Clover
- - - 第19章 邂逅3
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ディシス達がその場所に着いた時、目に入ったのは、魔竜に身体を預けて眠っているフィアルの姿だった。

「……おーい」
『……起こすな』

魔竜が咎めるようにディシスへと視線を向けた。

「でも魔竜殿、オレ達をここへ呼んだのは、フィーナですが」
『待てばいいだろう』
「……いや、そうですけど」

ノイディエンスタークに戻ってからすぐ、ディシスはジェイドと会っている。
人のことは言えないと思うが、この魔竜もフィアルには甘い。
愛しむような優しい翡翠の瞳は、全く違う色であるのに、どこか半身たる彼に似ていた。

『……来たか』
「……魔竜……殿」

ジェイドはディシスの横で、信じられないといったように目を見開いているファングをじっと見つめている。
静かなその瞳は、彼が自らの意思でこの場所にいることを、如実に示していた。

「……何故です」
『……』
「何故、貴方は……」

魔竜は、リュークの半身。
本当なら、一番自分に近しい想いを抱いていると思っていた。
半身を奪われ、かの姫を憎んでいると。

けれどジェイドがフィアルを見つめる瞳は、どこまでもどこまでも、優しい。
それはリュークが、フィアルを見つめていた瞳そのものだった。

『……お前は、テーゼを憎むか』
「……その娘が、リューク様を殺したのです」
『だから憎むのか。テーゼが望むように、お前は憎むか』
「望む?」

組み合わせた前足を横抱きにするように眠るフィアルへ、一瞬だけ視線を走らせ、ジェイドは再び隻眼の男を見つめた。

『テーゼは……嬉しいと言っていた』
「嬉しい……?」
『お前が来てくれたのが、嬉しいのだと。お前だけが今、自分を心の底から憎んでくれる存在だからと、そう言っていた』

その言葉は、ディシスの心に重く響いた。
どこまで、この娘は自分を責めれば気が済むのだろう。

「バカ娘……」

彼が、搾り出すように小さく呟いたその言葉は、ファングとアゼルの耳にも届いていた。

『……憎いか』
「……魔竜殿……」
『テーゼが、本当に憎いか?お前は』

―――――憎い。
そう、憎かった。
殺してやりたいと、思うほどに。

リュークの死を知って、守るものが何もなくなって、想いを向ける場所がどこにもなくて。
それでも生きていくために。
―――――理由が、必要だった。





(生きていてください)
(側にいさせてください)
(守りたいんだ)





心の底からそう願うのに、ジークフリートもリュークも、自分を置いて逝ってしまう。
胸の奥から突き上げるように湧き上がる感情に、ファングは思わず、両手で顔を覆った。





―――――憎んでいるんだ。

(そうでなければ)

―――――憎んでいいんだ。

(壊れてしまうから)





(「守ってくれ、あの子を」)

ジークフリートの言葉が、頭の中で繰り返し、繰り返し響く。

(「俺は守りたいんだ……彼女を」)

リュークの言葉が、胸を締め付ける。

どちらの言葉も守れない自分を、責め続ける―――――。





「……ジェイド」

突然響いたその高く甘い声が、ファングを現実へと引き戻した。

「……それ以上は、ダメ」
『テーゼ』

彼の前足からゆっくりと身を起こして、フィアルは立ち上がった。
結い上げていた髪がほつれて、一部がさらりと彼女の肩を覆う。

光に溶けるような、淡い淡い白金は、光の力を受け継ぐ、大神官家の血を引く者だけが纏う、高貴な色だった。
彼女に母親であるユリーニの面影はどこにもない。
その顔は、怖いくらいに父親であるジークフリートに似ていた。

そして―――――それは。





(―――――ああ)





分かっている。
もう、分かっている。
本当は―――――分かっているのだ。





魔竜の優しい瞳に、リュークの想いが見える。
ディシスの眼差しに、ジークフリートの心が見える。
最初から―――――もう最初から、本当は分かりきっていた。

もしも、もっと自分に力があれば。
ディシスのように、守りながら落ちのびることに成功していたならば。
あの青年は、あんな最期を辿らずに済んだのかもしれない。
リュークとフィアルは、祝福はされなくても、それでも幸せに生きていくことができたのかもしれない。
例え―――――ノイディエンスタークが、滅んだとしても。

……でも違う。
二人はそうして大地を見捨てることなど、できなかった。
優しすぎるくらいに、優しい二人の想いが、それを許さなかった。





選択は―――――残酷だった。





「やめて」
「……」
「自分を責めるのを、やめて。私は―――――ここにいる」

顔を覆った指の隙間から見える彼女は、真っ直ぐに自分だけを見据えていた。

「私は、貴方の主を殺した」
「……ッ!」
「殺したのは私。奪ったのも……私。だからファングには、私を憎む権利がある」
「私は……」
「リトワルトの地下水路で、私は貴方に言った。憎んでいい、恨んでいい……今でもそれは変わらない。だからお願い、私を憎んで」

フィアルはふっと瞳を伏せると、その両手を横へと広げた。

「その腰の剣で、刺したければ刺せばいい。切りたければ、切っていいわ」
「姫!……何を言って!」

アゼルの制止を振り切るように、フィアルは叫んだ。





「目の前にいるのが、貴方の主を殺した女よ」





(―――――リューク様)

フィアルの叫びに、ファングは俯いたまま、カチャリと腰の剣に手を伸ばした。

(リューク様……)

この姫が、貴方を―――――殺した。





優しい人だった。
ジークフリートと、よく似た優しさを持っている人だった。
一度たりともこの姫を……憎むことはなかった。
貴方の得られなかったものを、全て持っていたはずの、この姫を―――――何故憎まなかったのか。
憎むどころか、貴方は何故―――――愛してしまったのか。

許されない想いだと、分かっていたはずなのに。
それでも―――――何故二人が惹かれあってしまったのか。

彼女を愛していると告げられた時、正直に言うと、自分は戸惑った。
けれど―――――リュークの瞳は、悲しく揺れていながらも……真剣だった。
あまりにも強い想い。
リュークが自分から何かを欲したのは、それが最初で最後だった。





剣を構えて、真っ直ぐにフィアルを見つめる。
アゼルの身体が強張り、攻撃態勢をとったのが分かった。しかしその傍らにいるディシスは、静かにファングを見つめているだけだった。

フィアルは両手を広げたまま、微動だにしない。
しかしその大きな瞳には、揺れる想いが満ちていた。

(そういう……ことか)
(そういうことなのか……ディシス)

同じ……なのだ、この姫は。
自分と同じ想いを抱いているのだ。
自分で自分を許せない。
けれどファングのように、誰かに憎しみをぶつけることも、できない。
彼を殺したのは、紛れもなく彼女自身であるのだから。

だから、裁いて欲しいのだ―――――誰かに。
だから、ずっとずっと待っていたのだ、ファングを。

彼女の背後にいる、その竜へとちらりと視線を動かす。
主の半身である存在は、柔らかな、優しい眼差しを彼女に向けたままだった。




(リューク様)
(リューク様……)
(リューク様……!)





どれほど、望んでも叶わない願い。
抱き続けて、苦しんで、泣いた。





そんな自分に……同じ想いを抱き続けた彼女を……どうして殺すことができるだろう。