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- - - 第20章 白夜の炎4
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「どういうことですか?」
「ですから……貴公ら近衛騎士団にも協力してもらいたいのですよ」

ジークフリートやユーノスではなく、神官達に呼び出されたディシスは怪訝そうに眉を寄せた。
それも当たり前だ。
本来、近衛騎士団の役目は、大神官たるジークフリートを守ることであって、それ以外に力を行使することなどないのだから。
それを―――――民の反乱の鎮圧へ向かえとはどういうことなのか。
到底納得できる内容ではない。その想いは、ディシスの後ろに並ぶように立っていたファングも同じだった。

「シグー殿。それは大神官様もご了承されているのですか」
「……大神官様?このような小さな出来事をわざわざあの方の耳に入れる必要もないでしょう」
「……では、神官長様は?」
「……同じですが?」
「それでは我々近衛騎士団は動けません。我々に命令を下せるのは大神官様か神官長様のどちらかなのですから」
「これは命令ではありませんよ?あくまで協力していただきたいだけなのです」

白地に金糸の刺繍を豪華に施した服を身に纏った彼は、神官達の事実上の長と言ってもいい。
名目上ではユーノスが神官長の位にありはするが、彼は13諸侯の一人である。
諸侯と神官はその持つべき権力も、立場もあまりにも違う存在だった。

「大体、反乱とはどういうことです」
「貴公にも関係のあることですぞ?副隊長殿。反乱はエリオス侯爵領で起こっているのですからな」
「……エリオス領で?」
「どうもあの土地には、領主の意に従おうとしない民が多いようですね」

シグーはクスクスと笑うと、自らの背後に控えていたもう一人の神官へと視線を向ける。
ファングは彼を知っていた。同じエリオス侯爵領出身のジョルド・クロウラという神官だった。年齢はジークフリート達よりもかなり上だったような気がする。

「民が理由なく反乱など起こすはずがありません」
「おや?それでは貴方はエリオス侯爵が悪いとでも言うのですかな?貴公とて、侯爵家の血を引く者でありましょう?」
「私は今、近衛騎士です。侯爵家とは関係ありません」
「それは少し薄情ではありませんか?」
「仕事に私情を持ち込む方が、よほど問題だとは思われませんか?」

シグーの言葉にもファングの意思は欠片も揺るがなかった。
もともとファングは神官達を好いていない。リュークやフィアルの件もあり、最近の妙な動きと合わせても、到底彼等を信用する気にはなれなかった。

「とにかく」

言葉の応酬になりつつある事態を察して、ディシスは頭を掻きながら言葉を挟んだ。

「我々は、神官長様や大神官様の命でなければ動くことはできません。エリオス領にも直属の騎士団はあるはずです。領地内で起こった問題であるなら、我々ではなく、そちらで処理していただくのが道理ではないでしょうか?」
「それで済むのなら、最初からそうしておりますとも」
「……エリオスの騎士団だけでは手に余るほどの反乱だと言うのなら、尚更のこと大神官様に話を通すべきでは?」
「できるだけ事を穏便に終わらせたいという我等の配慮が、おわかりではないようですな」
「我々近衛騎士団が反乱の鎮圧にあたるということになれば、少なくとも穏便には終わりません」

ディシスの反論に、シグーの眼光が急に鋭くなった。
この男は自分の思い通りに事が運ばないのを、ひどく嫌がることは噂で聞いてディシスも知ってはいたが、こうまで露骨だとは。
その表情の変化に、ファングがピクリと眉を揺らしたことにも、彼は気付いていた。

「近衛を動かされたいのならば、正式な手続をお願いします。大神官様の命であるなら、我々も協力は惜しみません」
「近衛は頭が固くていらっしゃる。大神官様……いいえ、自分のことを考えるのなら柔軟な対応も必要ですぞ?」
「ご忠告を、どうも。では失礼致します」

ディシスはシグーに対し深く頭を下げると、ファングを伴って奥神殿へと歩き出した。
背中に視線は感じるが、この際やむを得まい。
何よりこのことを早くジークフリートとユーノスの耳に入れるのが先だと、ディシスは自分にそう言い聞かせた。

