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- - - 第20章 白夜の炎12
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@注意@
今章には残酷な描写を含みます。現実と仮想の区別がつかない方は読まずにスルーして下さい。



* * * * *


『……テーゼ?』

ようやく走れるようになったディシスと共に神殿へ戻ろうとしていた神竜は、自らの半身の変化に敏感に気付いていた。

「どうしました?」

姿は見えないが、確実にかの竜が側にいることを知っていたディシスは立ち止まり、虚空に向かって話しかける。
なにやら戸惑ったような声音で、神竜は返事をした。

『……いや……でも……なんだ、これは』
「神竜殿?」
『テーゼが……泣いてる』
「チビは最初っから泣いてましたけど?」
『違う……これは』

締め付けられるような、絶望に満ちた心。
光の存在である彼女に、一番縁遠いはずの深い、深い悲しみと絶望。

『……行こう』
「え……」
『嫌な予感がする。急がなければ』

神竜の真剣な言葉に、ディシスはこくりと息を飲むと、今度は全力に近い力で走り出した。
離してしまったあの小さい手の持ち主に、何かあったのだろうか。
―――――不安が胸をよぎった。


* * * * *


兵士達はみな祈りの間へと向かった。
祈りの間の扉には、強固な結界がかかっている。破るのには時間がかかるだろうという報告を受けた後、シグーは自分の側近達以外の兵士に、控えの間への立ち入りを禁じた。

静けさが部屋に戻る。
床に倒れたユーノスの亡骸を、誰もが見つめていた。

その髪も、今は固く閉じられた瞳も、纏う服も全て真紅だった彼が、一番鮮やかな紅を纏って倒れている。
もう二度と動くことのない命の消えた―――――身体。
その現実を受け入れられず、フィアルはただ呆然とユーノスを見つめていた。

言葉が出ない。
涙すら―――――出てこない。
ただそれは、悪い夢だと―――――信じたくて。

「神官長か……愚かな男よの」

その瞳に怪しい光を浮かべて、シグーが胸元にジャラジャラと下げたネックレスを鳴らす。
その全ての指にも、黄金の指輪がはめられていて、神官とは名ばかりの存在であることを浮き彫りにしていた。

「しかし……悪ぅない」
「何がですかな?シグー殿」

シグーにへつらう神官達が、彼のご機嫌を取るように近付く。
ジョルドは後ろからフィアルを抑えたまま、シグー達からは少し離れた位置にいて、その光景を静かに見ていた。

「13諸侯とは、いかなる存在と思うかの?」
「13諸侯、ですか?」
「彼等はその血が全てじゃ。その大いなる魔導力を受け継ぐのも、全ては血よ。だから候家の血をひかぬ我々には今まで力がなかったのじゃ」

シグーはその肥えた身体を揺すりながら、ゆっくりとユーノスの亡骸へと近付く。
冷たい瞳で真紅に染まった彼を見下ろすと、笑いながら懐から黄金の装飾の施された短剣を取り出した。
手には同じような装飾の杯を手にしている。

「13諸侯の……しかも筆頭であるメテオヴィースの純血じゃ。ホホホ」

その瞳に、ジョルドは狂気の光を見た。
今までシグーの側にいてわかったことだが、彼はひどく13諸侯や大神官家の血に固執していた。
自分にもその血があれば、あればと何度も繰り返していたのを知っている。
だからこそジョルドには、次に彼がとるであろう行動の予測がついた。

シグーはその短剣で、ユーノスの首を深く刺し貫く。
既に命のない身体は抵抗することはないが、その傷からはドクリと新たな血が溢れ出た。
それをシグーは杯に受け止め、ニヤニヤと笑いながら、その血を飲み干した。

その瞬間、ジョルドが抑えていたフィアルの身体がビクリと震えた。
目の前でユーノスが殺されたショックで動かなかった身体に、心に、ゆっくりと感情が戻り始める。

「うむ……やはり違うのう。美味じゃ」

口の端についた血を太い指で拭うと、シグーはホホホ、とまた高笑いをした。
それが引き金だったのだろうか。それとも最初から彼等も狂っていたのか。
我先にと、ユーノスの亡骸に神官達は群がり、血を飲み始める。
醜く……既に人であることを放棄したかのような狂宴が、幕を開けようとしていた。


* * * * *


「……サーシャ」
『ええ』
「ユーノスは……一足先に逝ってしまったようだな」

控えの間で起こっている惨状を知ることなく、大神官ジークフリートは未だ祈りの間にいた。
先程から強引に結界を破ろうと力が働いている。
いくら強固な結界とはいえ、数で来られれば長くはもたないだろう。
それにジークフリート自身、もうどこにも逃げ隠れするつもりはなかった。

