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- - - 第20章 白夜の炎7
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―――――その時は、突然に訪れた。

大陸の中でも、シュバルツほどではないにせよ、ノイディエンスタークの王都フィストは北方に位置する。
神官、ならびに神官に組する諸侯達が一斉に蜂起したのは、そんな寒い日の朝のことだった。

神官達は武装し、王宮を占拠。
それに伴い裏切った諸侯達は、近隣の諸侯の領地へと一斉に攻め込んだのだった。

神殿を取り囲む神官達と、近衛騎士団の睨み合いが続く中、ジークフリートは自らの守護竜であるサーシャと共に祈りの間にいた。

『……ジークフリート』
「彼等が反乱を起こすことを……私は知っていたよ、サーシャ」

ロジャーはよく調べてくれた。
ユーノスと二人、秘密裏に事を運んでいたはずだった。
神官達に与さないよう、必死に説得をし続けて。
―――――この国に住まう者達を守るために。

「わかってくれると信じたかった。私の……大神官の権威が最早ないとしても、国と民を思う気持ちは同じだと、信じていたかったよ」
『……あなたは優しすぎるわ』
「ロジャーにもユーノスにも言われた……何度もな。こんな事態が起こる前に用意をして、いざという時にはこの国を一時去ろうと。私が生きていれば、ノイディエンスタークも13諸侯も再建はできると」

ジークフリートは静かに、白い花の咲く中庭を見つめる。
その瞳には怯えも恐怖もなく、ただ静けさだけがあった。

ユーノスとロジャー、そして神官に与さなかった諸侯達には、領地へ戻ることを命じた。
彼等には守るべきものがある。その誇りのままに、戦うことを選ぶ者もいるだろう。けれど神殿にいるよりは領地へ戻る方が、落ちのびて生きる道は開けるだろう。

「愚かだと思うか?サーシャ」
『私があなたを愚かだなどと思うはずがないわ』
「いいや、私は愚かだよ。生きる手段を知っているのに、そしてそれをみなが望んでいるのを知っているのに、それを拒んでいる」

大地へ祈る大神官だからこそ、わかることもある。
この大地に蓄積された闇の深さ、淀みの大きさを、彼は悲しいくらいに知っていた。

「この大地も、国も、仕えてくれた人々も……そして、友も」
『……』
「全てが私を縛る、枷だった」
『……ジークフリート』
「重くて……つらくて、投げ出したいことも、泣いて叫んで全てを捨ててしまいたいと思ったことも、何度もある」
『もう……いいのよ』

サーシャの悲しみに満ちた言葉にも、ジークフリートは話すことをやめようとはしなかった。
やめてしまえば、押しつぶされてしまうから。





「私はずっと、解放されたかった。楽に……なりかたった」





大神官家に生れ落ちた、その瞬間から彼を縛り続けたもの。
そしてそれは確実に、彼の二人の子供達にも引き継がれていたのだ。

「私はこの大地を、とても愛している。それは理屈ではなくて、何故か心の底からそう思ってしまう。大神官家の血を引く者のそれは運命なのかもしれない」
『運命……』
「魂に刻まれたもの、なのかもしれない。きっと私だけではなく、あの子達も同じなのだろう」

でも……たとえそうだったとしても。
ジークフリートはリュークとフィアルに、それをどうしても背負わせるのがイヤだった。
遥か昔、この世界に人が生まれてからずっと続いてきたノイディエンスターク大神官家の血に、刻まれた運命だとしても、だ。

「私は結局、あの子達の未来を祈ることしかできない。見えない未来をあの子達に押し付けて、逝こうとしている。どうしようもない卑怯者だ」
『ジークフリート……』
「お前の未来も奪ってしまう……すまない、サーシャ」
『いいえ、私はいいのよ。あなたは他の誰かには謝っても、私に謝る必要はないの』
「でも……」
『だって、私はあなた。あなたが決めたことは、私の決断でもあるわ。あなたにはわかってもらえないかもしれないけれど、守護竜として生まれた竜はみなそう思うものなの。私達は他の竜のように卵から生まれるわけではないから、共に生まれた大神官こそが、全てなのよ。父であり兄であり弟であり……あなたが私の全てであることは決して消えないわ』

自らの半身である風の娘の真っ直ぐな視線に、ジークフリートの胸に込み上げるものがあった。
その感情に必死で耐えているような彼に、サーシャは優しく頬を摺り寄せ、囁く。





『誰が何と言おうと……私はあなたの半身で生まれて幸せだったわ。忘れないで』
「サーシャ……」





ありがとう……と呟いた言葉は、彼女の耳に届いただろうか。
しばらく感情を抑えるように黙っていたジークフリートは、やがて顔をあげると、部屋の外で警護の任についていた近衛騎士を呼んだ。

「ファングに、ここに来るように言ってくれ」

―――――それは彼の決意を秘めたような、凛とした声だった。


* * * * *


どこかいつもと様子の違う父親に、リュークは戸惑っていた。
突然、しかもこんな昼間にジークフリートがここに来ることはとても珍しいことだ。

「父上?」
「リューク、聞きなさい」

ジークフリートは息子の肩に手を置いて、少しだけ身を屈めた。

「お前はこれからここを出て、ファングと共に他国へ行ってもらう」
「えっ……!?」
「ジークフリート様!何を……!?」

ファングもここへ来る途中には何も聞かされていなかったのか、驚きの声を上げる。
しかしそんな二人を諭すように、ジークフリートは話を続けた。

「この後、ディシスにもフィアルを連れて逃げさせる」
「父上……?何で……一体何が!?」
「神官達や裏切った諸侯が反乱を起こした。お前達はここにいれば、利用されるか殺されるかのどちらかだ。逃げなさい」

