Clover
- - - 第18章 言霊7
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「目を―――――覚まして」

ガツンという音がして、フィアルはその剣が完全に自分の肩を貫き通したことを知った。
赤い光に意識と体力の全てが吸い取られていくのがわかる。
強い魔の力が、身体中を支配しようとしている。

「……キール」

それでも。

「キール」

名前を呼ぶことを、止めてしまったら。
きっともう二度と―――――彼に逢えない。

フィアルの赤く染まった指が、ゆっくりとキールの頬を伝う。
まるで人形のように、その表情は変わることはないけれど、それでも暖かかった。

生気を吸い取る速度が思ったよりも遅いのは、シードの聖の力がそれを阻んでいるからだということも、フィアルにはわかっていた。イシュタルが……そしてリーフが、泣いているのも。

(―――――大丈夫)
(もう―――――彼等は大丈夫)

二人を連れてきた理由は、それだけだ。
きっと二人は、断ち切れるだろう。
―――――自分を縛る、その鎖を。

(断ち切れないのは……私ね)

静かに目を閉じる。
そう、自分だけがいつまでたっても、断ち切れない。
―――――断ち切れる日を、望んですらいない。





全てはあの日の……ユーノスの死から始まっていた。
いや、本当はもっと以前から、始まっていたのかもしれない。
けれどあの光景だけは―――――何年たっても、記憶が薄れることはなかった。

(―――――ディシス)
(本当はね……怖かったの)
(話してしまえば、あの時の自分が―――――蘇る気がした)

あれは―――――初めて自分が、人を殺した日。

怖くて。
自分自身が怖くて。
自分の中には、自分でもどうにもできない力があることが、怖くて。
ただ―――――怯え続けていた。





―――――ポタリ。





「……?」

考えを巡らせていた頬に、水滴が落ちる感触がした。
それを不思議に感じて、フィアルはゆっくりと瞳を開ける。





―――――ポタリ……ポタリ……。





それは、一定のリズムで彼女の頬に、首に、降り続けていた。





「―――――キール……?」





フィアルは至近距離にある彼の顔を、驚きと共に見つめていた。

感情の戻らないその紫の瞳から、溢れる涙。
フィアルを拘束する力も、その表情も、変わらないのに。
その涙だけがただ、彼女に降り続ける。
フィアルが血にまみれた手で触れた頬を流れるそれは、淡い紅に染まっていた。





―――――ああ。
―――――彼は……。





「……聞こえているのね」
「……」
「ちゃんと、聞こえているのね……」

答えはない。
それでも、フィアルにはその沈黙こそが肯定のように思えた。

魔を帯びた剣は、容赦なくフィアルの身体から力を奪っていく。
シオンにしてみれば、それは完璧な計画だったのだろう。フィアルがキールに対して、攻撃を与えることができないこともわかっていたのだろう。

―――――でも。

魔導力などなくても、武器がなくても、攻撃を加えることができなくても。
それでも、術がないわけではないのだ。

誰もが持っているもの。
その力に、ほとんどの人間が気付けないだけの。

「……キール」

聞こえるのなら。
この声が……彼に聞こえているのなら。

「ねえ……キール」

きっと―――――届く。





「この花が―――――好き?」





キールの頬に当てていた手をそっと外すと、フィアルは胸にかかっていたその水晶の花を、彼の目前にかざして見せた。
それは、フィアルとキールしか知らない、あの場所での会話。

言葉は時に―――――何より大きな力になる。
かつて先人がその知識を本に残し、後々まで語り継がれることもあるように。

柔らかに微笑んで、フィアルはもう一度それを繰り返した。

「この花が―――――好き?」
「……」
「私は……好きよ。とても、好き」
「……」
「……キールは……?」

その瞬間―――――。
紫の瞳は、小さく揺れた。





(貴女が―――――)
(笑ってくれる)





パキンッ……





(それだけで……)





パキン……!





(それだけで……いいから)





パキンッ……!





「……何?」

イシュタル達に気を取られていたシオンが、その異変に気付く。
フィアルをその力で押さえ込んでいた身体が、小刻みに震え始めていた。

「……あの暗示が……解ける……?」

キールの口から、荒い息遣いが漏れ始めた。
それをフィアルは微笑を崩さずに見つめ続ける。





「……好き……です」





掠れた声。
けれど確かに、フィアルの耳にそれは届いた。





「俺……も……好き……です」





ボロボロと涙を溢れさせたその瞳は、不安気に揺れている。
そのまま剣を握り締めていた手が外され、キールの身体はフィアルの上に崩れ落ちた。

「ッ……!」

声にならず、キールはただ嗚咽を繰り返す。
一番大切な人を、自分が傷つけたことは……分かっていた。今ぼやけた視界に映るそれを見れば、その事実は消しようがない。

ああ……早く。
早く……この剣を抜かなくては、いけないのに。

どうしても力の入らない身体に、情けなくてまた涙が溢れた。
守りたいなんて、そんなことをどの口が言ったのだろう。
いつも傷つけるだけで、苦しめるだけで。
―――――足を引っ張ってばかりだ。





「……キール」





―――――なのに。
どうして、貴女は。

剣が突き立ったまま、緩やかに背中を抱きしめてくれる手に。
キールはどうしようもないほどの、安心感を感じていた。