Clover
- - - 第20章 白夜の炎8
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ファングにリュークを託し神殿へ戻ったジークフリートは、すぐに今度はディシスを呼んだ。
時折聞こえる遠い爆発音に、時間がさほど残されていないことに彼は気付いていた。

自分に最後まで付き従った諸侯達にもこの国を離れるように使者は出した。しかし彼等のような諸侯がそれを聞くとは思えない。自分の妻や子供達は脱出させても、彼等はそのまま領地に最後まで残るのだろう。

気が急いている。
早くフィアルをディシスと共に脱出させなければ。

フィアルにはリュークと違い、神竜が付いている。
そうそう大事になるとは思ってはいないが、フィアルという存在そのものを狙う者は多い。
大地を存続させる祈りの力は、リュークではなくフィアルに受け継がれているのだ。

「急がなければ……」
「何を急ぐ?」

突然近くで聞こえたその声に、ジークフリートはビクッと身を竦ませた。
慌てて振り返れば、そこにはひどく怒ったような顔の炎の侯爵がいた。

「ユーノス……」
「何を急ぐと、オレは聞いたんだ。答えろ」
「……フィアルを、脱出させる。ディシスと一緒に」
「……それで?」

突然グイッと襟を引かれ、ジークフリートは近くの柱に叩きつけられた。
怒りを隠そうともせずに、ユーノスはその燃えるような真紅の瞳で、ジークフリートを睨み付けている。

「お前は、オレのことを馬鹿にしてるのか?」

腹の底から発しているような、低い声だった。

「お前は、オレが一人で逃げるとでも思ったか?」
「……私は」
「お前が死ぬ覚悟をしているとわかっていて、オレが逃げると!?見損なうな!」
「お前には……家族がいるだろう!」

親友の激情に、ジークフリートは胸を詰まらせる。
自分に大切な息子と娘がいるように、ユーノスにも妻と息子がいる。
いつでも家族よりも自分を優先させてきたユーノスだが、心の奥ではとても家族を大事に思っていることを知っていた。
そんな彼に、どうして自分を選ばせることができる?
既に死を決めている自分に、そんなことはできはしない。

「オレの家族は、もう脱出させた。別れも済ませてきた」
「ユーノス!」
「領民も戦火に巻き込まれないように、避難指示は出してきた。オレの領主としての仕事は果たした」
「なら、お前も妻子と一緒に行け!」
「断る」

ユーノスはゆっくりとジークフリートの襟から手を離すと、先程まで激情しかなかったとは思えないほど静かな瞳でジークフリートをじっと見つめた。

「オレは昔、お前に言ったな。オレはずっとお前の側にいて、お前を守ると」
「……ユーノス……私は」
「重かったか?オレの想いが」
「……!」
「何もかも投げ出して死を選びたくなるほど、お前にはオレが、大地が重かったのか?」

見透かされている。
上手に隠したはずの心の全てが、この親友には全て見透かされている。

―――――違う。

何もかもが重かったわけじゃない。
大地のために祈ることが、イヤだったわけじゃない。
ユーノスがずっと親友として、側にいてくれたことは本当に嬉しかった。

大神官として、こうあらねばいけないのだと言われた通りの型に自分をはめようとしていたジークフリートを、ありのまま受け入れてくれた大切な、たった一人の友。
大事じゃないわけがない、守りたいと願わないわけがないのに。

「私は……お前に、生きて欲しい」
「……」
「本当に、そう願っているんだ!」

偽らざる本心を、まるで叫ぶかのように目の前の友へとぶつける。
こんな風に感情的にはなるまいと……最後を迎えるその時の覚悟はしていたはずなのに、止まらない。

「何故戻ってきた!?何故逃げてくれなかった!どうして生き延びる道を選んでくれない!?」
「……ジークフリート……」
「どうしてだ……ユーノス」

何か熱い雫が頬を伝った。
今まで散々何もできない自分を彼には見せてきたが、涙を見せたことは数えるほどしかない。
大神官になった夜、リュークとフィアルが生まれた日―――――それ以外には。

そんなジークフリートをユーノスはしばらく黙って見つめていたが、やがて静かな動作で、強く自分の肩を握り締めていた彼の手をそっと外すと、はぁ……と大きなため息をついた。

