Clover
- - - 第18章 言霊5
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「おいで……キール」

シオンの言葉に誘われるように、部屋へ入ってきたキールは、フィアル達の姿にも何の反応も示さなかった。
その瞳には光がない。まるで感情を全て失ってしまったかのように、ただそこにあるだけだ。
そんなキールの様子に、リーフを後ろから拘束していたゲオハルトの手から力が抜ける。だがリーフもまた動くことができなかった。

頭が良くて。
いつも何処か、冷めた態度だったけれど。
彼等の知るキールは、決してこんな無感情な目をする青年ではなかった。

「さあ姫様……貴女の望んだキールですよ。もう少し再会を喜んだらどうですか?」
「……そんな悪趣味なこと、するわけないでしょう」

シオンの横に無言で立つキールの手には、赤い魔石の埋め込まれた細剣が握られていた。
しかしその魔石よりも、キール本人の身体から感じる強い魔の波動に、フィアルは眉を寄せる。
一体どれだけの魔を受けていたのか……剣を握る手に大量に残るその傷が、キールの激しい抵抗を物語っていた。

「お前も逢いたくてたまらなかった姫様に逢えて、嬉しいだろう?」
「……」
「知っていましたか?キールは、貴女を……」
「それは、アンタが代弁していいことじゃないわ」

フィアルは、強い口調でシオンのその言葉を遮った。
その彼女の反応に、シオンは面白そうに眉を上げる。

「言わなくても知っている、ということですか。残酷な方ですね、貴女は」
「……何が言いたいの」
「キールは、僕の弟が、自分を想っていると知っていても、決して貴女は弟には答えないのでしょう?それは生殺しというものではないのですか?」
「そうかどうかは、キールが感じることで、アンタには関係ないわ」

それに。
言われなくても、そんなことはわかっている。
自分がどれだけ残酷かなんて、よく、わかっている。

フィアルは無意識に、胸の水晶の花をぎゅっと握り締めた。





(「この水晶が……俺の代わりに貴女を守ってくれるように」)





なんて、優しい言葉。
本当の心を隠したままのフィアルでも、キールなら、きっと受け止めてくれる。
―――――優しい人だから。
ほんの少しの心の揺れを……上手に隠したそれを、察してしまう人だから。

でも……だからこそ。
答えることは―――――できない。





「……僕が何故、キールを捕らえたか分かっていますね?」
「何よ、私に魔導実験でもしたいわけ?」
「そうですね、それも楽しいですけど……僕が知りたいことは先程言った通りです」
「闇魔導が何で使えるか知りたいって話?」
「ええ、そうです」

傍らに立つ無表情のキールとは対称的に、シオンは優雅に微笑んだ。
キールとは違う、少し波打つ栗色の髪が頬にふわりとかかる。
その外見だけを言うならば、貴族然とした、普通の青年にしか見えない。

「偽りはいりませんよ?貴女は口がお上手でいらっしゃる」
「……」
「だから、その身体に直接聞きたいのです」
「……私の中に闇属性があるかを、調べたかったってことね」
「貴女の父親は間違いなく光、そして母親は空。持って生まれたその属性のどこにも、闇が入る余地はない。今こうして対面していても、貴女からは空どころか、光属性しか感じない。だから不思議なのです。魔属性である僕やキールならともかく、対極の貴女が闇を扱えるその事実が疑問で仕方がないのです」
「……それで?」
「僕は昔から、疑問に思ったことを残しておくのが嫌でしてね。頭の中は常にクリアにしておくのが正解だとは思いませんか?」

ニヤリ、と右頬をシオンが歪ませる。
その指にはめられた、魔石なのであろう赤い石がキラリと一瞬怪しい光を放った。





「―――――姫!!!!!」





その、一瞬だった。


* * * * *


ギリギリと、肩に食い込む剣先を、フィアルはその手で掴んでいた。
刀身をそのまま握っているのだから、その手からも赤い鮮血が滴り落ちる。しかしそれを上回る量の血液が、その貫かれた肩から溢れ出し、床を紅に染めていた。

「おひーさん!」
「フィール!」

駆け寄ろうとするゲオハルト達を、不意に現れた紫の結界が阻む。
まるで彼等を捕らえるように円陣を描くその結界の中央に、淡い紫の光と共に、大きな赤い魔石の柱が立った。

「……なっ……!」

魔石の柱は怪しく中央部から光を放ち始める。
その刹那、シードは床に崩れ落ちた。

「シード!」

それだけではない、リーフもガックリと膝をついて荒い息をつき始める。

「リーフ!おい!」
「……くそっ……力が……」

結界の向こう、今だ悠然と座りこの状況を眺めているシオンを、リーフは睨み付けた。
その視線に気付いたのか、シオンは妖艶とも思える微笑を見せる。

「僕をバカだと思っていないか?姫が一人で来るなんて思ってはいなかったよ、最初からね」
「……貴様!」
「そう、君達もせっかく来てくれたのだから、役に立ってもらおうと思ってね。それを用意しておいたんだ」
「何のことだ!」

