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- - - 第20章 白夜の炎14
[ 第20章 白夜の炎13 | CloverTop | 第21章 絡まる糸1 ]

何もかも―――――燃えてなくなる。
生きる炎は全てを燃やし尽くして、空を赤く染め上げる。

その赤に照らされて、夜の闇は明るく。
―――――まるで、ずっと昼であるかのように。


* * * * *


王都フィストを見下ろす遠い丘の上で、彼等は立ち止まり、それを無言で見つめていた。
何も言わなくても、わかっている。
王都が……神殿が燃えているのだと。

「ファング」
「……はい」

ジークフリートはもういない。
それを悟ったであろうリュークの声は静かだった。

「……俺は……わかったよ」
「リューク様?」
「今、父上は亡くなった」
「……ッ」
「だから……ここに来たんだろう?」
「え……?」

リュークは目の前にある虚空へと手を伸ばす。
ただの空間であったその場所が、ぐにゃりと歪むのを見て、ファングは目を見張った。

歪んだ空間から、バサリと黒い翼が現れる。
次に腕が、尾が、そしてその身体と頭部が、露になっていく。
黒鋼の鱗、美しい翡翠の瞳。
けれどその体躯はフィアルの守護竜である神竜や、ジークフリートの守護竜であったサーシャと比べて未だ小さかった。





―――――魔竜。





忌むべき存在である、リュークの半身。
けれどその瞳には、何の邪気も闇もありはしなかった。

「やぁ……はじめまして」
『……』
「俺が、わかるかな?」
『……半身』

どこかまだたどたどしい声に、リュークは微笑んだ。
ああ、今なら本当に理解することができる。フィアルが、神竜アルガースが、どうしてあれほどにお互いを想っていたのか。
理屈ではない、説明などできるはずがない……湧き上がる想い。

「逢いたかった」
『……』
「俺は……ずっと逢いたかった、君に」
『……ああ、そうだな』

魔竜はそっと、リュークの身体に頬を摺り寄せた。
生まれた時からずっと引き離されていた、大切な何かをようやく手に入れられた気がする。

『……名を』
「え?」
『……名を、与えてくれ』

翡翠の瞳がじっとリュークを見つめている。
そこで気付く。彼もまた自分と同じく、与えられるべき名を与えられなかった存在なのだと。
リュークには人の名がない。もちろん竜の名もない。
彼に与えられたのは、ルーンの名だけだった。

けれど―――――。
それでもその名を、父親もユーノスもディシス達も、愛しんで呼んでくれたのが、嬉しかった。





(「兄様」)
(「リューク兄様」)





愛しく、大切な……妹姫の声が聞こえる。
そっと瞳を開ければ、未だ燃えている王都が視界に映った。
夜の闇に―――――明るく燃える、ジークフリートの命の炎。





「……ジェイルリアード」





リュークと同じ、ルーンの言葉の名。
その意味は―――――『穏やかな夜明け』

『ジェイルリアード……ではこれからはジェイドと呼べ』
「ジェイド……」





こんな悲しい夜を越えた先に、必ずそれが訪れるように。
誰の上にも―――――優しい暁が、ありますように。





自ら名付けた魔竜のその名を呟くと、リュークはその身体にしがみつき、泣いた。
今は許される。きっとこの魔竜の前でなら許されるだろう。
もう二度と逢うことのできない、大切な人の為に―――――泣くことが。

声を上げて泣く半身の少年を慰めるように、魔竜ジェイドは、もう一度彼の身体に頬を寄せる。
その傍らで、ファングもまた込み上げる涙を抑えられず、そっと顔を伏せた。


* * * * *


どう考えても王都フィストを脱出して、南へ向かうのは自殺行為だった。
ラドリアは遠い。その間にいくつもの領地を越えていかなくてはならない。
ならば北上して、メテオヴィースとスレイオス領を抜け、シュバルツへ行くのが一番安全な道だった。
シュバルツのクロード王はジークフリートとは懇意だった。事情を話せば喜んで彼等を迎え入れてくれるだろう。

しかし、そのルートを選んだであろうリュークとファングとは逆に、ディシスは竜の角半島方面へと向かっていた。
どうやら自分が吹き飛ばされたあの爆発と衝撃によって、神官の主だったものもやられたようだ。
そのせいで全ての統制が取れず、王都は混乱の極みだった。

だが脱出する側にしてみれば、この混乱は好都合だ。
ディシスは馬を一頭拝借して、竜の角半島方面へと急いでいた。

その間も、今も……フィアルは一言も言葉を発しない。
身じろぎも抵抗もしない。
一体何があったのか……気にはなるが、とにかく今は王都を離れるのが先だった。

随分とかけて、小高い峰の上まで来たディシスは、ようやく馬を止めた。
ここから王都が見える。
赤く燃えるその様を、どうしても最後にもう一度、見ておこうと思った。

「……チビ」

自分の前に乗ったフィアルへと、ディシスは声をかける。
予想はしていたが、反応はない。
仕方なくディシスは先に馬を降りると、フィアルの身体を抱きかかえ、もっと王都が見下ろせる崖の先へと移動した。

「見ておかないと……な」
「……」
「あの場所に、もう一度帰る日まで……忘れない……ように」

まるで昼のように明るい空。
一足先に朝焼けがやってきたかのような……そんな空は、血の色に染まって。
抑えていた心が、崩れてしまう。

ディシスはたまらず、目の前の小さな身体を抱きしめた。
溢れて……ただただ、悔しい想いと悲しみが、溢れて。

どうしてこんなことになってしまったのだろう。
ただ……ただ守りたかっただけなのに。側にいたかっただけなのに。
泣いて泣いて……あの日が戻るのなら、一生分の涙を流してしまっても構わないのに。

ディシスはフィアルを抱いたまま、ただ泣き続けた。
夜明けのように赤い空が本当の暁を迎える時まで、ただ……ただひたすらに。


* * * * *


肩が濡れていくのを、ぼんやりと感じた。





(泣いてる)





ディシスが、自分を抱きしめて泣いている。
だから―――――わかる。





(ああ……父様は……死んだの)





漠然とその事実を知る。
でも声が出ない、涙が出ない。
―――――あんなにも愛してくれた人が、死んだのに。

ずっとずっと、彼は泣いている。
でも心が動かない。まるで凍ってしまったように……何の温度も感じられない。





(ごめんなさい)
(ごめんなさい……父様)





泣けないの。
涙が出ないの。
身体が動かないの。

時折聞こえる嗚咽に、フィアルは身勝手だと思いながら、願った。





(ディシス)
(いっぱい、いっぱい、泣いて)
(―――――泣けない私の代わりに)





泣けない自分の分も、泣いてくれる存在。
今この時、それは彼以外にありえなかったから。

動かないその視界に映るのは―――――鮮やかな紅で。
何故だろう……今は厭うべきその色を、フィアルはただ純粋に、美しいと思った。