Clover
- - - 第19章 邂逅4
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ザシュッ……!

ファングの手に握られていた剣は、フィアルの前の大地を抉っていた。
そのまま、その大剣を大地に突き刺し、ファングは崩れ落ちるように、跪いた。
後から後から流れ落ちるのは、大粒の涙。
どうしようもないくらいに、いろいろな感情が胸の中を渦巻いて、言葉にならない。

そんな彼をフィアルは見ることもなく、両手を広げたまま、ただ立ちすくんでいた。





(まただ……)
(また、なんだ……)





もう、ファングはきっと自分を憎むことはないのだ。
この―――――魔竜のように。
そんなことは、分かっていた。
だからファングを、ジェイドに逢わせたかったのだから。

けれどそれとは逆に、胸に満ちていく―――――深い絶望。
まるでやまない雪のように、静かにけれど確実に降り積もっていく、闇。

それを―――――なんと呼べばいいのだろう。





「ファング……」

ディシスは崩れ落ちた親友の肩を、柔らかく抱いた。
剣の柄を握ることで、必死にその大きな身体を押し留めているファングは、声を殺して泣き続けていた。

「守り……たかっただけだ」
「……ああ」
「私は……リューク様を……ジークフリート様を守りたかった……ッ!!」
「……ああ、わかってるよ」

血を吐くような、悲痛な叫びが彼の本当の心。
大切な、大切な人だった。
本当なら、ユーノスのように……一緒に逝きたかった。

ディシスにも、そして今フィアルの副官をしているアゼルにも、その想いは強く心に響いた。
ディシスの無骨な手が、ゆっくりとファングの背を撫でる。
何もかも、わかっているというように。

そんな二人を見ていると、胸に熱いものがこみ上げる。
アゼルはそれを堪えるように、ふっと視線を動かした。





(―――――え……?)





しかし、その視界に入ってきたのは。
まるで人形のように、表情を失くした自分の主の顔だった。

(……姫?)

これが、彼女の望みではないのか。
ファングを深い憎しみから解放するために、彼女はあんな行動に出たのではないのか。
けれど、その凍りついた表情からは、そんな喜びは感じられない。
あれはあの表情は―――――むしろ。
―――――失望、ではないのか。

(「目の前にいるのが、貴方の主を殺した女よ」)

そう言えば、あんな風に感情的に叫ぶ彼女を―――――自分は見たことがあっただろうか。
もしかしたら、本当にフィアルは、自身を憎んで欲しかったのだろうか。
―――――何故?

そのアゼルの視線に気付いたのか、フィアルは硬かった表情をふっと和らげ、ゆるゆると彼を見た。
その青い瞳には、何も映っていない。何の感情も、読み取れない。
ぞくりとした悪寒が背中を駆け上がる。
それは彼女に対する恐怖ではなく、怯えではなく。
このまま消えてしまいそうな、そんな儚さをフィアルが持っていたからだった。

「……ッ!」

思わずアゼルはフィアルへ駆け寄り、その華奢な腕を掴んだ。
フィアルは、ファングとディシスに背を向けると、背後にいた魔竜へと歩き出すところだった。

「……何よ」

ほどけかけた髪に邪魔されて、フィアルの表情は見えない。けれどその声に、感情は何も篭ってはいなかった。

「離して」
「……姫」

突き放すような言葉。
アゼルには、今フィアルが本気で全てを拒絶していることがわかった。
これまでも、言い争う度に何度も何度も彼女が言った言葉であるのに、その響きはあまりにも違いすぎる。

「フィーナ……?」

その異変にさすがに気付いたのだろう。
ディシスはファングの肩に手を置いたまま、背を向けた娘を呼んだ。
けれどその言葉にさえ、フィアルは振り返ろうとはしなかった。

「姫……」
「……」
「フィーナ?」

不安気な二人の声に、ファングがゆるゆると顔を上げた時。
フィアルは強く、アゼルの腕を振り払った。

そしてそのまま、ジェイドの横を走り抜け、その背後にあった塔の中へ飛び込んでしまう。
急に振り払われて、一瞬バランスを崩したアゼルは、体制を立て直すとすぐにその後を追った。

「姫!」

扉を開けようとするが、フィアルが中から施錠してしまったのか、びくともしない。チッと舌打ちすると、アゼルはドンドンと扉を叩いた。

「姫!」
「おい!フィーナ!」

ディシスも慌てたように塔へと近付いて、声をかける。しかし中からは何の返答もなかった。
アゼルは知らないが、ここは『幽閉の塔』という名の塔だ。その扉は体当たりする程度ではびくともしない。扉を叩く音も、もしかしたら中には聞こえていないかもしれないほど、その扉は厚く、丈夫だった。

「一体……急にどうしたんだ」
「フィーナのヤツ……ッ!」

困惑を隠しきれないアゼルに対し、ディシスは何とかできないかと、その塔を見上げた。
石造りの白亜の塔に、窓は小さな小窓が数箇所あるだけだ。そこからの進入は無理だとすぐに分かってしまう。

