Clover
- - - 第19章 邂逅1
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結局のところ、自分はコマに過ぎないことを、ファングはよく知っていた。
シオンやジョルド・クロウラ、そしてかの人にとっても。
もちろん自分も、彼等に心からの忠誠など誓っていたわけではなかった。
むしろ、軽蔑すらしていたのだ―――――本当は。

リトワルトの地下水路で、ディシスに言ったことは、本心ではなかった。
―――――もう一度、会えるのなら。
そう願う心は嘘ではなくても、主が復活など望まないであろうことは、よくわかっている。
それでも、どうしても諦めきれなかった……納得ができなかった。

何故、主はあんな風に命を落とさなければならなかったのか。
何故、自分は彼を守りきれなかったのか。

どうにもできない想いが、憎しみになって、彼女へと向かった。
主をその手にかけた―――――あの娘へと。
こんなに苦しいのに、胸が張り裂けそうなほど、つらいのに。
何故―――――彼女は笑っていられるのか。
その程度の想いだったというのか。主を既に過去として振り切ったというのか。
そう思う度に、憎しみが膨らんでいくのがわかった。

その想いを抱えたまま、ノイディエンスタークにいるつもりはなかった。
彼女の祈りで支えられたその大地そのものまでも、憎かった。





(「フィーナはお前に、魔竜を会わせたいそうだ」)





あの姫を、苦しめることなら何だってする。
シオン、ジョルド・クロウラ、そしてかの人の連絡役をしているのも、そのためだった。
あの大地を、彼女の守る国を、滅ぼす―――――そのために。





(「魔竜はリュークの魂の半身だ。わかっているだろう?」)





―――――なのに。
ディシスの言葉に、心が揺れるのは……何故なのか。

魔竜と呼ぶには、あまりにも優しかった、翡翠の瞳の竜。
それは主の気質そのままを受け継いだような、そんな気がしていた。
リュークと魂を分け合った、半身たる存在に、会いたい。
そこに少しでも、主の欠片があるのなら―――――会いたい。





(「フィーナは待っている」)





何故―――――魔竜は……あの姫の傍らにいることを選んだのだろう。
その理由を、ファングはどうしても知りたいと思った。


* * * * *


「ダメです」
「……何で?久々に自主的に仕事をしようって気分なのに」
「ダメなものはダメです。とっとと奥神殿に帰ってください」

自分の執務室に入った途端に、眉を寄せたアゼルに追い返されそうになって、フィアルは口を尖らせた。
いつもは仕事しろ仕事しろとうるさいのに、何事かと言いたくなる。
しかしアゼルにしてみれば、つい一週間前に血だらけで帰ってきたあげく、そのまま眠り続けて昨日ようやく目を覚ましたような彼女に、執務をさせるつもりなど毛頭なかった。

「帰ったってやることないもん」
「おとなしく、ベットに戻って寝ててくれればそれでいいんです」
「もう充分寝たし」
「もっと寝た方が、大きくなれますよ」
「……これ以上大きくなんてなるわけないじゃない。さすがに成長期は終わったし」
「それでも、ダメなものはダメです。少なくともあと一週間は安静にしてください」

いくら癒しのルーンを使ったとはいえ、痛みはあるだろうに。
あれだけの出血だったのだ、貧血気味にもなっているだろうに。
何だってこんな回復が早いのか、とアゼルはため息をついた。
一緒に帰ってきたシードは、全身の痛みで、まだベットからは起き上がれず、キールにいたっては意識すら戻っていないのだ。

「一週間も寝てたら、体が腐っちゃう」
「姫……頼みますから、おとなしくしててください」
「もういいよ、私、ディシスと剣の練習でも……」
「ダメです」
「……じゃあ、賢者の塔で……」
「ダメです」
「……じゃ、じゃあ視察にでも……!」
「ダ・メ・で・す!」
「何なのよ!もう!」

提案をことごとく却下されて、フィアルはバンッ!と机を叩いた。
しかしそれに動じることもなく、アゼルは「ダメなものはダメです!」と言い返す。
グググ……と二人が睨み合いに入ろうとした時、執務室に書類を手にしたレヴィンが入ってきた。

「……何やってんだ?二人とも」

激しい怒りを浮かべて睨み合っている二人に、レヴィンは首を傾げる。
助かったというように、アゼルは視線をレヴィンへと移し、一応は主であるフィアルを指差した。

「レヴィン、お前からもなんとか言ってやれ。昨日起きたばっかりなのに、もう仕事をするとかいうんだぞ、この姫は」
「ええっ!姫ってそんなに仕事熱心だったっけ?」
「うるさいなぁ、暇なんだもん!仕方ないでしょーが!」

暇じゃないと自主的に仕事をしないのもどうか、とアゼルは思ったが、とりあえず言葉を挟むのはやめておいた。

「無理しないで寝てろよ、姫。一番重症だったくせに、なんで一番元気なんだ?」
「寝てるのも、飽きた」

レヴィンはアゼルの机の上にある、『未決済』の箱に持っていた書類を放り込むと、笑いながらポンポン、とフィアルの頭を撫でた。そのままフィアルを促して、扉を開ける。

「アゼル、オレが送ってくるから」
「悪いな、頼む」
「ええっ!?戻るの!?」
「いいから、おとなしく戻れって」

ほら、と背中を押されて、フィアルは仕方なく部屋の外へと出る。
一度振り返ると、心配そうな瞳のまま、複雑な顔で笑っているアゼルがいた。

(―――――ズルイなぁ……)
(そんな顔されたら、何も言えないじゃない)

