Clover
- - - 第19章 邂逅9
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リュークの元に頻繁に通うようになって暫くたった頃、ジークフリートの結界から出たディシスは、そこに、憧れてやまない竜王の姿を見つけて驚いた。

この結界は強固で、絶対に他の人間には見えないし越えられないはずだ。
……しかし竜族の王ともなれば、それはたやすいことなのかもしれない。

そう思い直しふと視線を動かすと、竜王は小さな少女を抱きかかえるようにしながら、必死に頬を摺り寄せているようだった。

(……なんだ?)

竜王があんな風に扱うのは、あの小生意気な姫しか考えられないのだが、どうにも様子がおかしい。
しかし下手に近付いて、竜王の怒りをかうのもイヤなので、ディシスは暫くその場所に立ち尽くす羽目になった。

「……っ」

小さく、必死で我慢しているような、泣き声。
あの姫が泣いていることに気付き、ディシスは呆然とする。
微妙に苦手な相手ではあるが、泣いている女の子を放っておくこともできない。自覚はないが、結局のところディシスは、根っからのお人好しなのだ。

「おーい、チビ」
「……!?」

誰もいないと思っていたのだろう、フィアルはその小さな身体を目に見えるほどビクッ!と反応させた。

「なーに泣いてんだ?こんなとこで」
「……っ」
「早く戻らねえと、ジークフリート様やユーノスがいらぬ心配するだろ?とっとと帰れよ」

ついついイヤミの篭った口調になってしまうのは、先程までリュークといたせいかもしれない。
あんな場所に一人、生まれてからずっと幽閉されている彼と比べて、同じ親から生まれたにも関わらず自由なこの姫に、いい印象を抱けという方が無理なのだ。それが単なる自分の偏った見方だとわかっていても、リュークがあまりにも優しい少年だけに、その心は大きくなる。

しかしフィアルはディシスの言葉を聞いた途端に、小刻みに震え始めた。
それを怪訝に思ったディシスが近付こうとすると、竜王がその鋭い爪で阻止する。

『……近付くな』
「……でも、泣いてますが」
『……いいから、今は近付くな』

まるで神竜の鱗に縋り付くように震えているフィアルは、どこか痛々しく見えた。
だが、そんなにも怖がられているかと思うと、ディシスの機嫌も悪くなる。

(……んだよ、オレが何したってんだよ)

まるで自分がいじめているようで、気分が悪い。
見た目がでかいからといって、ここまで怯えられるのは正直、納得できない。

「おいっ!チビッ!」

そんな想いが積み重なったからだろうか、つい、ディシスは大きな声で怒鳴ってしまった。
それにビクッ!と反応したフィアルは、大きくガクガクと震えながら振り返った。

「……え?」

大きな瞳にたくさんの涙をためて、フィアルはずるずると後ずさりをするように、必死でディシスから離れようとする。
その様子はディシスに怯えているというよりは、むしろ何か他の大きなものに怯えているように見えた。

「おい……?どうした?」

思わずディシスが手を伸ばした瞬間、フィアルは神竜からも離れて、逃げるように必死で走り出した。

『テーゼ!!』

神竜が後を追おうとするが、いかんせん身体が大きい分小回りがきかない。
ちっ……と舌打ちをして、ディシスはすばやくその後を追った。

いくら必死で逃げているとはいえ、所詮は子供と大人だ。しかもディシスは現役の近衛騎士だ、追いつけないわけはない。
手を伸ばし後ろからその小さな身体を羽交い絞めにすると、フィアルは全身でそれを拒絶した。

「いやー!!」
「って!おい!暴れるな!」
「いや!いやっ!触らないで!!」
「だから暴れるなって!」

小さな身体にも関わらず、意外に力がある。
半ばパニックになってしまっているからだろうか、振り回す腕や足が容赦なく顔や身体に当たって、正直、痛い。

「おいっ!しっかりしろ!」
「ッ!!」
「っ……ほら」

ビクッと動きを止めた少女を、落ち着かせるようにディシスはポンポンと背中を叩いてやった。
この姫を抱きしめるユーノスが、いつも同じようにしていたのを不意に思い出したのだ。

しかしそれはある意味では正しい判断だったようで、フィアルの小さな身体からゆっくりと力が抜けていった。
ようやく追いついた神竜が心配そうに彼女を見つめている。その視線に気付きつつも、ディシスは背中を叩く手を止めなかった。

「いや……」

小さなか細い声で、彼女は何かを拒絶している。

「怖い……」
「……怖い?オレか?」
「……人間……いや……怖い……」

(―――――はぁ?)

