- - - 第19章 邂逅10 |
|
「ディシス?」
「……んあ?」
「どうか……したのか?ずっとぼうっとしてるけど」
狭い部屋の中、じっと自分を覗き込んでくるリュークに、ディシスは我に返り、苦笑した。
「いや、何か最近いろいろ考えることが多いと思ってさ」
「……ディシスでも考え事なんてするのか?」
「……お前、結構言うよな」
「え……ご、ごめん」
「いや、いいんだけどさ」
ディシスは手を伸ばし、リュークの髪をくしゃくしゃと掻き回した。さらさらの白金の髪は、乱れたと思ってもすぐに元に戻る。
「しかしお前が考え事だなんて、珍しいな」
「ファング……お前まで失礼なこと言うなよ」
「何かあったか?この間からいやに考え込んでるみたいだけど?」
「ああ……まぁな」
そう言うとディシスは、目の前の少年の顔をじっと見つめた。
「……やっぱり、似てんなぁ」
「……誰に?」
「ん?あのチビっ子に」
「……チビっ子?」
「お前の、妹」
そう言われて、リュークは目を見開いた後、少し考え込むように、顎に手をやった。
「……似てる、のか?俺と」
「ん、似てるな。顔も似てるけど、何ていうか……性格が似てるっていうか、頑固っていうか」
「……俺、頑固なのか?」
「お前の方がも少し素直かもしれないけどなぁ……肝心な部分を譲らないところがそっくりだ」
リュークが少し俯いたのに気付いて、ディシスはもう一度彼の髪を掻き回した。
「……そんな話、聞きたくもないか?」
「……!そんなことない!」
「本当か?あのチビはお前とは対極にある存在だろ?憎んだことはないのか?」
「憎む……俺が?」
「ああ、お前が。あのチビを」
「ない!」
いつもはどちらかというと穏やかで優しい少年が、いきなり叫んだのを見て、ディシスもファングも驚いたように目を見開いた。
自分でも驚いたのか、リュークは信じられないというように、自分の口を手で塞いでいる。
「……ほんとに、ないんだ」
「……リューク」
「ただ……逢ってみたい……と、思ったことは……何度もある」
フィアルは、おそらく自分の兄の存在を知らない。
けれどリュークは、彼女が生まれたその時に、ジークフリートからそれを聞かされたのだという。
それからずっとまだ見ぬ妹を想っていたのだろうか。
「父上は……いつか必ず逢わせると言ってくれたけど……」
「そっか……でもあのチビはわりと近くまで来てるぞ」
「え?」
「なんかな、ジークフリート様に知られずに泣くための場所が、この辺りみたいだ」
「……泣く?なんで……?」
問われてディシスは一瞬返答につまった。
ファングも不思議そうにこちらを見ている。
それはそうだろう、ついこの間までディシスはあの小さな姫を、大の苦手としていたのだから。
でも―――――あんな風に声を殺して泣く姿を見てしまったら。
「ジークフリート様に絶対に言うなよ?リューク、ファング」
「……なんでだ」
「チビと約束したんだよ、絶対にジークフリート様やユーノスには言わないって」
「……いつの間に姫と仲良くなったんだ?お前」
「……泣いてた、からな」
泣いていた。
ディシスのその言葉に、リュークの顔が心配そうに歪む。
「……神官達が、どうもあのチビに悪さをしてるらしい」
「……悪さ?悪さってなんだ?」
「あれだろ。聖なる存在のあのチビからご利益でも貰いたいんじゃねえの?ジークフリート様やユーノスが側にいない時を見計らって近付いてくるみたいでさ。拝まれたり、触られたり、ま……将来の権力欲しさってのもあるんじゃねえの?おかげであのチビ、どうにも人間嫌いになっちまってるみたいでな」
「……おい、それはまずくないのか?もし万が一間違いでもあったら……」
「泣いてんだ。人間が怖い……って声出さねえで……一人でさ。でも絶対にジークフリート様には知られたくねえんだって。自分のせいで悲しい顔をさせたくないって、泣いてんだよ」
