Clover
- - - 第19章 邂逅5
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その地に、光と共に彼女が生まれる五年前。
密やかにその子供はこの世に生を受けた。

その額に、反目の印を戴いて生まれた子は。
ただそれだけの理由で、両親から引き離され、その存在そのものを抹消された。
一生を、その塔で生きていくことだけを、運命付けられて。


* * * * *


「よう、何不機嫌な顔してんだ?オレのちっちゃい姫さん」
「……ふきげんなんかじゃないもん」

ぷに、と頬をつついてくるユーノスに、フィアルはつん、と顔を背けた。
その仕草に、アハハと笑って、ユーノスはその小さな身体をふわりと抱き上げた。

「どした?ん?」
「だって……」
「ははーん、また女官達にじろじろ見られてイヤだったか?」
「……」
「姫さんは可愛いからな、ついつい見ちまうんだよ」
「ちがうもん、そういうんじゃないもん」

うに、と口唇を尖らせたフィアルに、ユーノスは笑いながらこつん、と額をぶつけてきた。
ユーノスはいつもそうだ。子供だからとバカにせず、こうして同じ高さで視線を合わせてくれる。
そんな彼が、フィアルは大好きだった。

「姫さんはちぃっとばかり賢いからな、気になるか。だからこんな庭の隅っこにいたのか?」
「ここがいい。ここが一番すき」

長く伸ばしたサラサラの白金の髪に、大きなくりくりとした淡い蒼の瞳に白いドレス。
外見だけ見ればまるで、絵の中から抜け出してきた天使のようだ。

「でもこんな隅っこにいたら、ジークフリートも見つけるのが大変だぞ?」
「いいの、ここでいいの。アルもここがいいって言ってるの」

フィアルの傍らに大きな身体を横たえていた竜族の王たる若き竜は、その言葉にゆっくりと瞳を細めた。輝くその鱗は白金で、瞳は淡い蒼。今ユーノスの腕の中にある娘とその色は同じだった。

「竜王陛下までそういうなら、ま、いいか」
「父様は?」
「お祈り中だよ。終わったらすぐに来るだろ」

そう言うとユーノスはフィアルを抱いたまま、ゆっくりと草の上に座り込む。
どうやらジークフリートが来るまで、自分もここで待つことに決めたらしい。
それを悟って、フィアルは嬉しそうにユーノスの首にぎゅっと抱きついた。

執務や謁見のない時、ジークフリートとユーノスはできうる限りフィアルの側にいてくれる。
たわいない話や、遊びに嫌な顔一つせずに笑って付き合ってくれるのが、嬉しかった。

「なぁ姫さん、今度うちの坊主に会ってみる気、ないか?」
「……ぼーず?」
「オレの息子、アゼルっていうんだ。姫さんよりちょっと年上だけど、子供同士だし、仲良くなれると思うぜ?」
「……いらない」

むむっと顔を歪めると、フィアルはユーノスから離れて、神竜のしっぽに寄りかかり、ブチブチと草をむしり始めた。
その拗ねた様子まで可愛いと思ってしまうのは、相当重症だな、と思いつつ、ユーノスは苦笑して、その小さな頭を撫でる。
やっぱり自分は男で、息子も可愛いが、娘は格別なのだ。

「なんでだよ、友達になれるかもだろ?」
「いや」
「姫さん?」
「見られるの、いやだもん」

この娘は幼いが、聡い。
自分を取り巻く人間が、まず最初に必ず彼女の額の印を見ることにちゃんと気付いているのだ。
自分の息子が彼女の額を見ない、ということはまずないだろう。子供なだけに、配慮はできまい。

「……そっか、見られんのはイヤか」
「いや」
「オレに見られんのも、イヤか?」
「ううん」
「……何でだ?」
「ユーノスや父様は私のおでこを見てるんじゃないから、いいの」

そう言うとフィアルはもしゃもしゃと自分の前髪を掻き回した。
この小さな姫が、前髪を伸ばすのを極端に嫌っているのは、そういうわけだ。
だが、たとえ額に印がなかったとしても、彼女がこの神竜の半身である限り、人々の好奇の目からは逃れられない。
それを本能でわかっているのか、フィアルは物心ついた頃から、極端に他人との関わりを嫌がるようになっていた。

