Clover
- - - 第19章 邂逅8
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塔の階段は狭く、古びていて、ところどころ崩れ落ちそうな場所もあった。
ただでさえ身体の大きいディシスとファングにとっては、どうにも居心地の悪い場所ではある。
ユーノスは二人に比べれば体躯はそうでもないが、長身ではあるので、窮屈さにおいてはさほど変わりがないように見えた。

「おい、どこまで上るんだよ」
「あ?最上階だ」
「最上階ってあとどれくらいだよ」
「お前……一応近衛騎士だろ?大したことないだろうが」
「疲れたとかそういうんじゃなくて、窮屈なんだよ!」
「ああ、無駄にでかいもんな」
「……ユーノス……お前なぁ」
「ガタガタぬかすな、とっとと上れよ」

そうは言われても、この塔にはまず窓がほとんどないので、昼間だというのにかなり薄暗いのだ。
しかも階段の石は磨り減っていて、滑りそうで気が抜けない。

「ディシス……お前、滑るなよ」
「……保証できねえ」
「お前が転んだら、後ろの私も巻添えだ」

ファングの冷たい言葉に、ますますディシスの全身が緊張する。
……結果、疲れるのだ。

「本当にこんなところに、ジークフリート様がいるのかよ」
「いるから来たんだろ?」
「大体幽閉って言ったって、子供一人なんだろ?なんだってわざわざこんなところに……」
「理由は、逢えばわかる」

その一点張りで、ユーノスは詳しい事情をディシス達には話してくれなかった。
わけがわからず、ディシスは不満だったが、ジークフリートが呼んでいるというその一点だけが、かろうじて感情の爆発を抑えていた。

カツン、カツンとただその足音だけが響く中、ようやく階段の先が見え、三人はその場所にたどり着いた。
短い廊下の先に、重厚な扉がある。その扉にはいくつもの錠がつけられていたが、今は全て外されていた。

「……普段はあの錠が全部かけられてる。ついでに言うなら、魔導の結界も張られている」

ユーノスは淡々と説明しながらその扉へと歩を進めた。
子供一人を幽閉するためとはとても思えないような、頑強な錠だ。

「今……外れているのは、中にジークフリート様がいらっしゃるからですか」
「ま、そういうことだ」

ファングの質問に短く答えると、ユーノスは静かにその扉を叩いた。

「ジークフリート」

親友を呼ぶ声に、中から返事が返る。
小さくてよく聞き取れなかったが、「入ってくれ」と言っていた気がした。

「さ、行くぞ」

ユーノスは自分の後ろで立っている二人を促すと力を込めてその扉を引いた。
錆び付いているのだろうか、ギギギ……と甲高い音を立てて、ゆっくりと扉が開いていく。
そして、薄暗いその部屋の中に、白いローブを羽織った男性の後姿が見えた。

その髪は、光を集めたような、白金。
彼こそが、ディシスとファングが心からの忠誠を誓った主、大神官ジークフリートに間違いはない。

「ジークフリート様……!」

思わず彼に駆け寄ろうとしたディシスは、ギクリとして、その足を止める。
主の立つ横の、古びた木の机に備え付けられた椅子に座っている、その存在に気付いたからだ。

(―――――え……?)

まだ小さい、少年に違いない。
ユーノスが言っていた、この塔に幽閉されている少年とは、彼のことなのだろう。
しかしディシスとファングは、そんなことに驚いたのではなかった。





―――――彼は。
―――――その姿は。
そこにあってはいけない、ものだったのだ。





「……ディシス、ファング」

苦笑するようなジークフリートの声が響いて、思わず二人は我に帰った。
しかし視線はその少年に釘付けのままだ。

「ジークフリート様……これは……」

戸惑うファングに、大神官は少しだけ表情を改めて居住いを正した。

「これから話すことは、決して他言無用だ」
「……は、はい」
「お前達を信頼して、話す。他の近衛騎士にも、神官達にも、家族にすら内密にしてもらいたい」

真剣な主の言葉に、二人は緊張したように背筋を伸ばした。

「……来なさい」

ジークフリートに呼ばれ、驚いたように身体を強張らせていた少年は、おずおずとジークフリートの隣に立った。
近くで見るとその容姿に、ますます驚きを禁じえない。
じっと見つめあうディシスとファングと少年に、ユーノスが小さく笑いを漏らした。