「くっそっ!開けやがれ!フィーナ!」

ガチャガチャと力任せにドアを引くが、もちろんびくともしない。
そんな彼を見かねたのか、魔竜は静かに口を開いた。

『……やめておけ』
「そんなわけにいくかっ……!」
『やめるのだ。もう……やめてやれ』

つらそうな響きの篭ったその声に、ディシスは顔を上げる。
二人を見下ろすように首を伸ばした魔竜の顔が、すぐ上にあることに気付いた。

『……時間を与えてやれ、テーゼに』
「……時間……?」
『そうだ。今の我々にはそれしか、してやれることはない』

魔竜の言葉に、ディシスはゆっくりと扉から手を離す。
そして悔しそうに口唇を噛み、俯いた。

「オレは……一人にしないと、誓ったんだ」
『……一人になりたいことも、あるのだ』
「一人でいたって、アイツは……泣かない。分かってるのに、ただ待つことなんて、できねえよ」

しかもよりにもよって、この塔に入ってしまうなんて。
ここは、フィアルとリュークにとってあまりにも特別な場所だというのに。

「……私のせいだな」

ゆっくりと背後に近付いていたファングが、つらそうに切り出した。
その瞳にはまだ、涙の後が消えない。

「私が……姫を追いつめた」
「……お前のせいじゃねえよ」
「いや……私だ。私には……分かっていた。姫が何を望んでいたのか、分かっていた」
「姫が……何を望んでいたというんです?ファング様」

真剣に自分を見つめてくるアゼルに、ファングは遠い日の、ユーノスの面影を見た。
普段は軽い性格であるのに、ジークフリートのことになると、急に真剣になった彼を。

「私は……憎めなかった」
「……よせ、ファング」
「姫は……私に、自分を憎んで欲しかっただけだ。それさえ……私にはしてやれない」
『……それは、俺も同じだ』

ジェイドがそれに同意するように、声を重ねた。
ファングは、ゆっくりと顔を上げ、その翡翠の瞳をじっと見つめる。

「魔竜殿……私は……守りたいのです」
『……ああ』
「リューク様が、望んだように。今度こそ―――――守りたいのです」





『……ならば、俺は愛そう』





竜の愛し子―――――それは彼女が、神竜の半身だからこそ。
けれど……そんなことには関係なく、ジェイドは彼女を愛し、慈しむだろう。
彼が、リュークの半身である限り。

『けれど……いま少しだけ、テーゼに時間をやってくれ』
「魔竜殿……」
『心配はいらない。俺はここにいる』

じっと自分を見つめてくる三人に、ジェイドは力強い視線で答えた。
これ以上ここにいても、ますますフィアルを追いつめるだけなら、自分達はここを去った方がいい。
ディシスはもう一度、彼女が飛び込んだ塔を見上げると、悪い考えを振り払うかのように、ふるふると頭を振った。

「オレ達は、奥神殿に戻ろう……アゼル」
「ディシス様……いいのですか?」
「結局オレは……肝心な時には何にもしてやれねえな」

どうしたらいいのか、何をしたらいいのかと問うた時、フィアルはこう言った。





(―――――最後まで、見届けて)





それしかできないのなら、その願いを叶えよう。
最後まで逃げず、それを見届けよう。





ディシスはそのまま、魔竜へと深々と頭を下げると、アゼルとファングを促して、その場を後にした。
背後にジェイドの視線を感じる。けれど振り返りはしない。
振り返れば、また自分はあの扉を叩いてしまうから。

草を踏みしめて、無言で歩く。
口を開けば、自分への恨み言しか今は出ない気がした。
ある場所まで戻ると、フィアルの結界が霧のように広がり、その場を覆ってしまう。
いつもの中庭まで戻ると、もう塔は結界の向こう側にあり、その姿を見ることもできなくなっていた。

この男は、昔から情が深すぎる。
遠い瞳でぼんやりとその結界を見つめるディシスに、ファングが声をかけた。

「ディシス……」
「……残されるのは、つらいな」
「……ああ」

けれど―――――信じて待つしかない。
彼女は、自分の娘なのだから。

「ファング……とりあえず顔、洗えよ。ひどい顔だぜ?お前」
「……ああ……そうだな」

小さく笑う親友に、ディシスも笑顔で返す。
辺りは赤く染まり、ずいぶんと時間がたっていたことを示していた。

「いろいろと……話したいことがある」
「昔話か」
「それもある。だが……アゼル、お前も知っておいた方がいい」
「え……?」

急に話を振られて、未だに結界の向こうを気にしていたアゼルは、驚いた顔で振り返った。

「お前が、ジークフリート様にとってのユーノス様のようになりたいのなら、お前は知るべきだ」
「……何を、です?」
「……我々が犯した、過去の過ちを」

ザザッと音を立てて、竜の涙が風に揺れる。
その花から始まった物語を―――――ディシスとファングの二人だけが知っていた。