- - - 第18章 言霊9 |
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「……しかし……」
シオンの気配が、完全に館から消えた後。
はぁ……とため息をついて、ゲオハルトは自らの主へと近付いた。
その呆れたような様子に、フィアルは怪訝そうに眉を寄せる。
「……何よ」
「怪我人、出すぎだろ?お目付け役で来たのに、これじゃオレがアゼルに怒られるじゃねえか」
そう言いながら、ゲオハルトは両腕から籠手を外し、その内側に巻いてあった包帯をくるくると解いた。
そしてそれをフィアルの肩へ強く巻きつけていく。
しかし、みるみるうちに赤く染まっていく包帯を見て、未だ止まっていないその出血に、ゲオハルトの眉間の皺が増えていった。
「私は平気だから、とりあえずキールとシードを……」
「馬鹿言え。どう贔屓目に見たって、一番重症なのはおひーさんだぞ」
「……私は慣れてるから、いいって」
「慣れてたって、血が出すぎりゃ死ぬ時は死ぬんだ。おい!イシュタル!」
突然名前を呼ばれて、我に返ったように目を見開いたイシュタルを、ゲオハルトは手招いた。
「悪ぃけど、おひーさんに癒しの術をかけてくれ。この中で一番得意なのはお前だろ?」
「いいよ、私自分で……」
「ダメだ。怪我人は力を使うな」
「……う」
いつにないゲオハルトの強い言い方に、フィアルは口を噤む。
確かに彼の言うことが正論すぎて、反論ができない。
「リーフ、お前はレヴィンと一緒にシードに癒しの術を。レヴィンは下手くそだからな」
「悪かったな……」
「ま、キールはとりあえず外傷はねえから大丈夫だろ」
はじかれたようにイシュタルの肩から手を離して、リーフはシードの元へ駆け寄る。
イシュタルも同じように、フィアルの元へとやってきた。
その間にゲオハルトは、倒れたままのキールを抱き起こす。
「悪いわね……イシュー」
「……ううん」
ゲオハルトに強制的にソファーに座らされたフィアルは、力なく笑う。
その顔にいつもの覇気はない。これだけ血が出ればそれも当たり前だとイシュタルは思った。
包帯で巻かれたフィアルの肩に触れ、そっと癒しの力を使う。
触れた肩は熱く、熱をもっているのは一目瞭然で、痛々しい。
長く傭兵生活をしているから、慣れているのだと言っても、ゲオハルトが言うように痛くないわけはない。
それでも彼女は―――――そうやって、笑うから。
「イシュー……?」
術をかけながら、イシュタルの瞳からポロポロと大粒の涙が溢れた。
ずっと流していなかった反動だろうか、箍が外れてしまったように、止まらない。
「イシュー、ど、どうしたの?やっぱ気持ち悪いなら自分で……」
「……ん……さい」
「え?」
「ごめん……なさい……フィール……」
何も分かっていなかった。
ただ憎むのは、楽だった。
心を閉ざした、フリをするのも―――――楽だった。
楽な方へ、楽な方へ、逃げていただけ。
魔竜のことにしてもそう、受け入れるのは苦しかったから、憎むことで逃げただけ。
偉そうに、この姫君に意見する資格なんて、本当はなかったのに。
「ごめんなさい……ごめん……」
「……バカ、何を泣くの?」
「あたし……」
イシュタルが癒しているのとは逆の手で、フィアルはその銀色の髪を撫でた。
その仕草はどこまでも、優しい。
優しすぎて、また泣けてしまう。
「あたし……魔竜に会いたいわ」
「……イシュー……」
「今なら会える……あたし、会いたいの」
「……そうね、ありがとう……嬉しい」
涙に濡れた瞳を上げると、フィアルの柔らかな微笑があった。
それが素直に嬉しいと思えるのは、自分がやっと前に踏み出せるからなのだと、イシュタルは思う。
「お前は……?」
「え?」
そんな二人の姿を見て、シードに一緒に術をかけていたレヴィンは、隣のリーフへと問いかける。
レヴィンも魔竜には対面していない。
レヴィン自身は会ってもよかったのだが、リーフに強硬に反対されていたから保留していただけのことだ。
「お前は、どうなんだ?もう、会う気になれたか?」
レヴィンもフィアルと同じような、柔らかな顔をしている。
諭すように、努めて穏やかな口調に、リーフもまた、笑った。
「……わかったよ、会ってやるよ」
「そっか」
照れ隠しなのだろう。
そのぶっきらぼうな言葉に、レヴィンはまた笑うと、ポンとその蜂蜜色の頭を叩いてやった。
久々に感じる穏やかなそれに、キールを抱えたままのゲオハルトも自然と笑顔になる。
「よかったな……キール」
キールは気を失ったまま、ぴくりとも動かない。
けれどきっと意識があったなら、めったに見られない柔らかな顔で、微笑んでいただろうと思う。
「後は……オレがアゼルに怒られるだけか」
それを思うと多少気鬱にならなくもないのだが。
