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- - - 第20章 白夜の炎5
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その日の仕事を終え、ファングと二人で神官達の動向を探った後、リュークの元へ行こうとしていたディシスを呼び止めたのは、目をキラキラと輝かせた少年達だった。

「ディシス様!」

その身体に似合わない大きな剣を抱えて、満面の笑顔で走り寄ってくるのは、ヴォルマイオス候の嫡子であるゲオハルトだ。
ヴォルマイオス候は豪胆な人柄で、ディシスも懇意にしていることもあり、ゲオハルトはよくディシスになついていた。

「ゲオハルトか。どうした?」
「ディシス様、剣を教えてください!」

ゲオハルトの後ろから、真っ赤な髪と瞳の少年もワクワクしたようにディシスを見つめている。
無邪気で純粋なゲオハルトやアゼルは確かに微笑ましいのだが、見る度にリュークのことを思い出して、ディシスの胸は痛んだ。

「悪ぃな、ちょっとこれから用事があるんだよ」
「えー!」
「また今度遊んでやるから、な?」
「遊びじゃなくて、稽古だよ!」

ぶぅ、と頬を膨らませるゲオハルトの頭を、ディシスは笑いながらポンポンと叩いた。
その様子を見ていたアゼルが、不意に呟く。

「ディシス様、用事って父上のところに行くんですか?」
「あ?ユーノスのところじゃねえけど……何でだ?」
「そう言えば、今度王宮に来た時には、訪ねるように言われていたのを思い出したので」

アゼル達諸侯の子供達は、王宮には入れても、神殿に入ることを許可されていない。
しかも最近の情勢の不穏さもあって、ジークフリートとユーノスは、ほとんどの時間を奥神殿で過ごしており、誰かの付き添いがなければ会える可能性は薄かった。

「ったく……あいつ、メテオヴィースの館に一体いつから帰ってないんだ?」
「んっと……2ヶ月は見てない気がします」
「よく我慢してるよな、お前の母上は。離縁されても文句言えねえぞ、あいつ」

まだ妻を迎える気など全然ないディシスには想像しかできないことだが、それでも夫婦仲が悪いわけではないのが不思議である。
ユーノスの優先順位はジークフリートが一番で、家族がその後であることは、有名な話だ。

「父上に会えますか?」
「そうだな……今日は忙しそうだったからな。明日にでも都合付けて会わせてやるよ」
「本当ですか?」
「何だ、疑り深いな」
「父上は……約束を守ったことがあんまりないから」

自分の子供と約束したことくらい、守れよ!
と言うか、守れない約束なら、するべきではないとディシスは思う。

ディシスとユーノスは従兄弟同士である。
そこまで血が近しいわけではないが、親戚であることに変わりはなく、アゼルのこともそれなりに可愛がってはいるのだ。
目の前の父親がいないことで寂しい想いをしているに違いないアゼルに、ディシスは優しく笑いかけた。

「明日な。我慢できるか?」
「はい!」

嬉しそうに笑うアゼルに、ディシスはまたリュークを思い出す。
何故だろう―――――無性に今、あの少年の顔が見たかった。
フィアルが訪ねてくるようになって、格段に微笑むことの多くなった彼だったが、周囲の人間にひどく気を使うところは変わらなかった。

もっと我侭を言っていいんだと言っても、困った顔をする。欲しいものもないという。
一体リュークが今何を一番望んでいるのかわからず、何もできない自分に、苛立ちすら感じてしまう。
そんなことを思いながら、ディシスは手を振り遠ざかっていくアゼル達の背中を見つめていた。


* * * * *


「……それはあのチビに貰った花か?」
「うん」

アゼル達と別れたその足でリュークの元を訪ねたディシスは、大切そうにリュークが飾っているその小さな花を、ぼんやりと見ていた。
ひどく人見知りなあの小さな姫が、兄であるこの少年には無条件に心を開いているのが不思議な気がしてならない。

「綺麗だろ?」
「ハイハイ……ったく、お前の妹バカにも参るよな」
「妹バカって……」
「ほんとのことだろ?それにあのチビ、いつまでたってもオレには近付こうとすらしねえしよ……」

ブツブツと小声で文句を言う悪友を、ファングはいささか冷たい瞳で見つめた。

「それはお前が、姫が来るたびにちょっかい出そうとするからだろう」
「無視するのもおかしいだろ!?」
「いや、お前の場合明らかに行動が怪しいんだ。だから姫も警戒するんだろう」
「そりゃお前はいいよなぁ!?あのチビにすんなり打ち解けられてるんだからさ!」

