Clover
- - - 第19章 邂逅12
[ 第19章 邂逅11 | CloverTop | 第20章 白夜の炎1 ]

狭い部屋の中、手を繋いだまま二人はしばらく見つめ合っていた。
しかしその沈黙を再び破ったのは、フィアルの方だった。

「兄様……」
「……何で、知ってるんだ?」

自分達の格好が不自然であることに気付き、リュークは椅子へとフィアルを促した。
けれどフィアルは触れたその手を離そうとしない。

「父様が言うの、いつも言うの」
「……何て?」
「『私の大事な宝物達』って呼ぶの。時々ユーノスとお話してる時も、『子供達』って言うの。だから私には兄様か姉様がいるんだって思ったの」

確か妹は自分より5歳年下だったはずだ。
しかし時折ユーノスが言うように、フィアルは頭の良い子供なのだろう。

「兄様、なの?」
「……うん」
「お名前、聞いていい?」
「……リューク」
「リューク……兄様」

ふわり、とフィアルは微笑みながら、何度も何度もリュークの名前を繰り返し呟いた。
それはとても不思議な光景だった。心の奥底が、ほんのりと暖かくなるような、優しくこそばゆい感覚が全身を支配する。

「……でも、どうやって……ここへ……?結界も、鍵もかかっていただろう?」
「んとね、アルが、開けてくれたの」
「……アル?」
「うん、私の竜」
「……神竜……?」
「でもアルはおっきいから、ここ、入ってこれなくて。鍵にも手が届かなかったから、外から開けてくれたの」

いわゆる魔導力というものだと、リュークは理解した。
しかし神竜が自らこの妹を、自分の元へ連れてきてくれるとは思わなかった。
神竜に相反する存在である、魔竜がリュークの半身なのだ。
一度も逢ったことのない、生まれたその時に時空の狭間に封印されたままの、半身。

―――――きっと、二度と……逢うことのない。

ふと考え込んだリュークの顔をじっと見つめていたフィアルは、少し悲しそうに視線を伏せた。

「……きらい?」
「……え?」
「やっぱり……兄様も、私が……きらい?」
「……ッ!そんなこと!」

しゅんとしてしまった小さな妹に、リュークは慌てた。

「……やっぱり、おでこにこれがあるから?」
「……?」
「これがあるから、ダメなの?」

この子は何を、言っているのだろう。
彼女の額にあるのは、リュークとは違う。誰からも讃えられ、尊ばれる『祝福の印』のはずではなかったか。
彼の額にある『反目の印』とは似て反するもの、対極に存在するもの。

でも……ディシスも言っていた。
声を殺して、誰にも知られないように一人で泣いていたという彼女は、この印を喜んではいない。
妹が額に印を持つことは、必ずしも幸せなことではないのかもしれない。





(同じ……か……)
(俺と……同じ……)





大きな瞳にじわじわと浮かび上がる涙を、必死に堪えているその姿に、リュークの胸が痛んだ。

「……ダメなんかじゃないよ」
「……え?」
「俺も、同じだよ」

リュークは手を伸ばすと彼女の額に触れ、前髪を掻き分けて、その印を見た。
四枚の葉―――――輝く銀色の。
そして彼はもう一方の手で自分の前髪を掻き上げると、普段は決して人に見せることのないその罪の印を顕にする。
驚いたように目を見開いたフィアルと視線を合わせるように、そっとしゃがみこんで、そのままリュークは二つの印を合わせた。

「ほら、同じだ」
「……あ……」

暖かい体温が、額を通じて伝わる。
相反するはずの二つの印は、合わせても何の反応も示さず、ただそこにあるだけだった。

「兄様……も、あるの」
「俺の印は……お前よりももっと業の深いものだけど」
「おなじ?」
「……うん、同じだよ」

その瞬間……フィアルの瞳からぽろぽろと透明な雫が溢れ出した。
ずっと何か我慢していたものが、零れ落ちるように。

リュークはそんな妹姫をそっと自分の胸に抱き寄せた。
小さな身体、でもとても柔らかな鼓動を感じる。白金の髪が、寄せた頬にサラサラと流れ、その心地良さにゆっくりと瞳をを閉じた。

ずっとずっと逢いたいと思っていた。
その現実は、今こうして腕の中にある。

「兄様……」

ぎゅっとで抱きついてくる優しい小さな手は、父ともディシス達とも違う。
愛しい―――――守るべきもの。
存在すら許されなかったこの腕が、包み込むもの。





―――――何よりも、あたたかい。





誰の前でも忘れることのなかった、額の印。
持っている者にしか―――――わからない。
人が一番にそれを見ることの孤独と悲しみと苦しみを、本当に知っているのはお互いだけなのだと、今更ながらにリュークは自覚した。

「……泣かないで」
「……ん」

何度も何度も額を合わせる。
いつもは隠しているそれを、今は気にすることもない。
それは二人にとって、とても安心できることに違いなかった。


* * * * *


『おいコラ、いつまで抱きついてやがる』
「……!?」

フィアルが泣き止むように、ゆっくりとその背中をさすってやっていたリュークの耳に、その微妙にドスのきいた声が響いたのは、本当に突然だった。
思わずビクッ!と背筋を伸ばしたリュークに、フィアルも驚いたように目をくりくりとさせている。

