Clover
- - - 第20章 白夜の炎6
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「アル」
『……ん?』
「アル」
『なんだ?』
「何となく、呼びたかっただけ」

えへへ、と笑う半身に、竜王は微笑んだ。
明るい太陽の光、咲き乱れる花、そして静かなこの場所には今、彼等しかいない。

彼女が対の魂を持っているからなのか、それともこれは守護竜としての本能であるのか。
竜王はフィアルに対して自分が感じるこの想いが、ある意味執着めいていると気付いていた。

無条件に心惹かれる人間。
全ての竜の王であるはずの自分が、全てを捨てても守りたいと思う。

歴代の竜王は、竜宮の光の柱から生まれた。
けれど、自分が生まれた光の柱は、間違いなくこの目の前の少女から立ったのだ。
そのせいで、自分が歴代の竜王とは違い、彼女の命が通常の寿命以外の形で失われれば存在することができない。
その不安定さを危惧する声が、竜族の……とりわけ長老達から出ていることは知っていた。

けれど、それがなんだと言うのか。
もしこの少女が死ぬのなら、一緒に死んでも一向に構わない。
彼女を失ってなお、長く続く生に未練など欠片もないだろう。

長老達や、四元素の竜王達からも口うるさく言われたことだ。
確かに彼は竜族よりも、目の前の小さな少女だけが大切だった。
そのことを彼等は恐れている。
四大竜王は元々大神官の守護竜だったこともあり、そんなことは考えてはいないようだが、長老達の中には彼女の早い死を望むものさえいるのだ。
それが―――――許せない。どうしても、許すことができない。

そのせいもあって、彼はいまや完全に竜族とは距離をおいた状態にあった。

『俺はな、テーゼ』
「?」
『一度、アイツの竜にも会ってみたかったって、思うんだ』
「アイツの竜……?」
『お前の兄貴の、守護竜だよ』

そう、最近では何故か強くそう思う。
光竜である自分とは、完全に逆の存在。敵にしかなりえない存在であるその竜に会ってみたかった。
仲睦まじいリュークとフィアルの姿を見る度に、その想いは強くなる一方だった。

もしかしたら二人のように、親しくなれたかもしれない。
フィアルとリュークを大切に慕う自分達であるなら、尚更だ。
一度も人の半身として生まれてきたことのない、長老達にはわかるまい。

「守護竜って……魔竜のこと?」
『ああ、そうだ』
「どうして?」
『お前とアイツが仲良くできるなら、俺達だってできるかもしれないだろ?』
「……うん、そうだね」

ふわり。
フィアルは穏やかに笑う。
時々、彼女は子供とは思えない表情で、微笑む。
それが何故だか、眩しくすら感じた。

「魔竜はどこにいるの?」
『封印されたはずだ。ジークフリートがどこかの時空に封印した。それがアイツを生かすための条件だったそうだ』
「眠ってるの?」
『……ああ、ずっとな』
「私も会いたいな。兄様の竜なら、きっととってもとっても優しい子だね」

反目の印を額に戴いた、穏やかな気性の少年を思い出して、竜王は目を細めた。
魔竜とは、あの少年に似た、穏やかな竜なのだろうか。
もちろん会ったことはない……存在を感じたこともない。
想像だけが一人歩きをしているようで、竜王は瞳を閉じた。





「そうなったら、素敵ね」





閉じられた視界の中で、優しく響く彼女の声。
それは何故かとても懐かしく―――――切なく。
竜王は無言のまま、愛しい少女に頬を寄せた。


* * * * *


「ただ意向に従わない諸侯や大神官を殺しただけでは、結局それは反逆になりましょう。事を起こすには理由が必要ではありませんか?」
「理由、とな?」

暗い部屋の中、シグーを筆頭に神官達の代表者が集っていた。
しかし、その面々を前にしてもなお、ジョルド・クロウラは臆することはなかった。

「一番良いのは、彼等が反逆者であることの理由を作ることです」

ジョルドの言葉に、場はざわつき始め、各々が意見を次から次へと口にした。

「大神官への反逆……が一番正当な理由になるであろうが……しかし我々には最早、大神官は邪魔なのだ。あの男は言いなりになるような性格ではないからな」
「では巫女姫を使ったらどうだ?姫への国民の敬愛は大きい。しかもまだ幼い少女ではないか。どうとでもなろう?」
「しかし姫には竜王という半身がいる。あれを制御することは難しいぞ」

人の身でありながら、竜族の王と同等の立場であるフィアルを御するのは難しい。
竜族を敵に回すことは、彼等の身の破滅を意味する。それを選択できるほど豪胆な気性の人間はこの場にはいなかった。

