Clover
- - - 第20章 白夜の炎9
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ファング、リューク、ディシスを何とか説得したものの、一番拒否反応の強かったのはやはり彼女だった。

「イヤ!」
「……フィール」
「絶対に……絶対にイヤ!父様が行かないなら、私は行かない!」

柱に掴まって、絶対に動かないという風に首を横に振るその瞳は既に潤んでいて、ジークフリートは困ってしまう。
その後ろで、竜王も睨みをきかせているので、ディシスやユーノスも彼女に近付くことができなかった。

「ほら、ちっちゃい姫さん。ジークフリートもオレも後から行くから」
「ウソ!」
「……ウソって」
「ユーノスは嘘付くとき、目をシパシパさせるからすぐわかる!」

大声で指摘されて、ユーノスは反論できなくなってしまった。
まだ6歳の娘にまさかそこまで見透かされているとは思わなかったのだ。

「だからウソ!父様もユーノスも来ないなら私は行かない!」

彼女相手に、ごまかしはきかない。
その場にいた三人の青年達は、そのことを悟らざるを得なかった。

「……フィール」

苦笑しながら、ジークフリートは娘に手を差し伸べる。
いつもしているように、彼女を抱きしめるために。

「おいで」
「……」
「フィール」

優しい声音にフィアルの手が緩む。
けれど心がついていかないのだろう。いつもなら喜んで飛び込んでいけるはずのジークフリートの腕の中にどうしてもいくことができず、所在無げに立ったままだ。
そんな娘にジークフリートは自分から近付くと、柱の横に立ちすくんでいるフィアルの小さな身体を優しく抱きしめた。

「フィール」
「……父様……」

泣きそうな声でぎゅっと抱きついてくる柔らかで暖かい身体を、ジークフリートは心から愛しいと思った。
目を閉じて、先に脱出させた息子のことが頭をよぎる。
泣かせてばかりだ、いつも、いつも。

「イヤだよ……父様、離れるのはイヤ……」
「フィール……」
「離れたら、もう逢えなくなるんでしょう?」

そんなことはない、と言おうとして、ジークフリートは口を開こうとした。しかしそんなことをしても、この子にはすぐにわかってしまうだろう。
そう、この子にはもうわかっている。
離れれば、もう二度と逢えない……その事実がわかっているのだ。

「フィール……リュークが、兄様が好きか?」
「……うん」
「お前の言うとおり、今離れれば私とは逢えなくなる。それは本当だ。お前には嘘はつかない」
「父様……」
「でも、リュークには逢える。兄様とは必ず逢える。お前は一人じゃない」

ポロリとフィアルの瞳から涙が零れ落ちた。
イヤだと……それを受け入れるのはイヤだというように、フィアルはぶんぶんと首を振る。
兄がいる……でも父はいなくなる。それを受け入れるのは、イヤだと。
その様子を見て、ディシスはたまらないというように、顔を背け……俯いた。

「私もサーシャもユーノスも、もうお前の側にはいられない。でも忘れないで欲しい。私達はいつまでもどんな時も、お前を愛しているよ」
「愛してるなら、側にいて!」
「……フィール」
「一人で置いていかないで!お願い、父様!」

生まれてからずっとこの奥神殿しか知らない娘にとって、ジークフリート達だけが世界の全てだった。
その世界が、失われる。
足元から何もかもが消えてしまう恐怖。
それはフィアルの中にも、もちろんリュークの中にも存在していた。

自分にしがみついて声を上げて泣く娘を抱きしめながら、ジークフリートは傍らにあった竜王を見上げた。
彼は何とも言えない表情で、けれどその瞳に悲しみを浮かべて、じっと目の前の親子を見つめていた。

竜は本来、人の世界に関与してはいけない存在なのだ。
竜王たる彼が、それをわかっていないはずはない。
彼やサーシャの力で神官達を抑えたとしても、それは人の世への重大な干渉になる。
守護竜として生まれた竜にできるのは、自らの半身を守ることだけで、人の世界の理に反することではないのだ。

「……頼みます」
『……』
「ディシスと、貴方に……託します」

言わなくても、彼はフィアルを守るであろうけれど……ジークフリートは言わずにはいられなかった。
その想いに答えるかのように、偉大なる竜族の王は、静かに頷いた。
―――――言葉はない。
けれど、それで充分だった。

そのままユーノスへ視線を移すと、彼は心得たかのようにジークフリートに黒いローブと鍵を渡し、ディシスにもローブと小さな皮袋を渡した。

「……これは?」
「路銀だ。これから落ち延びるにしても、あるにこしたことはない。お前だけなら心配なんてしないが、何せ子供連れだ。必要になる時が来る」
「……子供だけじゃなくて、竜もついてくるんだろ?」
「竜王陛下はそのまま付いてくるわけじゃない。もちろん姿は消していただく。そのままじゃ目立ちすぎて脱出もなにもないだろう?」
「……わかった」
「それと、姫さんもお前も外見が目立ちすぎる。ある程度の場所まで脱出がかなったら、目くらましに髪と瞳の色を変えておけ」