人間なんて勝手なものだ。
もしもフィアルの額にその印がなかったら、神竜の半身として生を受けなかったら。
彼女はおそらく、母親を犠牲にして生まれてきた不吉な子として、今とは逆の意味で孤立していただろう。
大神官家に生まれた、それだけの理由で、彼等は孤独を運命付けられる。
ユーノスに出会う前のジークフリートが、そうであったように。


* * * * *


生まれた娘の額に刻まれた、その印を見た瞬間。
ジークフリートは床に膝を付き、悲鳴をあげるように―――――泣き崩れた。

その印が、何を意味しているのか、彼にはわかっていた。
だからこそ、受け入れることができなかった。
妻の死よりも何よりも―――――その印を。


* * * * *


(過保護、なんだよなぁ……)

花を摘んで、無邪気にも神竜の長い尾にそれを巻きつけて笑っている小さな姫を見ながら、ぼんやりとユーノスは思う。

父親にとって、娘は可愛いものだ。
実の親子でもないユーノスでさえ愛しく思うのだから、ジークフリートにしたら尚更だろう。
しかし……ジークフリートのそれは、言ってしまえば溺愛といってもいいほどで。
目の中に入れても痛くないという程に、無条件にフィアルを愛している親友に、ユーノスは苦笑いめいた感情を抱かずにはいられなかった。

だからといってこの姫が、我侭放題かというとそうでもない。
生まれ持った資質のせいだろうか。
フィアルは妙に勘が鋭くて、賢く、感受性に富んでいた。
あまり物欲もなく謙虚なので、毎年の誕生日に贈るものにも頭を抱えてしまうほどである。

何気なく見ていた視線の先で、くすぐったかったのか、パフン、と神竜が尻尾を一振りする。
すると、フィアルが巻きつけていた花が、上からまるで雪のように降り注いで、フィアルはパチパチと手を叩いて喜んだ。
その笑顔は無邪気で、ユーノスは自分の胸がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えた。

(―――――やべえんだよなぁ……ほんとに)

絶対に自分はロリコンではないはずなのに。
妻も息子もいる身だというのに、時々こうして心臓がバクバクしてしまうのだから、かなわない。
彼女がもし男だったら、天然のたらしになれること間違いなしだ。

そう言えばどちらかというと、ジークフリートもそのタイプだった。
本人には全然容姿に対する自覚がないのだが、周りの女官達はさぞかし大変だっただろう。

パフン、パフン、を何度も尻尾を揺らす神竜と彼女の周りに花が降る。
フィアルが満面の笑顔でその鼻先に抱きついて、小さなキスをした。
何とも仲睦まじい小さな姫と、竜族の王の姿に、ユーノスは微笑んだ。

―――――だが。

そうして笑っていたフィアルの顔から、急激に感情が消えていく。
どうしたのかと首を傾げたユーノスの元へ、フィアルは小さな手足を揺らしながらとてて……と走り寄ると、ぎゅっとその首に抱きついた。

「ん?どうした?」
「……」

フィアルはふるふると首を振るばかりで、ユーノスは困惑しながらもその背中をポンポンと叩いてやった。
そのまま視線を上方に動かすと、神竜がどこか不機嫌そうな瞳で、奥神殿の方をその鼻先で指し示す。

『誰か来る』
「……ジークフリートですか?」
『ジークフリートだったらテーゼがそうなるわけがないだろう、アホかお前は』

……しかし、何だってこの神竜はこう口が悪いのだろうか。
仮にも竜族の王なのだろうに、これでいいのか?
フィアルが教えたわけでも、ましてやジークフリートが教えたわけでもあるまいし。
どこかでこっそりと誰かの話を聞いて、その口調を真似しているとしか思えなかった。
……まぁ可能性が一番高いのはユーノス本人なのだが。

