Clover
- - - 第18章 言霊6
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傭兵として生きていく中で、死にそうになる大怪我は何度も負った。
毎日が戦いだったから、怪我は日常茶飯事で。
そのせいでひどく痛覚が鈍くなっていたことは、自覚があった。

でも―――――いくら痛覚が鈍いとはいっても。
痛いものは―――――痛いわけで。

左の首筋の動脈が、ドクン、ドクンと動いているのを、いやにリアルに感じる。

(……嫌な予感はしてたんだけどね)

キールが剣を持って入ってきた時から、そんな気はしていたのだ。
ただそれをまさか、他の諸侯と絡めるとは思わなかった。
これでは彼等は動けない。

(参ったなぁ……)
(しかもちょっとヤバイところ刺されたし)

肩先という箇所が悪い。
起きるためにも、刺さっている剣を抑えるにも、都合が悪すぎる場所だ。

腕に、そして背中に、冷たい床の感触よりも、生暖かい自分の血の感触がするというのも、あまり気分のいいものではない。

「……キール」
「……」

無表情に自分を見下ろすその紫の瞳は、何も映してはいない。
少し照れたような、言葉を選んでいるような、そんな彼本来の物ではない。

「キール」

自分に突き立てられている剣を握る手は、爪も剥げて、血が滲んでいる。
抵抗したのだろう。
キールが、あの気性で、シオンにおとなしく従うとも思えない。最後まで、その意識が消えるその瞬間まで、抵抗し続けたに違いない。

「おかしいでしょう?私ね、嬉しいの」
「……」
「心配してなかったわけじゃないのよ?でも確信があった。貴方に命の危険はないって……確信が。そしてその通りだった」
「……」
「だから、嬉しいの。生きていてくれるだけでいい」
「……」

ギリギリとフィアルの肩には剣が確実に食い込んでいく。
その力が緩められることはなく、その刀身を握っているフィアルの手を容赦なく抉っていた。

痛いというよりは、熱い。
どうしてかハッキリとした意識の中で、フィアルはそう思う。

その刀身が鈍い赤い光を放っていることにも、それが自分の気を飲み込んでいることにも気付いているのに。
視界の端には、ゲオハルト達がシオンと話しているその姿も見えているのに。

「キール」

フィアルは剣を握っていた両手のうち、刺されていない方の腕をそっと外した。
抑える力が半分になり、ズブリと肉が抉られるのがわかる。
しかしフィアルはその手をゆっくりとキールの頬へと伸ばした。

血に濡れた指が、男性にしては白いキールの顔をそっと撫でる。
その軌跡は赤い線になって、残る。

「大丈夫だから」
「……」
「目を―――――覚まして」

しかし、柔らかなその声にも。
キールは何の反応も示さなかった。


* * * * *


ポタリ。
シードの額から流れ落ちるのは、汗ではなかった。

「シード!」

ポタポタと溢れ出す鮮血に、リーフが悲鳴に近い声を上げる。
しかしシードはその柱に触れたまま、微動だにしなかった。

「……聖属性の者が、それだけの魔に触れたらどうなるかなんて、子供でもわかりそうなものだけどね」

シオンは不愉快そうに言い捨てる。
今にも崩れ落ちそうなシードの身体を、背後から両手で支えながら、レヴィンはそんなシオンを睨み付けた。

「お前には、一生わからねえよ」
「……わからない?ああそうだね、僕は聖の力のことなど知りたくもないね。汚らわしい、そんな力は」
「お前は自分で頭がいいと思ってるんだろうが、違う。お前は何もわかっちゃいねえんだ」
「……どういう意味だ」

魔の力をその身に受け、浄化しようとしていることで、その身体には想像もつかないほどの負担がかかる。
そのせいで、あらゆる場所の毛細血管が破れ、シードの身体はゆっくりと赤に染まっていった。

「お前はオレ達や、キールを愚かだと言う。でも本当に愚かなのは、お前だ」
「……」
「お前は愚かで、哀れな奴だ。それを誰もお前に教えてはやらなかった。だからお前は愚かなまま、こうして繰り返すんだ」

シードの身体から感じる、確かな聖の力。
もう半分意識がなくても、それは圧倒的な魔と戦い続けている。

レヴィンの言葉に、シオンは今までとはまるで違う、苛立ちにも似た感情を始めて露にした。

「お前のような……自分の力も制御できないような者が、何を言っても説得力がないね」
「そうだな、オレは確かに自分の力も制御できねえよ。でも、お前とは違う。オレは知ってる」
「知っている?何をだい?」
「オレは知ってる……どれだけ自分が弱くて、無力かを。お前のように、自分が愚かだと知らない奴と一緒にするな」

自分が弱いこと……無力であること。
そして―――――その悔しさ。
嫌と言うほど知っている。
あの内乱の中にあった自分達は……痛いくらいに。

守りたかったものを守れない。
死んでゆく人を、救えない。

滅び行く大地を見ながら、何もできない。
日に日に衰えていく、魔導力。

それがどんなに苦しかったか―――――つらかったか。
侯爵家の血を引きながら、何もできない日々が、どれだけ悔しかったか。

それがシオンにわかるはずがない―――――決して。

「……何を言うかと思えば。僕が僕自身を愚かだなどと認識するはずがないだろう?」

シオンはフン、とその言葉を一蹴する。
緩やかに、栗色のその髪が揺れた。
シードとも、キールとも同じ色だというのに、その色は硬質で冷たいものに見えた。
その瞳には、明らかな侮蔑の色が浮かんでいる。それは昔、イザークを殺したその時と、同じ色だった。

「……だから、わからないのよ」

突然口を挟んだイシュタルに、シオンはそのままの瞳を向ける。
自分より劣っている者に向ける、軽蔑と優越の混じったその瞳。

「自分がこの世界で一番賢いと思ってる。失くして困る物も、守りたいと思う者も何もないアンタには、わからないのよ」

―――――守りたかったの。
ずっと一緒にいてほしかったの。
ただ―――――それだけ。

―――――ああ、わかってしまった。
その気持ちだけで、ずっと憎んできた男に、今自分が抱いている感情が何なのか。





「可哀想」
「……何?」

イシュタルの瞳から、知らず涙が溢れた。





「アンタは……可哀想だわ」





(―――――ねえ、イザーク)
(そうでしょう?)





彼を失ってから、ずっと心にかかっていた霧が晴れて、初めて目の前が開けたようで。
イシュタルはその涙を拭おうともせず、ただ静かに俯いた。

はらはらと涙を流す彼女の肩を、強く抱いたのは。
きっと同じ想いを抱き続けていたはずの、リーフだった。