皮袋を受け取ったディシスの肩を、ユーノスは強く抱きながら、真剣に見つめた。

「……頼むぞ」
「……ユーノス……」

ディシスは一瞬目を閉じて、そして強い意志を浮かべた瞳でユーノスを見つめ返し、しっかりと頷いた。
すべきことがある。
託されるものがある。
つらくても、苦しくても……今は前に進むしかない。

その傍らで、ジークフリートはローブを娘に纏わせ、そしてペンダント状になった鍵を彼女の首にかけた。

「これは、神殿の地下にある宝物庫の鍵だ。決して世に出してはいけない魔導具等が封印されている。決して誰にも渡してはいけない。わかるな?」
「父様……」
「もう一度言うよ、フィール。私はお前を……お前とリュークをいつまでも愛している。だからお前は生きなさい」

ジークフリートは微笑んで、小さな娘の額と頬に優しいキスを落とした。
止めることのできない涙を後から後から溢れさせているフィアルの頬を優しく拭って、彼はそのまま娘を抱き上げる。
振り返った先に、覚悟を決めたようなディシスが立っていた。

「ディシス」
「……はい」
「頼む……すまない」

娘の身体をもう一度強く抱きしめて、ジークフリートは目を閉じた。
―――――もう二度と、抱きしめることはかなわないだろう。
自分に無償の愛を教えてくれた……愛しい娘。

その想いを断ち切って、ジークフリートはディシスの腕へと、フィアルの身体を預けた。
竜王がその気配を消すのがわかる。
かの竜は姿を消した状態で、この二人に付き添い、守ってくれるだろう。

「父様!!」

ディシスの腕の中で、フィアルはバタバタと暴れ、ジークフリートへと必死で手を伸ばしていた。
離れがたいが、時間はない。
ジークフリートはもう一度、フィアルの額に口付けて、ディシスに頷いてみせた。
最後にユーノスも、暴れているフィアルの頬に口付ける。

「……ちっちゃいオレの姫さん」
「ユーノス!!ヤだ!」
「幸せにならなくちゃ、ダメだぞ?」
「ユーノス!」
「またな」

笑うユーノスに、フィアルは泣き叫んだ。
その後ろに、自分を慈しんでくれた風竜の娘が微笑んでいるのを見て、その涙は次々と溢れ出してしまう。

「行け、ディシス」
「……はい!」

ジークフリートの声に、暴れるフィアルを抱いたままディシスは一度頭を下げると、扉へと向かう。
彼の頬にもフィアルと同じ涙が溢れていたが、決して今、それを彼等に見せてはいけないとわかっていた。

「父様!父様ぁ!!」

娘の悲しみに満ちたその声が、心に響く。
痛み、悲鳴を上げるけれど……けれど。
ジークフリートはその扉が閉じるその瞬間まで、微笑を浮かべたままだった。





―――――娘の心に残る、自分の最後の姿が……笑顔であるように。





ただそれだけを―――――願っていたから。


* * * * *


「後のことは、ロジャーに任せてある」
「……そうだな」
「オレ達も、もう行かないとな」

静けさが戻った奥神殿で、ユーノスは笑った。

「さて……大神官殿は、オレ達の最後をどう演出してくださるのですか?」

おどけた言い方だが、ユーノスがもう覚悟を決めていることはとうにわかっていた。
彼はきっと最後まで、自分の盾になるつもりなのだ。

「この奥神殿は封印して……神殿に火を呼ぼうと思っている」
「……火を?おいおい、オレはそれじゃ死ねねえぞ?」
「わかっている。だから、生きた炎を呼ぶんだ」
「……それって」

召還、だ。
今までノイディエンスタークでは、召還と言えば精獣を呼ぶことだった。けれど今、ジークフリートは炎を……意思を持った炎の精霊を呼ぼうとしている。
彼が炎の精霊と契約すれば、彼の望むまま、全てが焼き尽くされるまで炎は消えない。

「姫さんに、宝物庫の鍵を渡した意味がなくなるな」
「あの鍵は宝物庫の中の、さらに奥にある扉の鍵だ。結界があるから燃えることもない。誰かに見つけられることもないだろう」
「それは初耳だな。何がある?」
「……それは、門外不出の秘密だ」

いつか。
あの子がこの場所に戻り、それを手にする時……この世界は変わるかもしれない。





あれは―――――世界の理。





それを作りし者への道なのだから。

「サーシャ」
『はい』
「……行こう」

頷く風竜の娘に、ジークフリートは小さく笑って見せた。
奥神殿に強い意志で封印を施し、神殿へと向かう。
爆音がすぐそこまでもう聞こえてきている。

そして神殿に入れば、目の前の友としばしの別れになるだろう。
けれど……来世でもう一度出会うことができたら、またきっと自分達はお互いを友と呼ぶだろう。





だからこそジークフリートは今、前を行くこの大きな赤い後姿を、忘れずにいようと思った。
強く……強く、そう思った。