「じゃあ誰かって……」
「ユーノス様」

おや、と思ってそちらに目をやると、そこには固い表情のファングとディシスが並んで立っている。
先頃正式に近衛騎士になった彼等は、まだ初々しく、特にファングは緊張した面持ちでそこに立っていた。
ディシスに緊張が見られないのは、ユーノスとは従兄弟同士で、昔から顔馴染みだからだ。

「どうした?お前達……ここにはめったに入ってこれないはずだが」
「ジークフリート様が、探しておられましたので。許可をいただきました」
「何だ、祈りは終わったのか」

ユーノスは小さな身体を抱いたまま苦笑する。
この姫にとって、目の前の二人は怖いものでしかないのだろう。
不必要に身体だけは大きいその姿に怯える彼女は、どこか微笑ましかった。

「ジークフリートが探してたのはオレじゃなくて、このちっちゃなお姫さんだろ?」
「どうでもいいから、とっとと戻れよ、ユーノス」
「ディシス、お前なぁ……オレにはよくても、ここにいるのはお前の大事なジークフリートの娘だぜ?もうちょっと口の利き方を……」
「……だって、チビじゃん」

ピク、と腕の中の身体が反応したのがわかった。
いや……それはまだいい。

問題はその反応が、この場合即座に、背後の竜に伝わるということだ。

そう思った時にはもう遅く、ディシスはその白金の尾で、バフン、と吹き飛ばされていた。
いきなりだったので、何も対処ができなかったのだろう。
ディシスはそのまま草の上に腰をしこたま打ち付けることになった。

「……ってえ!」
「ディシス!」

慌てて駆け寄るファングをちらりと横目で見ながら、神竜はユーノスに抱きついたままのフィアルにそっと頬を寄せる。
びっくりしたように顔を上げたフィアルを見るその瞳は、驚くほど優しかった。

(だから……過保護、なんだよなぁ……)

その様子に、ユーノスは笑い出したい気持ちを堪えることができなかった。
くっくっ……と声を上げて笑うユーノスを、腰をさすりながらディシスが睨み付ける。

「ユーノス!何笑ってんだよ!!」
「アハッ……アハハッ……だってお前、かっこわる……」
「うるせえ!」

顔を真っ赤にして怒鳴るディシスを、腕の中の小さな姫は心底不快そうに見やった。
どうにも初対面の時から、この二人は相性が悪いらしい。
笑い続けるユーノスの腕から抜け出すと、フィアルは半身へと手を伸ばした。
心得ていたかのように、神竜は鼻先で、彼女の小さな身体を自らの背中へと乗せ、横たえていた身体を起こす。

「姫さん?」
「私、アルと一緒に先に帰る」

笑い過ぎて涙まで出てきたユーノスに、フィアルはバイバイ、と小さく手を振った。
そのまま歩き出した竜王に、慌てたのはディシスとファングだ。

「ちょっ……勝手にこのチビ!」
「チビじゃないもん!」

ベッ!と下を出して、フィアルはそのまま、ぎゅむむと神竜に抱きついた。
顔に明らかに怒りの色を浮かべたディシスを、冷たい瞳で竜王は一睨みする。

『……単細胞が』

まるで捨て台詞のようにそう言い置いて、静かに去っていくその後姿を、ユーノスは微笑んで見送った。呆然とその場に立ち尽くす若き騎士二人を、横目で見ながら。

「竜王陛下にああ言われたんだ、光栄なことだな、ディシス」
「……ッ!」
「お前が姫さんをいじめるからだ」
「いじめてなんていねえよ!くそっ……何なんだ、あのチビッ!」

悔しそうに地団駄を踏む親友を、呆れた顔でファングは見やる。
直情型のこの少年は、自分の感情を隠すということが大の苦手だった。それだけに、わかりやすい。小さな姫にアカンベーをされたことより何より、本当は憧れている神竜に言い捨てられたのがショックなのだ。

「ああ、今日もいい天気だなぁ」

くっそおおおぉっ!!と隣で叫ぶディシスを無視するように、ユーノスは空を仰ぎ、目を細めた。
―――――太陽はちょうど、頂点に差しかかろうとするところだった。