それ以上の満ち足りた気持ちで、ゲオハルトは目の前の光景を見つめていた。
* * * * *
「……痛い?」
「大丈夫、大丈夫」
心配そうに自分を見上げる真紅の瞳の少年に対し、ベットの上でグッと握りこぶしを作るフィアルに、ディシスは呆れた視線を向けた。
「なぁにが大丈夫、だ、このバカ娘。その顔色で何言っても無駄だ」
「……ちょっとばかり血がいっぱい出ただけだもん」
「ちょっとばかり……ねえ」
部屋の椅子に置かれた血だらけの服をつまみ上げて、ディシスは冷たい視線を向けてくる。
これだけ出れば充分だ、と言いた気なその顔に、フィアルはこそこそと顔下まで毛布を引っ張った。
「もうちょっと刺さった場所がずれてたら、いくらお前でも死んでたぞ。ただでさえ痛覚が鈍いんだから、己の限界を知れ、このバカ娘」
「またバカって言った」
「バカにバカって言って何が悪い」
実際帰ってきたフィアルを見た時、ディシスは内心、心臓が止まるかと思ったのだ。
フィアルはノイディエンスタークにいる時は、ほとんど白い服を着ている。本人的には黒の方が汚れが目立たなくていいと言ったらしいのだが、女官達はそれを許さなかったらしい。
その白い服が、真っ赤に染まっていたのだ、誰でも驚く。
「シオン、逃がしたって?」
「逃がしたんじゃなくて、見逃しただけ」
「ま、お前らしいけどな。落とし前はキール本人にって思ったんだろ」
「説明しなくていいのは本当に楽ね」
未だ青白い顔のまま、フィアルは笑う。
ディシスは無言でそんな娘に近付くと、肩を押してそっと横たわらせた。
「血の気が足りねえな、チヂリ食え、チヂリ」
「……げえ」
「お前が肉があんまり好きじゃねえのは知ってるけど、食え」
「お腹減ってない……」
「お前、オレに口移しで食わせて欲しいらしいな」
「……思いっきり遠慮致します」
チヂリはリトワルトの港のある湾の中に生息する海獣で、その肉は強い赤身であり、増血剤と言われている。
ただし、かなり癖があるので、珍味としてしか人の口には入らない物だ。
「ほら、私最近お姫様生活に慣れきってきたから、そういうものは口に合わな……」
「ああん?チューするか?」
「……ヤダ」
しかも口移しってベロチューじゃん……とフィアルはブツブツ文句を言う。
それにちょっと笑って、ディシスは近くに置いてある水桶から浸した布を取り出すと、固く絞って娘の額に置いてやった。
「少し眠っとけ、フィーナ」
「……寝てる間に変なことしないでよ?」
「……お前、オレを何だと思ってんだよ」
「ベロチューなんてしたら、妊娠する危険性のある男」
「……ほほぅ、お前そんなにオレの子供が産みたいのか?親子だけど血は繋がってないからな、問題ねえぞ?」
「やだよ、ディシスの子供なんて、リンフェイの子供と同じ位ヤバい子供になっちゃう」
「アイツと一緒にすんな!!」
どうにもリンフェイと同列だけは許せないらしく、ディシスは声を荒げた。
ネーヤだけが二人のある意味大人の会話についていけず、きょとんとしている。
「冗談よ、ディシスと一緒に寝たって今更そんな気分にならないでしょ」
「当たり前だ、お前は完全にオレの中では対象外だ。一緒に風呂にまで入ってた、ちっこい娘に欲情する趣味はないぞ」
「ま、されたらされたで、使い物にならなくするだけの話だし」
「……お前、さらっとそういうこと言うなよ」
がっくりと肩を落としたディシスにくすくすと笑って、フィアルは大きく息をついた。
吐き出される息が、いつもより熱いのは、傷からくる熱のせいだろうか。
「ま、本当にもう休め、フィーナ」
「そうする……」
「お休み、フィーナ」
ネーヤが軽くフィアルの頬に口付ける。
それを見て、ディシスはちょっと考えたように顎に手を当てた。
「……?何?」
「いや、ま……おやすみ」
そう言うと、ディシスは自分で置いたフィアルの額の布を手にとって、そのまま、その額に口付けた。
そしてそのまますぐに布を元に戻す。
あまりにも珍しいディシスの行動に、フィアルだけではなくネーヤも目を丸くしていた。
「……どういう風の吹き回し?」
「いや、なんとなく。ネーヤに触発されて」
「……やめてよ、気味が悪いじゃない」
「お前さ……一言多いんだよ、とりあえず寝とけ」
そして小さく笑うと、ディシスはネーヤを促して部屋を出て行った。
静寂の戻った部屋で、フィアルは静かに目を閉じる。
身体が熱い。
こんな時にはきっと、ろくな夢を見ない。
そう分かっていたから眠るのはイヤだったのだが、身体が休息を求めているということもわかる。
夢も見ないほど、深い眠りに入ってしまおう。
そう思いながら、仕方なくフィアルはそのまま、眠りの海へ身を委ねた。
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