多くの魔を与えただけですよ」
「曖昧な言い方をするのね。魔の属性を持つ者にとって、過ぎた魔は麻薬のようなものだわ。毒以外の何物でもない」
「そう……甘美な毒です……魔はね」

テーブルに置かれていたお茶に手を伸ばすと、シオンはゆっくりとそれを口に運んだ。その間、誰も言葉を発することはなかった。

「魔は……最高の力です。創造の力だ」
「……」
「ずっとそう信じてきました。今でもそれは変わらない。貴女の光の力よりもある意味では神に近い力だと思っています」
「それで?」
「魔はノイディエンスタークにある14の力のうち、一番闇に近い力。なら、魔が本来の力を発するためには、闇に近いほどいい。そうは思いませんか?」
「……だから神官側についたって言いたいの?」
「ええ。僕にとっての最高の環境を得るために」

その言葉に、フィアルは静かに目を伏せた。
魔の力を求めるあまりに、闇を求めたシオンに抱く感情は、もう憎しみを通り越してしまっている。
哀れみすら、感じる。

「魔のためなら、何でもする?」
「ええ」
「そのために、自分の身体も売ったの?シオン」
「……驚いたな、そこまでわかりますか」
「翼人の力……その代償に自分を、誰に売ったの」
「さあ……僕にも彼の正体はよく分かりませんね。時折ふらりと僕の身体を使って、見ているだけで……害がありませんから放ってあります」
「見てる?」
「ええ……ただ静かに、彼は見ているのです。この、大陸の全てをね」





……キィィィィ。





シオンの言葉にフィアルが疑問を感じたその時、ゆっくりと扉が開く音がした。
全員の視線が、そちらに向けられる。
それを悠然と眺めながら、シオンは含みのある笑いを口元へ浮かべた。





「おいで……キール」





扉の向こうには―――――ただ静かに彼が立っていた。