シオンがゆるりと視線を動かした先―――――。
そこには馬乗りになって、フィアルの肩を貫いているキールの姿があった。
上から力をこめられているフィアルの肩が完全に貫かれるのは時間の問題に思える。

「キールの持っている剣は、僕が作った特別製でね」
「……何!?」
「刺された人間の生気を、全て吸い尽くすまで、決して抜けることはないんだ」
「……ッ!?」
「そうすればわかる。一片でも姫の中に闇属性があるのかないのか。全てを吸い尽くしたその剣を調べさえすればね」
「なんてことを……!そんなくだらないことのために、一体何人を殺せば気が済むの!?」

バンッ!とイシュタルは結界を叩いた。
その彼女の言葉に、今まで笑顔を崩さなかったシオンの顔が歪んだ。

「くだらなくなどない……お前と僕とでは物の価値観が違うんだ」
「……最低」
「そんな口を利けるのは今のうちだろう?お前達の結界内にある魔石は、キールの剣と連動している。お前達があがけばあがくほど、剣が生気を吸い尽くす速度が速まるようにできているんだ」
「……ッ!」

シオンはついに堪えきれなくなったように、アッハッハ!と大きな声を立てて笑い、天を仰いだ。

「素晴らしい趣向だろう?お前達が姫を助けようと、その中で力を使えば使うほど、姫は死に近付く。そしてそれを実行しているのは、その姫を誰よりも愛している男なんだからね」
「貴様……!」

怒りが理性に勝ったのか、レヴィンの周囲に紫電が舞う。
それに反応するかのように、魔石の柱がまるで生きているかのように、ドクン、と光を放った。

「やめろ……!レヴィン……!」
「シード?」
「力を使うな……!姫が……!」

荒い息をつきながら、シードは幼馴染を止める。
その様子に、シオンはまた笑いを漏らした。

「イエンタイラーのシードか……お前にはその結界内は最悪の環境だろうね。聖の力とは対極にある、強大な魔の力を受け続ければ、一番最初に死ぬのは、姫ではなくてお前かもしれないな」
「……お前の思い通りになんて、なってやるかよ」
「どうするっていうんだ?今でさえ虫の息に見えるがな」
「黙れ……!イエンタイラーの力をあんまりなめるな」

シードはシオンを強く睨み返すと、中央にある魔石の柱へと近付いた。
近付くだけでも、恐ろしい圧迫感が襲う。強烈な頭痛と吐き気が一気にこみ上げた。

これが―――――魔の力。
あの日、イエンタイラーの館を焼いた、力。

(こんなもののために……―――――)
(こんなもののために……母上は……俺達を……裏切ったのか)

ふと視線を動かせば、今だフィアルに剣を突き立てるキールの姿が見える。
その事実を、正気に戻ったキールが知ったら。
一番愛しい者を、自分が殺してしまったと―――――知ったら。

(させない)
(絶対に、それだけは)
(―――――許さない)

シードはぐらぐらと揺れる思考を何とか繋ぎ止め、その手を柱へと伸ばした。

「シード!」

その手をレヴィンが止めるように強く掴む。
必死の顔で、首を横に振りながら。
そんな幼馴染に、シードは小さく微笑んで見せた。

「バカ……何、泣いてんだ」
「泣いてねえよ!」
「……変わらねえな、お前」
「泣いてねえ!」
「なら、離せよ……」
「バカかお前!お前がこれに触れたりしたら、本当に……!」

一番愛していた母親に……裏切られたと―――――思った。
それ以来、何かを信じることが―――――怖くなった。
失う痛みを、知ってしまったから。

でも……この雷の侯爵だけは。
どんなにシードが変わっても、何をしても、変わらずただそこにいてくれた。
それに……どんなに救われたか。この考え無しの大食漢は、気付いてもいないのだろう。

「俺は……大丈夫だ」
「シード……」
「俺は……イエンタイラー侯爵だ。聖の力を……継ぐ者だ」

魔に対抗できる、唯一絶対の、力。
それがこの血の中には確実に存在している。

「死を早めるだけだ」
「……うるせえよ、黙って見てろ、シオン」
「その魔石は普通の魔石ではないからね。アドラの杖から与えられる無限の魔の力を、お前だけで浄化できるとでも思っているのか?」
「さあな……」

その圧迫感に、汗がどっと吹き出る。
心臓がわしづかみにされているような、痛みすら感じた。

「だけど……絶対にできないってこともない。絶対にできる保障もないけどな」

不敵に笑って見せたのは、精一杯の抵抗だ。
シードは自分を支えているレヴィン、そして倒れているリーフを支えているゲオハルトと、イシュタルを順番に見やった。

「……何とか、してみせる。お前達は……キールを何とかしてくれ」
「シード……」
「アイツさえ、正気に戻ってくれたら、姫が……きっと」

だから、自分達はやるべきことをすればいい。
そう考えて、シードは目の前に立つ、その赤い柱をもう一度見つめた。

―――――ゆっくりと、手を伸ばす。
それが、自分にとって最高の毒になると―――――分かっていて。