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- - - 第20章 白夜の炎13
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言葉にならない。
その感情の名前は、きっと誰にもわからない。

白い光。
願うことは―――――ひとつ。





(ユーノス)
(父様……)





(憎い)
(苦しい)
(悲しい)





知りたくなかった―――――こんな感情は。
知りたくなんて……なかった。





(アル)
(ごめんね……アル)
(でも……お願い)





止めることのできない力にのまれながら、フィアルは願う。
急がなければ、急がなければと。
その願いのまま―――――光は神竜を包み、彼を時空の狭間……地下深くへと封印していく。
そして何故か神竜は、それに抵抗しようとはしなかった。





(お願い)
(私を……知らないで)
(こんな私を……知らないでいて)





知られたくない。
醜くて……ひどく汚れた、今の自分を。
あの竜に……自分の半身に知られること、それだけが……怖い。





(怖い)
(そう……怖いの)
(私……怖くて……怖くてたまらない)





人間であることが、あんなことであるなら。
人間でいることが、怖くて。





(私……化け物でいい)
(魔物でいい、竜でいい、ああ……何か)
(―――――人間ではない、何かになりたい)





まるで―――――真っ暗な闇の中にいるようで。
何も、すがるものがなくて、たった一人になってしまったようで。





(アル……)
(アル……アルガース)
(―――――兄様)
(リューク兄様)





誰か―――――助けて。
これは夢だって……悪い夢だって、言って。


* * * * *


姫君の身体から放たれた光の奔流は、背後にいたジョルドを王宮まで吹き飛ばし、それ以外の部屋の全てを一瞬でなぎ払った。
美しかった白亜の王宮も荘厳な神殿も、全てが一瞬で瓦礫になるほどにそれは強大な力だった。
神殿で今まさにその部屋に踏み込もうとしていたディシスもまた同じで、彼の身体も一瞬のうちに吹き飛ばされた。

「い……てて」

しばらく気を失っていたのだろうか。
ディシスは頭を振りながら、起き上がった。

「なん……なんだよ……くそ……」

体中の痛みに目を細め、辺りを見回してみれば、信じられない光景が広がっていた。
全てが瓦礫に帰している。遠く、炎が立ち上っているのが見える。
瓦礫の下からは、神官達の兵士だろうか、沢山の遺体がごろごろと転がっているのが見えた。

「……な……どうなってんだ、これは」

立ち上がり見回しても、自分のようにとりあえず無傷な人間はいないようだ。
あちこちからうめき声が聞こえる。
しかし今、敵の兵士を助けてやれるような余裕は、ディシスにはなかった。

「そうだ!あのチビ!」

自分のすべきことを思い出し、ディシスは目の前の虚空に向かって叫ぶ。

「竜王陛下!チビは無事ですか!?」

しかしそれに答える声はなかった。

「竜王陛下?」

何度呼んでも、声は返らない。
しかも何だか、存在そのものが近くにいるようには感じられなかった。

「と、とりあえず神殿に戻らねえと……」

あの燃えているのは神殿の方だ。もたもたしている暇はない。
ディシスは瓦礫を避けながら走った。祈りの間は地下だ。あんな小さな姫では煙にまかれて死んでしまってもおかしくない。

神殿に近付くに連れて建物の損傷は激しく、生きているものの気配がしなくなっていた。
不安が胸をよぎる。
この爆発が、もしもジークフリートの起こしたものだったとしたら、もう彼はこの世にいないのかもしれないとも思う。

倒れている柱をどかしながら、地下へと続く階段を降りていくと、むわっとした煙が充満していた。

「祈りの間から……火が?」

ほとんど原型を留めていない扉を開いて、ディシスは控えの間へ足を踏み入れた。
暗闇は煙のせいで灰色がかっていて、ただでさえ狭くなる視界をますます遮る。

しかしその闇の中、ポゥ……と一箇所だけ、白く光っている場所がある。
目を凝らすと、その中心に、見覚えのある幼い後姿が座り込んでいるのがわかった。





「―――――チビ!!」





ディシスはその姿を見つけて、慌てて駆け寄った。
咽喉をそして胸を、容赦なく襲う煙の中で、その後姿は身じろぎもしていない。

「おい!チビ!」
「……」

ディシスはフィアルの横にしゃがみこみ、彼女の肩を大きく揺らす。
しかし……全く何も反応が返ってこないことをいぶかしみ、ディシスはその顔を覗き込んだ。

「チビ……?」

―――――フィアルは泣いてはいなかった。
泣くどころか……その顔には何の感情も浮かんではいかなった。

「おい……?」

ただ目を見開いて、でも何も映していないかのように目の前の虚空を見つめているだけ。
身体には何の力も入っていない。
まるで心が死んでしまったかのように、ただ身体だけが生きているように思えて、ディシスはぞっとした。

「おい!チビ!?」

ディシスが不安にかられて、その身体を大きく揺すろうとしたその時、奥にあった扉を突き破り大きな真紅の炎が一気に部屋へと襲いかかってきた。
普通の炎とは思えないほど、まるで意思を持っているかのような炎に、ディシスは息をのむ。

(これは……!)

本能だった。
ここにいることは、危険だと……彼の本能がそう告げていた。
このままでは、自分もこの姫も、炎に食われて死ぬ。





(「―――――守ってくれ、私の娘を」)





ジークフリートの声が頭をよぎった。
迷っている暇はない。
ディシスは未だ動こうとしない小さな身体を、しっかりと抱き上げてきびすを返した。





―――――わかっている。
―――――いや、わかってしまった。





この炎は、ジークフリートが呼んだもの。
そしてこの部屋の奥―――――祈りの間にいたであろう主はもう、この世にはいない。

ディシスは込み上げてくる涙を必死で堪えながら部屋の出口へと向かう。
ゴォォォォという炎の音が耳を掠める。
燃えているのは……あの優しかった人の―――――命。

扉の前で彼は一瞬だけ立ち止まり、フィアルを抱く手にぎゅっと力を入れて、深々と頭を下げた。
堪えきれず溢れた涙の雫が、灰色の床石にポツリ、ポツリと落ちる。





(守ります)
(必ず……命に代えても……オレは)





抱いている腕には確かにぬくもりがあって、フィアルが生きていることを実感させる。
この命を、守ること。
それが自分の―――――使命。

近付く轟音に、ディシスは顔を上げる。
そしてそのまま振り返ることなく、部屋を後にした。

そんな彼等が再びこの場所へ戻るまでには……この時から12年の歳月を経なければならなかった。