「あのなぁ、ジークフリート」
「……」
「お前はどうしてそうやって、悶々と一人で悩んでるんだよ」

バカじゃねえのか?いうと呆れた、でも少しだけ優しいその声に、ジークフリートは顔を上げた。
その揺れる視界に映るユーノスは、どこか困ったような顔をしていた。

「みんなに幸せになって欲しい、生きて欲しい。そうだな、オレだってそう思うさ」
「……」
「大事なヤツにはいつも笑っていて欲しいし、それを見たいと思うさ」
「……ユーノス」
「だから、そう思うのはお前だけじゃない、オレもなんだ。オレがそう思う相手には家族も、あのちっちゃい姫さんも、リュークも、ディシスやファングも、そしてもちろんお前も入ってる。わかるだろ?」

目を見開くジークフリートに、ユーノスは小さく笑った。

「オレはそう思っているから、大事な人が一人で泣いているのを放ってはおけないんだ」
「……ユーノス」
「わかれよ……頼むから」

先に待つものが、死しかないことを知っていて。
それでも一緒にいようと……彼は言うのだ。

「無責任だけど……未来は他の奴等に任せようぜ」
「……未来を」
「オレ達はそれを遠くで見守ればいい。彼等が道に迷う時にも、それを信じて見守ればいい」

ユーノスの瞳に、強い光が見える。
それはこの最後の時にあっても輝きを失わない、希望の光のように思えた。

「それがオレ達にできる、たった一つのことだろう?」

無責任に……勝手に押し付けていく未来であっても。
残していく人々が、自分の力で真実を見つけることを、ただ……ただ願う。
許されるなら―――――祈り続ける。

そう言って穏やかに笑う親友に、ジークフリートはもう涙を見せはしなかった。


* * * * *


嫌な予感はしていたのだ。
一緒に神殿の入り口で、いつ来るかわからない敵に目を光らせていたファングだけが呼び出された、その時に。

「お断りします」

その命令だけは聞けない。
例えそれが、主の心からの願いであっても、聞くことはできない。

「ディシス」

その返事があまりにも予想通りだったのだろう。
ジークフリートとその傍らに立つユーノスは、顔を見合わせて苦笑していた。

「オレに逃げろって言うんですか?貴方を置いて?そんなことは絶対にできません!」
「逃げろとは言ってないだろ?姫さんを連れて、脱出しろって言ったんだ」
「同じだろ!?」
「違うな。お前はこれからあの姫さんを護衛しなくちゃいけないってことだぞ」
「それでも、オレはイヤだ!」

各領地ではもう戦闘が行われている。
そんな一触即発の時に、何故自分がジークフリートの側を離れなければいけない?自分の剣は、彼を守ると誓いを立てた剣だ。その彼を置いて逃げるなんて、できるはずもない。

「ディシス」

不満を露にしたディシスに、ジークフリートは静かに声をかけた。
そっぽを向いていたディシスも、それには逆らえず、しぶしぶと正面を向く。

「私がここで死ねば、この大地は滅びる」
「貴方を死なせるなんて、絶対にしません!」
「この大地は、大神官の祈りがなければ存在することができない。私が亡き後、祈りを捧げることができるのは、フィアル……あの子だけだ。あの子だけは、死なせるようなことになってはいけない。このノイディエンスタークに住まう、全ての民のためにも」

穏やかな、それでいて逆らうことを許さないジークフリートの声に、ディシスはギリリと唇を噛みしめた。
わかっては―――――いる。
頭の中ではわかっている。
ジークフリートが言うように、自分はあの姫を守らなければならない。
そうしなければノイディエンスタークの大地は死ぬのだ。

けれど頭で理解はできても、心が納得してはくれない。

「ファングは……もうリュークを連れて脱出した」
「……なっ!」
「ファングも今のお前と同じように、ひどく反発したけれどな」

あの自分よりももっと頭の固い友が、この人を置いて脱出することを承諾したことが、ディシスには衝撃だった。
けれど、ジークフリートが自分に嘘を言うとは思えない。
リュークの存在は絶対に人に知られてはならないもので、フィアルよりももっとその脱出は急務だったのだろう。

「お前達が再会する時……それは私の子供達が再会する時にもなる」
「……ジークフリート様」
「もちろんお前達にも、出逢って欲しいと思っている」

ジークフリートは微笑みながら立ち上がり、ディシスの前に立った。
静かな瞳に、何かの覚悟が見える。





(―――――ああ、この人は……死のうとしている)