(小心なことだ……これから国を揺るがし、我が物にしようとしている人間が)
(だが、それでいい)
(そうでなければ、意味がない)

ジョルドは内心でほくそ笑んだ。
彼の目的を果たすためには、彼等がそう考えてくれなければ意味がないのだ。

「巫女姫の存在は危険です。大神官と共に消えていただくのが、我々にとっては得策でしょう」

―――――死んでもらわなくてはならない。
ユリーニを死に追いやったあの親子には。

「では我々には正当な理由がなくなってしまうではないか」

シグーが物言いた気にジョルドを見つめる。
その視線に、ジョルドは穏やかな笑みを返した。

「いいえ。例え大神官、巫女姫が死するとも、大神官家の血が途絶えたわけではありますまい」
「……どういう意味じゃ?」
「大神官家にはもう一人、お子がいらっしゃる。そうではありませんか?」

ジョルドの声はそれほど大きな声ではなかったのに、何故かシンとした部屋に響き渡った。
それは、神官達であろうとも決して口にすることのない、禁忌だ。

―――――忘れられた王子。
そう―――――彼がいる。

「あの王子を使うと……?正気か?ジョルド・クロウラ」
「王子は大神官家の正当な跡取りとして生まれながら、その額の印のせいで、長い間幽閉状態にあった。本当かどうかもわからない、判断基準など何も存在していない御伽噺のような理由で。それだけで充分、民の同情を引くことは可能でしょう」
「しかし……あの王子には、魔竜がいる」
「だからこそ、好都合ではありませんか。大神官が死ねば、魔竜にかけられた封印は解けます。巫女姫と共に竜王が滅んでも、魔竜が我等の元にあれば、竜族はおいそれとは手出しはできますまい」

魔竜は、竜王と同等の力を持つと言われている竜なのだから。
しかも今まで封印されていたということは、魔竜はまるで生れ落ちたばかりの赤子と同じだ。
妙に聡い巫女姫の守護竜である竜王よりも、遥かに御しやすいことは確かだろう。

確かに、同じユリーニの子であるはずなのに。
片方は彼女を死に追いやり、片方は彼女に最後まで存在を知られることはなかった。

ユリーニの子……そう思えば迷いが生まれる。
ジョルドは努めて、リュークとフィアルのことをジークフリートの子だと思うようにしていた。
外見にユリーニの面影があれば、その心も鈍ったかもしれないが、二人はあまりにもジークフリートに似ていた。

「王子には、この国の頂点に立っていただきましょう」
「……大神官、ということか……クク……」

ジョルドのことを、自分によく尽くしてくれる信頼できる部下だと思っているシグーは、白いひげをさすりながらにやりと下碑た笑いを浮かべた。彼の言い分が一番自分達に都合よく、ことが運ぶと判断したのだろう。

「大神官……というのも、面白くありませんね」
「では、なんと?」

ジョルド・クロウラは一瞬考え込み、そして思いついたかのようにシグーをはじめとする、居並ぶ神官達へ宣言した。





「魔神官様……と呼ばせていただきましょうか」





それに対する異議を唱える者は、己の欲望に支配された神官達の中には一人もいなかった。


* * * * *


触れる。
ゆっくりと―――――その頬に、髪に、手のひらに。
少しだけ高い子供の体温は、何故かリュークを安心させる。

本を読んでやっているうちに眠ってしまった妹を抱き上げ、寝台へと運んだ後から、彼は飽きることもなくその寝顔を見つめていた。
誰かが側で眠ってくれたことは、今までなかったことだ。
すぅすぅと、安心しきった顔で寝息を立てているフィアルに、何故だかリュークは心の奥がとても暖かくなるのを感じる。

ディシスやファング、そして自分の父親達がくれるものとはまた違った気持ち。
彼等にとって、自分という存在は守るべきもので、庇護の対象だ。
けれど、フィアルだけは違う。
この小さな少女は、自分が守りたいと思えるたった一つのものだった。

心配をかけたくない。
その一心で、どこかいい子になろうとしていたリュークに、フィアルは言う。

(「心配、したいよ」)
(「させて?兄様」)

―――――君が。
俺を俺にしてくれる、たった一つのもの。
本当に我侭を言ってもいいのなら―――――側にいてほしい。

柔らかな頬、穏やかな寝顔にリュークは小さく微笑んだ。
すぐ側に迫っているその現実には、気付くこともないままに。





―――――そして、その時は静かに訪れた。