なんだそりゃ、という言葉が喉まで出そうになったが、あまりにも儚げなその様子に、ディシスは慌ててそれを堪えた。
ファングやユーノスの話からも、この姫がかなりの人見知りであることは知っている。
だが人間が怖いなんて、あまりにも話が大きすぎはしないだろうか。

『……お前、知っているか』
「え……?」

不意に憧れている神竜に話しかけられて、ディシスは困惑した。

『知っているか?神殿にいる神官達が、テーゼをどういう目で見ているのか』
「……神官達が?」
『下劣な欲望に満ち満ちた奴等だ。ジークフリートやユーノスが共にいる時は大丈夫だが、一人の時を狙って近付いてくる』
「……近付いて……」
『ありがたいのだと、その恩恵に少しでも授かりたいのだと、そんな大層な理屈を並べてテーゼに触れようとする。信仰など欠片もなさそうな、欲に満ちた目でな』

忌々しく言い捨てた神竜の言葉に、ディシスは愕然とした。

『額に印がある、それだけの理由で奴等はテーゼを好奇と欲の対象として見る。ひどい時はお守りだとかぬかしたヤツに、髪を切られたこともある。テーゼが自分に近しい者以外の人間を嫌うのも、怖がるのも、当たり前だろうが』
「……今日も、何か?」
『……ああ』
「……ジークフリート様は……そのことを……」

呆然としたままディシスが竜王に疑問をぶつけた時、腕の中にあった小さな身体が反射的に起き上がった。

「ダメ!」
「あ!?」
「ダメ!父様には、言わないで!」
「……おい」
「ダメ!お願い!父様に心配させたくないの!悲しい顔をさせたくないの!」
「……チビ……」
「父様はいつもどこか悲しそうなの!私のせいでもっと悲しくさせるのはいや!」

(「―――――ちっちゃいお姫さんは、聡いからな」)

ユーノスが苦笑しながら言っていた言葉をディシスは思い出していた。
まだこんなに幼いのに、この小さな姫は父親のことを、わかっているのだ。
神竜が彼女の側を離れたがらないのも、この頑固で、健気な姫の気質をよくわかっているからなのだろう。

(……やっぱり……似てるな)
(……変なところ、似てるんだな)

父親に対するその心は、リュークと、とても似ている。
接する度に、深くなる。あの悲しい境遇の少年への想いと、腕の中の姫が、ディシスの中で重なった。

「お願い……」
「……それで、お前は一人で我慢して、こんな辺鄙なとこまで来て泣いてるのか?」
「一人じゃないもん……アルがいるもん」
「でも」
「大丈夫なんだから……私は大丈夫なの」
「泣いてるのに?」
「大丈夫なの……私がいけないんだから……」
「お前の何がいけないんだよ、チビ」
「……私のおでこに、こんなものが、ある……から」

―――――『祝福の印』。
リュークの額にある『反目の印』と対をなすそれは、人々の憧れ、賛美の対象であるはずなのに。

「これがあるから……父様を悲しませる」
「……でもそれは、お前のせいじゃないだろ?」

リュークの額にそれがあるのと同じように。
持って生まれた本人達に、何の罪があるだろうか。

「でも……」
「うわっ……おい、泣くなよ」
「父様……」
「……おい、泣くなって……参ったな……」
『こらお前!テーゼを泣かせるな!』
「オレですか?オレのせいですか!?」
『なんであろうと誰であろうと、テーゼを泣かせるヤツは許さねえ!』

神竜に責められて、ディシスは慌てた。
そのディシスの腕の中で、フィアルは必死に声を殺して泣いている。
―――――誰にも知られることのないように。
そんな泣き方を、こんな小さな姫が覚えてしまっていることが、何故だか切なかった。

この兄妹は、大声で泣くことをまだまだ許されるはずの子供なのに。

「ほら、泣くな」
「……」
「泣くなら、ちゃんと泣け。すっきりしねえだろ?」
「……」

ふるふると首を振り、フィアルは小さな手で、ゴシゴシと涙を拭う。
赤くなったその淡い蒼の瞳は、恥ずかしいのだろうか、ディシスを見ようとはしなかった。

「そんなにジークフリート様に知られたくないのか?」
「……ない」
「悲しむからか」
「……たいせつ、だから」

俯いてその表情を隠していたフィアルはフッと顔を上げ、赤いままの、それでいて凛とした視線を真っ直ぐにディシスに向けた。
その真っ直ぐな視線に、ディシスは一瞬動けなくなった。

「たいせつなのは、父様とユーノスとアルとサーシャだけ、だから」
「……」

何も―――――変わらない。
本当に、この姫は……あの少年と何も、変わりはしないのだ。

この場所は―――――箱庭。
大神官の血を引く全ての人間を閉じ込めるための、箱庭だ。

言葉を失ったディシスの頭上で、ふっと神竜はその大きな瞳を閉じた。
彼もまた―――――それを知る者の一人だった。