回廊を渡り、彼等の視線が届かない場所まで来たところで、背後を無言でついてきていたファングが重い口を開く。

「……反乱か」
「……なんだよ、心当たりでもあったのか?」
「自分の侯家について悪く言うのははばかられるが、実際、侯爵殿については最近よからぬ噂しか聞いていなかった」

奥神殿はジークフリートの聖域であるため、この回廊を通る人間はごくわずかだ。
ファングは回廊の柱に背を預けて、何もない石造りの屋根を見上げた。

「お前はいいな」
「は?」
「何と言ってもメテオヴィースの当主はユーノス様だ。あの方がジークフリート様に不利になるようなことや、領民を苦しめるようなことをするとは思えない」

軽そうに見えて、とても実直な人だから。
その点においてはディシスも反論はしない。メテオヴィースはこの王都フィストを囲むような領地を持つ、13諸侯の筆頭だ。

「エリオス侯爵は最近人が変わったようになってしまった。誰の忠告も聞き入れない」
「……ファング」
「奥方はイース様を連れて、スレイオス領へ戻っているそうだが、そのスレイオスもいい噂を聞かない」

13諸侯のうち、一体いくつの侯家が神官達と結託しているのか。あの風の侯爵であるロジャー辺りならば全てを知っているのかもしれないが、いかんせん、ディシスはロジャーという人間が苦手だった。もともと人間同士の心の駆け引きには向いていない。

「ジークフリート様達は気付いていると思うか?」
「それは気付いているだろう。あの方はそういう感情には敏感だ」

大神官家の血なのだろうか。
フォルスマイヤーの血を継ぐ親子は、何故かそういった人間の負の感情に殊更に敏感だった。
額の印のせいか、特にリュークとフィアルにはその傾向が強い。

「どうなってしまうんだろうな……この国は」
「どうにもならねえよ。なるわけないだろ?そのためにオレ達はいるんだから」

決して自ら戦いをもとめるのではなく、守るために。そのために自分達は毎日厳しい訓練をして、己を戒めているのではないか。

「でも……ディシス」

その守るべきものの中に、敵がいたら。
―――――その時、自分達はどうしたらいい?


* * * * *


自分は、おそらく彼女を愛していたわけではなかった。
けれど、大切に想っていた。
それは義務ではなく、おそらく家族に抱くような愛情だったのかもしれない。
燃え上がるようなそんな想いではなく、穏やかな暖かさをずっと感じていた。
少なくとも自分はそれを幸せだと想っていたが、彼女はどうだっただろうか。

ユリーニは―――――どう想っていただろうか。

リュークの生存を最期まで知ることなく、フィアルの誕生に沸く国民の歓声の中、ひっそりと息を引き取った妻は。

(ジークフリート様)

どうして彼女は、あの最期の瞬間に微笑んだのだろう。

(わたし、あなたに家族をあげたいんです)

そう言って、膨らみ始めた腹部を愛しそうに撫でていたその穏やかな顔は、紛れもない母親のものだった。
けれど、ユリーニ。
君も間違いなく―――――その家族の一員だったんだ。
それを君は、知っていただろうか。


* * * * *


「ジークフリート」

ゆるゆると目を開けると、目の前には心配そうないつものユーノスの顔があった。
ここのところ、不穏な動きのある神官や諸侯達の調査や説得工作のせいで、眠る時間が短くなっていたからだろうか。
朝の祈りの勤めを終えた後、奥神殿へ戻り、中庭の見えるその部屋で座った途端に睡魔に襲われたことをぼんやり思い出した。

「お前、ちゃんと休んでるのか?睡眠はきちんと……」

眠っている自分にかけてくれようとしたのだろうか。
広げたブランケットをたたもうとしている親友に、ジークフリートは静かに口を開いた。

「夢を……見てた」
「……夢?」
「久しぶりに……ユリーニの」

その名前を聞いたユーノスの手がぴたりと止まる。
わかりやすい彼の顔には、痛ましいものを見るような表情が浮かんでいて、ジークフリートは薄く微笑んだ。

「笑ってた」
「……そうか」
「どうしてだろうな……私が思い出せるユリーニは、いつも笑っているんだ」

柔らかな明るい茶色の髪を風に揺らして、笑っている。
知っていた。わかっていた。
彼女は本当は涙を堪えながら、それでも自分のために笑っていてくれたことを。

「残酷な男だな、私は」
「でも……お前は」
「私に自分で伴侶を選ぶ権利が、例えなかったとしても、残酷だったことに変わりはないだろう?」

今までの人生の中で、本当の意味で愛しいと感じるのは、二人の子供達と自らの半身だけだった。
でもそれは決して、恋愛感情ではない。
ジークフリートは、本当の意味で深く深く誰かを愛したことがなかった。