状況がわからず、混乱したような息子から視線をはずすと、ジークフリートはファングへと真っ直ぐに視線を向けた。

「ファング、頼む」
「いいえ!ジークフリート様が残られるなら、私も残ります!ディシスとて同じことを言うに決まっています!私の剣はあなたに捧げたものです。逃げるなんて、できない!」
「それでも、お前に頼む。私の息子を守ってくれ」

ジークフリートには、ファングの気持ちは痛いほどわかっていた。
日頃、冷静な彼がここまで強く言い返すからには、ディシスにフィアルを連れて脱出しろと言えば、もっと拒絶されるだろう。
しかし、今のジークフリートには、もう他に手が残っていない。
このまま、二人の子をこの場所に残すことだけは、何としても避けなければならなかった。

「私は……私はあなたを守る騎士です。あなたを置いていくことはできません」
「ファング……」
「ジークフリート様……どうか……!」

心の底から搾り出すような声で、ファングは跪く。
けれどそれを許可することが、ジークフリートにはできなかった。

「ファング……頼む」
「できません……私にはできない」
「頼む……お前にしか、頼めない。この子は外を知らない……一人で脱出することはできない。どうか……どうか私の子を守ってくれ。お前が守り、生きる術を教え、今まで感じることの許されなかった幸せを、自由を、この子に教えてやってほしい」

―――――いつか。
ここで別れた兄と妹が再会する時には、親友であるファングとディシスも共に笑っていて欲しい。
自分を助け、慕ってくれた若い彼等の命が、ここで尽きない為にも。

「お前達が、いてくれて……私は幸せだった」
「ジーク……フリート……様」
「頼んだぞ」
「……」

ファングが力なく頷くのを確認すると、ジークフリートは息子へと向き直った。

「……リューク」
「イヤです!俺も残ります!」
「お前は生きなさい。ここで命を散らしてはならない」
「俺は……俺はこの場所しか、ここしか、知らないんです。死ぬならばここで……!」
「お前は、フィアルを残して死ねるのか?」

残酷なことを言っている。
その生い立ちのせいで、大人びてはいても、未だ幼い我が子に言う言葉ではないこともわかっている。
けれど、言わなければならない―――――今。

「リューク、私はこの国の大神官だ。私には民に対する責任がある。お前が思っている通り、私はここで死ぬだろう」
「……!」
「ここで私と別れ、この国を出ても、いつかまた会えると信じていてほしい。フィアルに……あの子に会えると」
「父上……」
「私が死ねば、お前の守護竜である魔竜の封印は解ける。けれど、お前が生まれてすぐに封印された魔竜は、この世界のことも何もわからない赤子のような存在だ。しかも持って生まれた属性が魔と闇である限り、人の悪意に影響を受けやすい。フィアルの守護竜である神竜とはそこが違っている」

卵からではなく、人から生まれた竜の行く末は、半身である人次第と言っても過言ではない。
魔竜であるというだけで、常に人の悪意にさらされるであろう竜が心を闇に捕らわれれば、その行く末は明らかだった。
魔竜が闇に堕ちれば、必然的にその半身たるリュークも破滅してしまう。

「心を強く持つんだ。お前は他の人々からはひどい扱いを受けるかもしれない。けれど確かにお前を愛するものはいるんだ。私やユーノス、ディシスやファング、そしてフィアルのように。それを、決して忘れないでくれ」
「父上……」

父親に心配をかけないようにと、いつも穏やかに笑っていた息子は、今その瞳に込み上げる涙を押さえきれずにいた。
それでいい、と思う。
この子が自分の感情のままに、泣いたり、怒ったり、笑うことができる方が、ずっといい。

ジークフリートは小さく微笑みながら、ポロポロと涙を流すリュークを強く抱きしめた。

「こんな形でしか、お前に自由を与えてやれなくて……すまなかった」
「父……上……ッ」

細身に見えて、それでもやはり大きな父親の背中に、すがるように強くリュークは抱き付いた。
―――――失われてしまうのだ。
自分を生まれてからずっと、守り続けてくれたこの手は。
永遠に―――――失われてしまうのだ。

その大きすぎる喪失感と、身体に伝わる暖かなぬくもりが悲しくて、涙が止まらない。
愛してくれた。
おそらくこの世の誰よりも自分を愛してくれた人が、逝こうとしている。
こんな―――――突然に。

「父上ッ……父上……ッ」
「……お前は、幸せになりなさい。その心のままに生きるんだ。それは本来、全ての人間に平等に与えられたものなのだから。それをお前が望んでも、誰にもお前を責める権利などない」
「……ッ」
「お前がいつか誰かを愛して、そのたった一人に愛されて穏やかに笑える日を、私はここからずっと祈っているよ」

愛しい子。
幸せに……どうか幸せにと、願う。
その気持ちに偽りなどない。

たとえこれが、今生の別れになるとわかっていても。