何故かディシスはそれを強く強く、察せざるを得なかった。





(「お前達はきっと、いい騎士になるな」)





そう言ってくれた日に誓った思いが、何故か儚い夢のように……遠い。





「ディシス」

ジークフリートはそのまま、静かに頭を下げた。

「頼む」
「やめてください!ジークフリート様!」
「あの子を……守って欲しい。あの子はこれから、たくさんの物を背負わされる。この国も、民も、何もかもを背負わなくてはいけない。それは……とても重く、そしてつらいことだ。一人で背負うには重過ぎる」

娘は賢いけれど、未だ幼い。
まだ6歳の娘に背負えるような、そんな簡単なものではないのだ。

「……頼む」
「ジークフリート様!」
「守ってくれ、私の娘を」

困惑し必死にジークフリートの顔を上げさせようとするディシスの肩を、ユーノスが掴んだ。
その瞳は、ジークフリートと同じように何故か静かで、ディシスはますます不安を募らせた。

「わかるか?」
「え……?」
「自分の子を、他人に託すということがどういうことか。お前にわかるか?」
「……ユーノス……お前……」

そう、ユーノスがここにいることに、ディシスはハッと気付く。
メテオヴィース領はこの王都フィストを囲むような領地だ。反乱を起こすなら一番に落とされておかしくない。
その領主であるユーノスが何故ここにいるのか……答えは一つしかなかった。

「メテオヴィースは、落ちたのか!?」
「いいや、まだだ。でも時間の問題であることに変わりはない。領民や女子供は既に脱出させた。館に残っているのは、最後まで抵抗すると言って聞かなかった、大馬鹿者達だけだ」
「お前……」
「メテオヴィースの奴等は、本当に馬鹿というか……お人よしというか。みんなオレに神殿へ行けと言うんだ。誇り高きメテオヴィースの神官長ならば、最後まで大神官を守れとさ」

肩を竦めて笑うユーノスだが、この場所に来るまでに多くの葛藤があったであろうことは、ディシスにも容易に想像ができた。
ユーノスも、信頼できる部下に息子であるアゼルを託してきたのだろう。
いつか、フィアルがこの地に戻る時には、その隣に神官長として立つ存在であるが故に、彼の運命もまた、この先平穏なものではなくなるのだ。

「子を託すということは、己の命より大切なものを任せられるほど信頼しているこということだ」
「……でも……オレは……ッ!」
「ディシス」
「オレは……イヤだ!ジークフリート様とお前を置いていくなんて……オレはできない!」

二人がその覚悟を既にしていると言うのなら、共に戦って死にたい。
自己満足と言われればそれまでかもしれないが、それでも二人を置いていくなんて、自分にはできなかった。
瞼の裏に、涙がじわりと滲むのを、ディシスは必死で堪えた。

「ディシス」
「……ジークフリート……様」
「私達はいい。充分とは言えないかもしれないが、既に数十年を生きてきたんだ。でも……フィアルには未来がある。あの子の未来を、私はここで消したくはない」
「……ッ」
「あの子は泣くだろう。自分を責めて、たくさんのものを憎むのかもしれない。そんなあの子の側に、私はお前にいて欲しいと思っているんだ。共にあって……あの子が泣く夜も、憎しみに震える時も、怒りに我を忘れた時も、お前はきっとあの子と同じ心を持てるだろう。同じ心を分かち合うことができるだろう。それは……決してお前もフィアルも一人ではなくなるということだ。一人でなければ……誰かが側にいてくれることが……必ず救いになる時が来る」

自分に……この炎の侯爵がいてくれたように。
命尽きるその時まで、側にいてくれる存在の、何と心強いことか。
ディシスにその役目を押し付けるのは、単なる親の我侭なのかもしれないけれど、それでも彼に託したいと思った。

フィアルにディシス、リュークにファングを選んだのには、それなりの理由がある。
娘にはきっと、優しく見守る存在よりも、罵り傷つけあいながらも共に歩く存在の方が必要になると思った。
それにはファングよりも、ディシスでなければならなかった。
あの感受性が強く人の心に敏感な娘が、本音で接することのできる相手でなければ、いつかあの子の心は壊れてしまうだろう。

だから、ジークフリートは繰り返す。
若きこの青年に、大事な娘を託すため。

「頼む……」
「……」
「守ってくれ、私の娘を」

心からの想いを、言葉にのせて。
それを拒否することなど―――――もう、ディシスにはできるはずもなかった。