「……兄様?」
「今……何か声が」
「アルだよ」
「……え?」

きょろきょろと辺りを見回すリュークに首を傾げたまま、フィアルはその頭上にある小さな窓をそっと指差した。

「あそこ」
「……あそこ……って!?」

その小さな窓から、自分達と同じ淡い蒼の瞳がじっと中を覗き込んでいるのがわかった。
どうやら塔の外を飛んでいるらしく、不安定に揺れている。

『……てめえ、テーゼを泣かせたな?』
「……テーゼ?」

困ったように腕の中のフィアルを見ると、フィアルはコクリと頷いた。

「テーゼは、私」
「……確か、名前……フィアルじゃなかったか?」
「フィアルは人の名前、竜の名前と違うの」

そう言えば、とリュークは父親から聞いた話をふと思い出した。
大神官の直系の者は、三つの名前を持つ。





一つは、人の名前。
一つは、竜の名前。
一つは、ルーンの名前。





自分のリュークという名が、ルーンの名だということは知っていた。
人としての名、竜の名は、彼には最初から―――――与えられなかったのだ。

『名前なんてどうだっていいんだよ。問題はお前がテーゼを泣かせたってことだけだ!』
「アル……なんで怒ってるの?」
『そいつがお前を泣かせたんだろうが!』
「うん……だって嬉しかったから」

リュークの腕をぎゅっと掴んだまま、フィアルは小さな窓から見える半身の片目に向かって笑った。
その笑顔に神竜の毒気が一気に抜ける。

「嬉しいの」
『……』
「嬉しかったの」
『……そっかよ』

神竜の微妙にふてくされた声に、リュークは困惑した。
何せ妹に逢ったのもこれが初めてなのだ。この二人の関係がそんな状態ですぐにわかるはずもなかった。

「兄様」
「……?」
「アルはね、やきもち焼きさんだから」

ジークフリートにすら嫉妬するくらいなのだから相当なものだ。頭ではわかっていても、目の前で見るとイライラするらしい。
一時期はフィアルを本気で竜宮に連れて行きたいと言い出して、四大竜王やサーシャ、ジークフリートやユーノスを慌てさせたという前科もある。

それを知っているのにも関わらず、フィアルは笑ってそういうと、ちょっとだけ背伸びをしてリュークの頬にそっとキスをした。




―――――固まったのはされた本人と、外からそれを見ていた竜王である。





『テッ……!』
「……ッ!?」

そんなことをされたのが初めてだったリュークは、真っ赤な顔をして呆然としていた。
しかしそれを見た神竜は、ワナワナと震えたかと思うと、大きな声で怒鳴り散らし始める。

『……お前ッッ!表に出て来い!』
「……え……」
『ゴタゴタ言ってんじゃねえよ!とっとと来いっ!テーゼ!そいつを連れて来い!』
「何で怒るの?」
『お前がそいつに……ッ!』
「いつもアルにはしてるよ?」
『俺はいいんだよ!』
「なんで?」
『……ッ!いいって言ったら、いいって言ったら……いいんだッッ!』

自分の行動が引き起こしたこの状態が、いまいちわかっていないフィアルは首を傾げたままだ。
そんな妹姫が可愛いとは思いつつも、リュークは静かな瞳で、激昂している竜王を見上げた。

「……俺は、出てはいけません」
『何ッ!?』
「俺は……ここを出てはいけない人間なんです。貴方にだってお分かりでしょう?」
『……その額の印のせいか』
「父上達に余計な負担をかけるつもりはありません。俺は……ここを出る気はありません」
『……一生か』
「そうです」

真剣な表情のリュークに、フィアルが悲しそうに顔を歪める。
それを見た竜王は、心底面白くなさそうに、その言葉を一笑した。

『……暗ぇな』
「……は?」
『考え方が後ろ向きだって言ってんだよ』

その神竜の言葉はあまりにもリュークにとっては意外なもので、その意味を理解するのにしばらく時間がかかった。
呆けている少年より5歳も年下の竜王は、フン、と鼻を鳴らして続けた。

『確かに俺達、竜族の中でも、魔竜は異質な存在だ。魔が闇に引きずられやすいのも、確かだ』
「……」
『でも俺にはそんなの関係ない。逢ったこともないヤツを嫌う理由もないし、そんなのはフェアじゃねえだろ』
「……竜王……」
『長老のジジィ共がなんて言うか知らないけどな、俺はそんなのはどうでもいいんだよ』

だから、とっとと出て来いと神竜は羽をひらりと羽ばたかせた。
窓辺からその姿が消えたのを立ち尽くして見つめていた彼の袖口を、クイクイ、と下から引かれ、リュークはゆっくりと視線を動かす。
そこには先程受け取った白い小さな花を、もう一度差し出しているフィアルがいた。

「アルはね……優しいの」
「……」
「それでね、照れ屋さんなの」
「……うん」





―――――……ああ。
どうしよう―――――涙が、出そうだ。





「兄様……?」





リュークはその小さな身体をかき抱くように、抱きしめた。
胸の奥から、まるで湧き上がるようなその想いを、なんと呼べばいいのだろう。