「この子は……ここにずっと幽閉されている。生まれたその時から」
「……それは、ユーノス様から聞きましたが……一体」
「理由は一つだ」

ジークフリートに促され、少年はゆっくりと自分の前髪を右手で上げた。





そこに現れたのは―――――『印』。





「……ッ!?」
「……これは……ッ!」
「……そう、『反目の印』だ。『祝福の印』と対を成す存在。逆向きの四枚の葉の紋章だ」

ジークフリートの愛娘であるフィアルの額に輝く銀色の四枚の葉とは対極にある、その金色の紋章に、ディシスは言葉を失った。
―――――ありえないのだ。
このノイディエンスタークの掟に従うのならば、その存在は生まれてすぐに抹消されるべきもの。
しかし目の前の少年は、確かにそれを持って存在している。

「ジークフリート様……何故」
「……私が、助けた」
「……掟では、『反目の印』を持つ者は、生まれたその時に命を絶つはずでは?」
「わかっている」
「では何故……このノイディエンスタークの大神官である貴方が、何故彼を匿っているのです?」

鋭いファングの追及に抵抗するように、少年の肩に置いたジークフリートの手にギュッと力が込められた。
それを感じ取ったのだろう。少年は心配そうに大神官を見上げた。

「……何故なんて、聞くまでもねえだろ」

親友を擁護したかったのか、戸口の近くで腕を組んで、様子を見守っていたユーノスが口を挟んだ。

「……お前等だって、見ればわかるだろ?」
「……し、しかし……ユーノス様」
「ちっちゃい姫さんが生まれる5年前、ユリーニは最初の子を死産した。対外的にも、母親のユリーニ本人にさえそう告げられた」
「……その子は、本当は死産ではなかったと……」
「ああ、そうだ」

ユーノスは寄りかかっていた戸口から立ち上がると、つかつかと歩いて親友の肩を抱き、そしてその間で不安そうにしていた少年の頭をポンポン、と叩いて微笑んだ。





「その赤子が―――――この子だ」





まるで、ジークフリートを小さくしたような、その姿。
少年は、鮮やかな白金の髪と、淡い青の瞳を持っていた。

―――――大神官家の血筋にしか受け継がれない、その色を。





「……私の子だ」
「……ジークフリート様……」
「名を……リュークという。フィアルの……兄だ」





初めてその額を見た時の衝撃を―――――今でも覚えている。
神官達の反対を押し切って、永久にここに幽閉することを条件に、この子は生を許された。
母親であるユリーニにさえ、その存在を最後まで教えてやることができなかった我が子。

どうしても、どうしても―――――殺すことなどできなかった。
あどけない、何の罪もないその無垢な命を、絶つことなどできない。
腕の中で泣くその姿も、おもちゃで楽し気に遊ぶその様子も、なんら普通の子供を変わりはないのに。
この子には決して、一生与えられることのないもの―――――それは、自由。

―――――愛そうと決めた。
―――――例え、この子が世界中を敵に回しても、自分だけは父親としてひたすらにこの子を愛する。

そう思って、思い続けて……5年。
そして授かった、もう一人の娘の額に、それを見た時―――――。





―――――絶望だけが、深く……深く心に残った。





何故だろう。
どうして自分の子供達だけが、こんな運命を背負わされているのだろう。
いつか―――――そう、いつか。
この兄と妹が、大地をかけて戦う時が来てしまったら……それが何より恐ろしい。

その存在が、光であろうと闇であろうと、自分にとって二人はかけがえのない我が子なのだ。
無条件に愛しいと思うのだ、心から。





戸惑ったような二人の騎士に、ジークフリートは深く深く頭を下げた。

「……頼む」
「ジ、ジークフリート様!?何を!」

いきなり主に頭を下げられ、ディシスとファングは慌てた。
しかしそれを無視して、ジークフリートはそのままの体制で二人に願い出た。

「頼む……お前達を信頼して、頼む」
「……ジークフリート……」
「どうか……この子を……リュークを護ってもらえないだろうか」

護り、そしてたわいない話をし、時には友人のように、兄のように、家族のように。
いつも一人、ジークフリートとユーノス、身の回りの世話をする老いた女官一人以外の存在を知らない彼が、少しでも自分の未来を信じることができるように。
いつかこの場所を出て、彼が自由を得た時に、自分を幽閉した全てのものを憎まずに―――――愛せるように。