苦手だったはずなんだけどさ、あれを見るとなぁ……とディシスは苦笑した。
しかし困った様子ではあっても笑顔を見せたディシスとは対称的に、リュークは暗く顔を曇らせた。
「……どうした?」
「……いや……俺は何もできないなって……思って」
「リューク……?」
「すぐ近くで妹が泣いてても、何もしてやれないんだ」
「そりゃ……仕方ねえだろ?」
リュークはこの塔を出ることを許されていない。
それはリュークが殺されずに済むための絶対条件だ。
例えフィアルが、この塔の近くで泣いていても、そこへ行って慰めてやることはできるはずがない。
「……リューク様、逢いたい、ですか?」
「……ファング」
「妹姫に……逢いたい、ですか?」
そう言いながら彼を見つめるファングの瞳は、穏やかで、優しい。
だからだろうか。
父親には決して言うことのできない気持ちが、リュークの口から溢れ出てしまったのは。
「……逢いたい」
呟くようにその一言を口にしたリュークは、自分の身長より遥か頭上にある、小さな窓を仰いだ。
このままでいいなんて。
この子には未来がないなんて。
そのままでもいい……なんて。
そんなことは……決して、ない。
無言になったリュークの姿を見つめながら、若き騎士二人はジークフリートが何を願って自分達に頭を下げたのかを初めて理解した気がした。
できることなら―――――彼に、自由と未来を。
願わないはずなど……なかったのだ。
* * * * *
通常はフィアルの執務室を使っているので、アゼルの執務室は滅多に使われることはない。
その部屋で椅子に深く身を沈め、ディシスは頭上に昇り始めた二つの月を見上げた。
グラスに注がれた果実酒はメテオヴィース領の北部の名産品で、ディシスにとっては故郷の味ともいえる。
この破天荒で一本気な男と当時は常に行動を共にしていたファングにとっても、それは郷愁を呼び起こすものだった。
「……魔神官が……兄君……そんなこと姫は一言も……俺達には」
「言わねえだろう……いや、言えねえよ」
驚きを隠せないアゼルに、ディシスは淡々と語りかける。
まるで事実を記した書物を読んでいるかのように。
ディシスはもっと感情豊かな人間だと思っていたアゼルは、彼の態度に少し驚きを感じていた。
けれど、ずっと共にいたファングは知っている。
ディシスはつらい時、悲しい時、認めたくない時、心がそれを受け入れたくない時に限り、こういう態度を取るのだ。
それが無意識の、彼なりの自己防衛なのだろう。
「争いが起こるから人が狂うのか、人が狂うから争いが起こるのか……あの時は神官達も、そしてお前達反乱軍も普通ではなかった。そんな状態のお前達に、姫がリューク様のことを話せなかったのは当たり前だろう」
「……ファング様」
アゼルの瞳が揺れるのを、大きな傷で塞がれた瞳は映さない。
内乱勃発の折、リュークを庇って負った傷は、今でもファングにとっては誇らしいものだった。
「少なくともリュークは、お前達が考えていたような、極悪非道の悪人じゃなかったということだ」
「……」
「そしてフィーナは、それを知っていた」
「俺……達は」
そのことに思い当たって、アゼルはとっさに二人から顔を背けた。
そう、それは間違いなく―――――自分達の、罪。
「俺達は……そんな二人を……殺し合うように……仕向けたんですね……」
(「私は……最初から誰も信じてなんて、いなかった」)
フィアルの言葉に込められた意味を、今になってようやく理解する。
フィアルが自分達を、信用などするだろうか。
自分達は確かに、あの日の彼の死を―――――喜んだのだ。
そんなアゼルに、ディシスとファングが答えを返すことはなかった。
それが自身の言葉を肯定することだと、アゼルには痛いほどわかっていた。
|
|
|
|
|