「待っていてくれると思うか?私が行くのを」
『ええ、きっと……いつまでだって彼は待っているでしょうね』
「あまり待たせると、文句を言われそうだな」

ジークフリートは薄く笑い、自らの半身たる風竜の娘を見上げた。

「……ありがとう、サーシャ。最後までお前や、ユーノスがいてくれて……私は幸せだった」
『お礼を言うのは私の方かもしれないわ。私は、貴方が生まれてくれて、嬉しかったわ』
「もし……お前が死んで、風に戻れたら、あの子達を見守ってやってくれるか?」

穏やかな本来の彼の微笑みに、サーシャは強く頷いた。

『見ているわ。いつまでも私は見ている。貴方やユーノスが輪廻の輪に戻ってまた生まれても、ずっとずっとね』

最後の時に、二人は微笑み合う。
魂を同じくする者同士にしかわからない、想いの深さで。





「炎を―――――召還する」





いつもは祈りを捧げるその場所で、ジークフリートは強く強く願いを紡ぐ。
その炎に一番最初に焼かれるのが―――――自分だとわかっていて、なお。





(幸せだったと)
(最後にそう言える人生だったから)
(―――――悔いはない)





目を閉じる。
思い描く―――――二人の子の幸せな未来だけを。





(私は)
(生まれてきて―――――よかった)





最後の想いは、燃え盛る炎になって―――――。


* * * * *


目の前で起こっていることが、現実だとは思えなかった。

ユーノスが死んだこと。
自分のこの手に、頬に、身体に残るこの赤い雫が彼の血であること。
それはもうまぎれもない現実だとわかる。

けれど今のこの光景が現実だとは、思えなかった。





―――――くちゃり。





食む音がする。
ユーノスの遺骸に群がった、神官達の口から聞こえる、紛れもない音。
黄金の服を真っ赤に染めて、ただただ、目の前のそれを食らう音。

そこには最早、神官だったものしか存在していなかった。
そこにいるのは、ただの獣の群れでしかなかった。





―――――くちゃり。
―――――ぴちゃ、ぴちゃ。





肉を食らい、血を啜り、骨をしゃぶる。
その血が……肉が、全て自分達に力を与えるというかのように。

「……人間というのは、罪深い生き物だ」

まるで独り言のように、フィアルの背後にいたジョルドが呟いた。
彼の手はもうフィアルを拘束はしていない。そんなことをしなくても、逃げ出す気力がフィアルには残っていないとわかっているからだ。
だから彼は、自分の言葉に、フィアルが返事を返すことも期待してはいなかった。

「欲深く、それに囚われれば人ではないものにもなれる」
「……それは、私も同じなのだがな」

ユリーニを失った憎しみ……それもある意味では、欲だ。
欲のない人間などいない。けれどそれに溺れれば、人ではなくなるのかもしれない。

その証拠に、目の前の彼等の瞳にはもう、人間の理性は残ってはいなかった。

「けれどまた……それも、人間なのかもしれない」

その一言だけが、何故か今まで全く動じなかったフィアルの心を動かした。





(―――――ひと)
(これが―――――ひと?)
(これが……人間という、存在なの)





止まらない、死した人間への陵辱にも似た行為。
ユーノスは……死んだ。
けれど……その魂は、今どこにあるだろう。
今のこの現実を、彼は見ている?





(これが―――――人間だって……いうなら)
(私は―――――)





ユーノスの血に飽き足らなくなったのか。
既に堕ちるところまで堕ちた、かつてシグーと呼ばれていた男が、こちらを振り返った。

血に汚れた口でニヤリと笑い、ふらふらと近付いてくる。

「……ホゥホゥ……諸侯より美味そうなのがここにおったわい」

ギラギラと欲に満ちたその瞳は、間違いなく―――――フィアルへと向けられていた。





(私も―――――こんな人間の一人だっていうの)





近付いてくる血に濡れた男に、フィアルは目を見開いた。
急激に、言葉にはできない感情が戻ってくる。
それは恐怖であったり、怒りであったり、悲しみであったり、嫌悪でも……それ以外でもあった。





「光の姫を食らえば―――――わしは神にもなれるのじゃ!」





ユーノスの血で紅に染まった手が、フィアルへと伸ばされ、触れようとしたその時。





(なら……私は―――――人間でなんていたくない!)





祈りの間の全てが―――――ジークフリートの呼んだ紅蓮の炎に包まれ。
―――――同時に……全ての世界は、白く染まった。