そうなのだ。
意外なことに、フィアルはディシスよりもファングの方に早く打ち解けた。
彼女にとっての人の判断基準は、ただ単純に体格が大きいとか強面だとかいう問題ではないらしい。
ディシスから逃げる時に、リュークだけではなくファングの後ろにも隠れるようになったのがその証だろう。

「テーゼは……その、ディシスを嫌ってるわけじゃなくて……いきなり親しく話しかけられることに慣れてないだけだと思う」
「お前は親しいじゃねえかよ、リューク」
「いや……俺はその……肉親だし」

もごもごと言葉を濁すリュークに、ディシスはますます不機嫌になる。
大人気ないとわかってはいるが、ああもあからさまに逃げられると……何と言うかその……凹むのだ。

はぁ……とディシスがため息をついて扉に寄りかかると、ふいにその扉は音も立てず開いた。

「―――――!?」

寄りかかっていた身体は支えを失って、バランスを崩す。
その視界に小さな姫の姿が入ったのは、ほぼ同時だった。

「きゃ!」
「おわっっ!!」

ガターン!と音を立てて、ディシスは扉の向こうにいたフィアルの身体へと倒れこんだ。
とっさに腕を伸ばして、何とかその小さな身体を下敷きにしないようにしたのは、腐っても近衛騎士といったところである。

「テーゼ!」
「姫!?」

思いっきり顔を床にぶつけたディシスの耳には、室内にいた二人の声がはっきりと聞こえていた。
呼ぶのはチビの名前ばっかりかよ……!と文句のひとつも言いたくなる。相当驚いたのか、ディシスの腕に抱えられた小さな身体は、硬直したかのようにピクリとも動かなかった。

「いてて……顔打った……」

真っ赤な鼻をしているディシスには目もくれず、リュークはフィアルへと走り寄った。

「テーゼ!?」

呆然としたままのフィアルの身体をディシスの腕から奪うように抱きしめると、リュークはその顔を覗き込んだ。
大きな淡い蒼の瞳が、ぱちくりと動いて、ぼんやりと兄の姿を視界に映す。

「兄様……」
「大丈夫か?痛いところないか?」

後ろからディシスの「オレは鼻が痛えよ!」という叫び声が聞こえたが、リュークはそれをサラリと無視してフィアルの頬を撫でる。
やがてその瞳には光が戻り始め、フィアルは目の前にリュークにぎゅう、と抱きついた。

「兄様ぁ……」
「びっくりしたな、でも大丈夫だ」
「だからオレが大丈夫じゃねえって……」

兄妹の会話に抗議するように割って入ったディシスに、フィアルは少し潤んだその大きな瞳をキッと向ける。

「ばか!」
「……」
「でべそ!すけべ!」
「……そういう可愛くないことを言うのはこの口か!?ああ!?」

リュークの腕に抱かれたままのフィアルの頬を、ディシスはうに、とひっぱる。
リュークに対する態度と180度違う、この扱いは何なのか。

「いひゃい〜!」
「そっか、痛いか。でもオレの鼻はもっと痛かったぞ!」
「ディシス、離してやってくれ」
「リューク……お前、ほんっとに激甘!そんなに妹が可愛いか!?」
「えっ……可愛いけど」

きょとん、とした顔でフィアルを抱いたままリュークはディシスから一歩遠ざかる。
そのおかげでディシスの手はフィアルの頬から離れた。

(―――――忘れてた)
(こいつ……王子様だったんだった)

あんまりにも質素な生活をしているのですっかり頭から抜け落ちていた事実に、ディシスはガックリと肩を落とした。
素で可愛いと言ってしまう辺りが、王子だ。

「お前の負けだな」
「……オレはこのチビに負けたわけじゃねえぞ」
「分かってるよ。リューク様の一人勝ちだろ?」

ファングの苦笑が多少引っかかるものの、ディシスは打ち付けた鼻を押さえながら立ち上がる。
その視界に、すっかりついさっきのことを忘れたかのような仲睦まじい兄妹の姿が入った。

嬉しそうに笑いながら、持っていた花を差し出す妹姫。
それを穏やかに微笑んで受け取っている兄王子。
もしもこんな運命がなかったら、神殿でも王宮でも普通に見られたであろうその光景は眩しくて、ディシスは目を細める。


* * * * *


そう……もしも。
もしも、こんな運命がなかったら。
もしも、この先の運命が―――――あんな形でなかったのなら。

ずっと遠い未来に、二人はこうして笑っていただろうか。

けれどその時、ディシスとファングにできたことは、目の前にあるささやかで優しい光景を見守ることだけだった。