- - - 第21章 絡まる糸1 |
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全てが紅に染まるたび、彼女の後ろに道はできる。
―――――屍の山と、血と悲鳴の果てに。
* * * * *
「バーカッ!!アンタなんてとっとと性病であの世に逝っちまえ!!」
「ああ!?人聞きの悪いこと言うな!このクソ娘!」
目の前で繰り広げられる光景が、あまりにも日常になりすぎているのか。
大声で罵り合う二人を尻目に、コンラートとネーヤはずずっとお茶を啜っていた。
夜だったらお茶ではなく、酒を口にしていただろうが、いかんせん、太陽はまだ天高くギラギラと輝いている。
リトワルトの傭兵街。
定宿としているその部屋で、父と娘はいつもの如く罵り合っていた。
きっかけはいつもとても簡単で―――――はっきり言えば、くだらないことである。
だが本人達にしてみれば、そうでもないらしい。
「大体、女遊びをするなら、自分の金でしたらどうなのよ!子供の収入に頼ろうなんて考えが甘い!」
「バカ言うな!ちょっとばかり借りただけで、無断使用したわけじゃない!」
「へぇ、じゃあそのツケはすぐに払ってくれるの!?」
「……いや、それは」
「この……甲斐性なし!」
何だか熟年夫婦みたいな会話だなぁとコンラートはぼんやり思う。
何せこの4人の中で、一番の稼ぎ頭は間違いなく彼女なわけで、それに反論することはディシスにはできないだろう。
フィーナ・シュトラウス。
彼女がその名を名乗り始めてから、もうすぐ10年になろうとしている。
けれどその名よりも、彼女はその通り名で有名だった。
―――――『エストワール』
死を司る女神。
フィーナ自身はその呼び名を嫌っていたが、傭兵を生業にしている者でその名を知らない者はいない。
今はコンラートの横でおとなしくお茶を飲んでいるネーヤも、死の天使と呼ばれることの方が多かった。
―――――女神の横には、常に天使がピタリと寄り添って。
戦場で二人の姿を見た者は、決して生きては帰れない。
そんなことまで囁かれるほど、フィーナとネーヤの傭兵としての力は一流だった。
コンラート自身、この二人だけは敵に回したくないと、そう思ってしまうほどに。
(……ただ、仕事を選ぶからな)
フィーナの仕事の選び方は独特だ。
ディシスやコンラートが話をつけてきたことでも、気に入らない仕事は絶対に請け負わない。
その中でも、金だけで彼女の力を買おうとする者を、フィーナは特に嫌った。
そんな金に任せた仕事のために彼女を指名して依頼してきた人間は、翌日には冷たい遺体で見つかることがほとんどだった。
(可愛い顔して、あっという間に殺っちまうし)
コンラートも、もう随分とフィーナを見てきたはずだが、未だにその性格を掴みかねているところがある。
顔だけを見ると、本当に彼女は可愛い。美少女といって間違いはないだろう。
けれど口は悪いし、あまり人を殺すことにも罪悪感を持っているようには見えない。
ニコニコと笑っているかと思えば、突然冷たい目をすることもある。
(猫みてぇ)
そう、まるで気まぐれな猫のようだ。
その日、その時で気分が変わってしまう。
「甲斐性なしまで言うか!?お前をそこまで育ててやったのは誰だ、ああ!?」
「反面教師って意味では役にたったけど、それ以外にアンタの存在意義があるとでも思ってんの!?」
「言わせておけば……クソ生意気な」
「黙れ、ヒモ!」
そんなフィーナがこんな風に思いっきり感情を見せるのは、父親であるディシスだけであることを、コンラートは知っていた。
罵りあいながらも、二人は何だか楽しそうなのだ。
だからこそ大声で罵倒し合う二人を、微笑ましく見ていられるのであるが。
「コンラート!黙ってないで何とか言えよ!」
「いや……でも事実だろ?」
「お前までコイツの味方か!?」
「ハハハ」
「何だその乾いた笑いは!」
ぎゃあぎゃあと叫ぶディシスに、コンラートは曖昧な微笑を返すしかなかった。
その後ろで、フィーナが睨みをきかせているのだ。めったなことは口にできない。
―――――しかし。
今や知らない者のいないほど、傭兵の中では有名な彼等だが、コンラートと出会った当初はそうではなかった。
二人の素性は聞いていない。深く知る必要もない。それが傭兵の暗黙の掟だ。
けれど二人が、もしかしたら高貴な家の出身であることは、出会ったあの頃を思い出せばすぐにわかることだった。
その何気ない、日常の仕草の一つ一つに。
振る剣の軌跡にもそれは現れていた。
―――――そう。
コンラートには、もうわかっていた。