たった一人の妹を―――――敵だと思わないように。

「……ジークフリート様……」

それは大神官としてではなく、一人の父親としての、人としての心からの彼の願いであることは、二人にも痛いほどわかった。
ノイディエンスタークの最大の機密でもあるだろうそれを、自分達を信頼して話してくれた主の願いを、どうして二人が断ることなどできるだろう。

二人が顔を見合わせ、決意をしたように頷き合った時、頭を下げたままのジークフリートの肩に、小さな手が置かれた。

「……父上」

反目の印を持った、本来なら王子と呼ばれていたはずの少年は、静かな湖のような瞳で父親に話しかけた。

「父上……もういいです、やめてください」
「……リューク……」
「俺は別にこのままでもいいんです。もちろん父上や……逢ったことはない妹を傷つけるようなつもりはないけれど……俺の中にある何かがそれをしないなんて保障はどこにもないんです。そんなことをするくらいなら、俺はこのままでもかまわないんです」
「だが……私は、お前に」

ジークフリートはリュークの前に膝をついて座り、手のひらで小さな息子の頬を柔らかく撫でた。
その仕草に気持ちよさそうに瞳を細めてから、リュークは小さく笑った。

「俺は、ここで未来を夢見るだけでも充分です」
「……リューク」
「本当に、それで充分なんです」

これが……生まれてからずっと幽閉されている人間の言葉だろうか。
自分の運命を、境遇を呪ったこともあるだろうに、それでもなお、少年の言葉は優しく、人を気遣うことを知っていた。





―――――胸が、痛む。
―――――その、健気さに。





「……本当に、充分なのか?」
「え……?」

いきなり話しかけられて、リュークはきょとんと首を傾げた。

「本当に、充分なのかよ」
「……えっ……」

ディシスの怒ったような口調に、リュークは戸惑ったように視線を泳がせる。
ジークフリートはディシスをじっと見つめたままだった。

「この世の中にはな、自分の知らないことがもっとたくさんあるんだぜ?それを知る権利は誰にだってある、もちろんお前にもだ!ぼーず!」
「……ぼーず……」
「オレが教えてやるよ。いいことも、悪いことも、何でも話してやる、教えてやる。こんなところにいるから身体も弱そうだし、剣の稽古もつけてやる!覚悟しとけ!」
「あ、あの……!」
「なら私は少し理性的な分野を教えよう。お前が余計なことを吹きこまないように監視もしないとな」
「余計なことってなんだよ、ファング」
「余計なことは余計なことだ。ここで王子に対して風俗の話とか、するんじゃないぞ?」
「……」
「するつもりだったろ、お前」
「……し、しねえよ、多分」
「多分?」
「ううぅ」

いきなり喧嘩を始めた二人に戸惑っている少年に、ディシスは優しく笑った。

「あのな、オレ、お前、気に入った」
「は?」
「だから、面倒みてやる。何、お前の方があのチビより数段可愛らしいぞ、安心しろ?」
「……チビ?」
「あ〜、つまりお前の妹だ」
「……逢ったことがあるんですか?」
「思いっきり尻尾で殴られたけどな……」

その時のことを思い出して、少し顔を歪めた後、ディシスは真剣な顔でジークフリートに向き直った。

「ジークフリート様」
「……」
「オレ、引き受けます。でもそれは貴方に頼まれたからじゃありません。オレが王子を気に入ったから、それだけです」
「……ディシス……」
「オレも、ファングも、同じです……それだけです。だからもう貴方がオレ達に頭を下げる必要なんてありません。オレ達は貴方を護るためにいる騎士ですから」

ディシスの言葉にファングも強く頷いて見せた。

「そうか……」

その心遣いに、ジークフリートは深く深く感謝した。
自分が選んだ彼等に間違いはなかった、今はそう確信できる。

ふと親友へ目をやると、ユーノスは満足気に笑っていた。

「そう……か……」

言葉にはせずとも、きっとこの場にいる誰もがわかっていただろう。

暗い道のりを歩き続けるはずだった少年の未来に、一筋の光が差す。
それは、ジークフリートの心を何よりも歓喜させることだった。