フィアルはふぅ、とひとつため息をつくと、おとなしくレヴィンに従った。


* * * * *


王宮から神殿へ向かう回廊を、フィアルの体調に気を使っているのか、レヴィンはゆっくりと歩いていた。
本人はあまり意識していないのだろうが、こういうところはやはり侯爵家の人間だなぁと、フィアルはぼんやり思う。

「レヴィンはシードについてなくて、いいわけ?」
「シードぉ?なんでオレがシードにベッタリくっつかなくちゃいけねえんだ?」
「え?だって……」
「行ってもムダムダ。ベットの周り女だらけで、鬱陶しいったらねえの」

本人は痛みがひどいもんだから相手にしてねえんだけどさ、とレヴィンは笑った。

「キールは、まだ目が覚めてないみたいね」
「ああ……帰ってから脱がしてみたら、全身傷だらけだったみたいでさ。かなり抵抗したらしい。ま、らしいけどな。とりあえず身体の傷より、精神的疲労の方が大きすぎるから、しばらくは絶対安静だって、メナスも言ってたぜ?」
「そう……」
「イシュタルとリーフは落ち着いてる。姫が起きたら、オレも一緒に三人で魔竜のところに行こうって話してた」
「……うん」

少し考え込んだフィアルに、レヴィンは困ったような顔をする。
そのまま手を伸ばして、ツン、とフィアルの鼻先を突付いた。

「珍しいな、姫がそんな顔すんの」
「……私だっていつも笑ってるわけじゃないわよ」
「ま、今は周りの心配より、自分の心配した方がいいって。アゼルやシルヴィラや、ディシス様達を安心させるためにもな」

諭すように話すレヴィンに、フィアルは苦笑する。
いつもは食べ物に目のないだけの男なのに、今日に限っていやに兄ぶっているのは、フィアル本人の覇気がまだ本調子でないということだろうか。

「でもいくらレヴィンだって、起き抜けにアレを食べさせられたら、イヤになると思うけどな……」
「え!?何、何食ったって?」
「チヂリ」
「……何だそれ?」
「わざわざディシスがリトワルトから取り寄せた、珍味」

チヂリの肉を発酵……いや、正直に言えば腐らせて日干しにした、増血剤と呼ばれる赤みの干肉。
ちょっと酸っぱい風味がたまらないという人もいるが、フィアルにしてみると、あまり積極的に口に入れたくはない食べ物のひとつであった。
目を覚ました途端、それを食べさせられたのは百歩譲るとしても、なんだってあんなに大量に手に入れているのか。なんだかそこに、あのリトワルトの大女が絡んでいるような気がして、フィアルは不機嫌に奥神殿を抜け出すことになったのだ。

「余ってんのか?」
「ディシスに聞いたら、食べさせてもらえると思うけど?」
「へぇ、後で聞いてみよう」

後悔しないといいんだけど……と肩を竦めたその時、フィアルの身体に急に、響くものがあった。





(……え?)





体中に突き抜けるような、その感じ。
それは間違いなく、フィアルの奥神殿に張り巡らせた結界に誰かが近付いていることを示している。

「……姫?」

突然目を見開いて動きを止めたフィアルの顔を、レヴィンは怪訝そうに覗き込んだ。
しかし神妙な顔で、フィアルはそのままレヴィンを見返す。

「レヴィン、悪いけど、急いでディシスを探して、奥神殿に来るように伝えて」
「……ディシス様を?」
「ついでにアゼルも」
「アゼルも!?さっき会ったばっかりじゃんか!」
「いいから!お願いね!」

それだけ言い置くと、フィアルは神殿へと走り出した。
背後から、病み上がりなのに走るな!というレヴィンの声が聞こえたが、そんなことは気にしていられない。





(―――――来た)





そう、ついに彼は来たのだ。
ディシスが、そしてジェイドが、待っているこの場所に。





(―――――来てくれた)





回廊を駆け抜けていくフィアルを、神殿にいた女官達が驚いた顔で見送る。





(ファング―――――)





かつて、ディシスの親友だった彼は。
魔神官と呼ばれた青年の、一番側にいた彼は。
―――――誰よりもフィアルを、憎んでいるであろう人。

だからこそ―――――待っていた。
ディシスも、ジェイドもそれを望んでいなくても。
フィアルは、ずっとそれを待っていたのだ。

神殿から細く続く回廊を走り抜ければ、剛健な一枚の扉がある。
その向こうへの出入りを、フィアルは特別な人間にしか認めていなかった。

―――――奥神殿。
それは、フィアルにとっても、おそらくファングにとっても、特別な場所で。

彼女は迷わずその扉を開け放つ。
魔竜がいる場所へは、フィアルの許可なくは絶対に近づくことはできない。
ファングが現れるのはおそらく、中庭だ。

竜の涙という名の小さな花が、彼を出迎えるだろう。
内乱が起こる前の、あの懐かしい記憶と共に。