二人の間に……血の繋がりなどというものが、存在しないことを。
けれど二人は親子だったし、これからもきっとそうなのだろう。
そしてどちらもまた、その危うい絆を失うことを恐れているのだ。
* * * * *
「いつもご苦労さん」
「いやいや、こっちは貰うもんさえ貰えば何も文句はねえよ」
「悪いな」
下卑た情報屋の男から、いつもの定期報告を受け取ったディシスは、きびすを返そうとしてギクリと立ち止まった。
「……フィーナ」
腕を組み、壁に背を預けて、彼の娘は呆れたような顔をしている。
「また?一体いくらあの男に払ってやる気なのよ」
「……仕方ねえよ」
「そんなに気になるの?」
「気にならねえお前の方が問題だろ」
本当は、情報屋に調べてなど貰わなくても、わかっているのだ。
遠い祖国が今、どんな状態になっているのかなんて。
「暇人ね」
「……フィーナ」
「ノイディエンスタークがどうなろうが、今の私には関係ないわ」
―――――そう。
あの優しい人達は、最期の時にも一度も言いはしなかった。
あの国を救えとも、守れとも、言わなかった。
ただ―――――幸せになれと、生きろと言っただけ。
「そういうこと……言うなよ」
「ディシスはあの国に思い入れがあるんでしょうけど、私はあの国の奥神殿と神殿の一部しか知らないもの。大地を愛せとか祈れとか言われたって、無理よ」
「……」
「神官が腐敗に満ちた政治を行っていようが、他国が領土を狙って攻め込もうが、かつての13諸侯の子息達が反乱を起こそうが、私にはどうでもいいことよ。私はもう傭兵として生きる道を選んでしまったし、それ以外になる気もないもの」
そう、もう彼女は選んだのだ。
姫として、誰かに守られて、ただ祈って嘆いて泣くことなんて、まっぴらだ。
だからこの手に剣を持つ。
目の前の敵は容赦なく切り捨てる。
何かを守るにも、切り開くにも、力が必要だった。
―――――力がなければ。
だから貪欲に求めた。
昔は気付かなかったことだが、自分には天性の戦う素質が備わっていたらしい。
ただ賢く聡かった少女が、智謀策略、そしてあらゆる武器を扱う術を身につけるのはあっという間だった。
「お前、いつまでも傭兵でいるつもりか?」
「姫に戻れとでも言うつもり?こんな育て方をしておいて?」
「……それに関しちゃ、悪かったと思ってるよ。生きるためには必要だったんだ」
「私はね、ディシス。こういう育て方をしてもらってよかったと思ってるの」
戦うことができる。
だから、生き抜くことができる。
それは死を選べない神竜の半身である自分には、絶対にそれが必要だった。
「帰りたいの?」
「……」
「ノイディエンスタークに帰りたい?」
「……帰りたいんじゃない」
「じゃあ、どうしたいの?」
初めて会った時、彼の印象は、最悪だった。
粗暴でデリカシーがなくて、声も態度も身体も大きくて、怖かったから。
でも……今は。
10年の年月を一緒に重ねた今は。
―――――とても大切な父親だと、そう思う。
その単純さが、明るさが……諦めない強さが。
どれだけ虚無に支配された彼女の心を救ったことだろう。
彼が本当はノイディエンスタークへ戻りたがっていることを知っている。
亡き父親の敵を討ちたいと、苦しむ人々を救いたいと願っていることもわかっている。
例え今は傭兵に身を堕としていても、彼は誇り高き近衛騎士団長だった男なのだから。
でも……フィーナは思うのだ。
あの国へ今更自分が戻って、どうしろというのだろうかと。
彼女の祈りによってしか支えられない大地の存在は、フィーナを強く強く縛る鎖でしかない。
戻れば一生繋がれたまま、また奥神殿しか知らない日々に戻るだけなのだとわかっているのに、戻ることなどできない。
ディシスにはおそらくわかってはもらえないのだろう。
彼等、ノイディエンスタークの民であるものにとって、大神官が大地へ祈りを捧げることは、考える必要もないほど当然のこととして受け止められているのだ。
(でも、きっとね……ディシス)
(父様はずっと、それから解放されたいと願っていたはずなのよ?)
「私はイヤよ」
「……フィーナ」
「私は、このままでいいの」
―――――やっと手に入れた居場所を、奪わないで。
ノイディエンスタークなんて、知らない。
滅びるなら、滅びればいい。
私達を縛り付ける鎖なんて、壊れてしまえばいい。
毅然とした娘の言葉に、ディシスは口唇を噛み締めて俯いた。
今はただの傭兵でしかないこの身が、もどかしくてたまらなかった。
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