「それでも……今でも時々夢を見る」
「ジークフリート……」
「一度でいいから泣かせてやりたかった」

どんなに想っても、彼岸へ旅立った彼女にはもうまみえることはないけれど。
そう、こうしてどんどんと自分は罪を重ねていくのだ。
いつまでたっても、失ってからああすればよかった、こうすればよかったと、ただただ思うだけ。

そんな自分がイヤで、昔はよくサーシャの前で泣いた気がする。
彼女もまだ歳若い子供の竜だったから、二人で一緒に泣いた。
今になって思えば、ユリーニにそんな自分を見せるべきだったのかもしれない。

「死んだ人間は、永遠にその姿のまま、残された人間の心に生き続ける」
「……ユーノス?」
「でも、後になって何かを願っても、彼等はもういない。だから生きている人間は、その想いを自分に都合のいいように変えるんだ。彼等は見守ってくれている、彼等は許してくれている、そう自分の中で昇華して、新たな道を進めるように」

ユーノスは手に持っていたブランケットをポイと放り投げた。
そういうことをするから、いつも女官に怒られていることなど覚えてはいないようだ。

「人間は弱い生き物だからな。いつまでも罪を背負ったままでは生きていけない」
「……」
「だから少しずつ、それを思い出に変える術が、人にはあるんだと思う」

そう言って軽く笑うと、ユーノスは横になったままのジークフリートの頭をわしわしとかき回した。

ジークフリートの中の罪悪感を少しでも軽くするような彼の行動に、一瞬視界が滲む。
けれどそれをジークフリートは意思の力で何とか止めた。

「悩んでる暇なんて……今はないな」
「そうそう、やることや問題は山積みだぜ?」
「13諸侯であることに誇りを持っている候家は大丈夫だと思うが……それでももう幾つかの候家は離反したと考えていいだろうな」
「ああ……残念ながら、空のエリオス、水のスレイオス、裂のステラハイムは確実だ」
「……もう隠す必要もないだろう、ユーノス」

言い辛そうに低い声で候家の名前を挙げた神官長に、ジークフリートは笑って見せた。
裏切りの兆候は、もっともあってはならない候家にも現れていることを、ジークフリートは既に知っていた。

「……後は、魔のファティリーズ」

ユーノスは隠すのを諦め、親友の瞳を真摯に見つめた。
ファティリーズは13諸侯の中で、もっとも闇に近い属性故に、その存在は特殊だった。

「斬のブルデガルドにも、不穏な影がある。ブルデガルド候本人は迷っておられるようだが」
「そうか……だが候の奥方は元々ステラハイムの出だ。そちらからの圧力も相当なものだろう」

正直に言うならば、エリオス、スレイオス、ステラハイム、ブルデガルド4候家の離反はジークフリートの想定の範囲内だった。
元々この4候家は縁続きで、特にエリオス侯爵は権力欲が強いことで有名だったからだ。

「ファティリーズか……」
「……ファティリーズ候は、そう言ったことに興味があるようには見えなかったがな」
「いや、エアリエル候からは占術で前々から忠告はされていた。だが本気で受け止めなかった我々のミスだ」

星のエアリエル女侯爵は、ことある毎に心配そうに忠告をしてくれていた。
優しい彼女は、まるでジークフリートやユーノスのことを弟のように可愛がってくれていた。
その言葉をまさか、という自らの願いから聞き入れなかったのが悪かったのだ。

「ロジャーの言葉じゃないが、いつ火を噴くかわからない状況だな」
「……ああ……だが……」

ジークフリートはそこで何かを言いかけて、迷うように視線を彷徨わせた後、言葉を濁した。

「何だ?」
「いや……何でもない」

どこか感情を押し込めたように、ジークフリートは微笑んだ。
その時ユーノスは、ただこの親友が先のことを憂いているだけなのだと信じて疑わなかった。