- - - 第21章 絡まる糸3 |
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ノイディエンスタークから、大神官家であるフォルスマイヤー家の祈りが絶えて10年の月日が流れていた。
当初ゆっくりと始まったはずの大地の滅びは、ここ数年で急激に広がり、今では見る影すらない。
赤茶けた土に力はなく、わずかな食料でさえ、盗賊や神官達に搾取されていく民達の中には、もはや絶望しか残されていなかった。
ノイディエンスタークの北東の外れ、ルシリアに程近いその崖の上から、彼は眼下に広がる荒廃した村を見下ろしていた。
「アゼル様?いかがされましたか?」
「シルヴィラか」
不意にかけられた声にアゼルは振り返る。
穏やかな顔をしたシルヴィラに、アゼルも小さく笑みを返した。
「……俺達はどうしてこうも無力なんだろうと思ってな」
「アゼル様……」
「こんな小さな村一つ守ることもできないなんて」
略奪の限りを尽くされたその村に、もう命ある者は存在していない。
ゴロゴロと転がった村人の遺体もすぐに風化してしまうだろう。
―――――既にこの国の大地には、育む力がないのだから。
「13諸侯家の血を引くとは言っても、大地に力がなければ、大した魔導など使えない。このままでは国を解放することなど……できるはずがないんだ」
「……そう……ですね」
内乱の際、神殿で起こった謎の爆発によって、神官達の頂点に君臨していたシグーはもういない。
けれど、その後を継いだジョルド・クロウラと呼ばれる男は、シグー以上の圧政を民に強いていた。
シルヴィラが調べたところでは、その爆発で負った顔の傷を治す為、村々から人々を集め、皮を剥ぎ、移植するという狂気にも似た実験を繰り返しているという。
そんな中、アゼル達13諸侯の血を引く者達は、密かに各地に身を潜めていた。
しかし神官達の力は強大で、反乱を起こそうにも大地の力がほとんどない今の状態では、彼等の持つ強大な魔導力も役に立たないのが実情だった。
「……この地には、絶対に大神官家の祈りが必要なんだ」
「しかし、大神官様はもう……光の姫も生きているのかさえわかりません」
彼等が生きているのなら、何故祈らないのか。
ただ彼等が祈るだけで、この地は救われるというのに。
「生きていたとしても、祈ることはしないだろう。そんなことをすれば、自分の存在を奴等に示すだけだ」
「でも……」
「それに……姫の方はともかく、ジークフリート様はきっと」
爆発で廃墟となった神殿から、王都の全てを焼き払った炎は、まるで生きているようだったという。そんな炎を呼べる人間は、炎の侯爵でありアゼルの父のユーノスか、大神官であるジークフリート以外にはいないだろう。
彼等がそれを呼んだのなら、この世の者ではないことは、火を見るより明らかだった。
最期のその瞬間まで、家族ではなく友を選んだあの父が、生きているはずがない。
「……どんなに力がなくても、大地が死に行くだけだとしても、このままにしておくわけにはいかない」
「……そう、ですね」
「奴等を……このままには」
少しずつ、命を失っていく大地。
そんな中でも贅の限りを尽くそうとしている、神官と裏切った諸侯達。
彼等の好きにさせるわけには―――――いかない。
カラカラに乾いた風が、アゼルとシルヴィラの髪を揺らす。
ノイディエンスタークは、今まさに―――――滅びの時を迎えていた。
* * * * *
「フィーナ、これやるよ!持って行きな!」
「ありがと!」
ポイ、と放り投げられた林檎をフィーナは笑顔で受け止めた。
視線の先には、懇意にしている八百屋のおかみが笑っている。
「フィーナのこと、みんなが好きだ」
「え?」
後ろにいたネーヤが嬉しそうな顔で呟いた。
林檎をゴシゴシと服で拭いていたフィーナは、その言葉にきょとん、と首を傾げる。
「僕だけじゃなくて、みんなフィーナが好きだ」
「あはは、ただ私が世渡りがうまいだけでしょ?」
「違うよ。みんながフィーナを好きなんだ。人だけじゃなくて、空も、風も、草も木も花も」
「ネーヤ……」
「僕はわかるよ」
真っ直ぐな、真紅の瞳でじっと見つめられて、フィーナはどこか居心地の悪さを覚えた。
ネーヤのことは大好きだ。
でもそれはきっと、彼が人ではないからだ。
人を信じていない自分。
だからなのか、植物や動物や精霊や竜のような、人ではないものを、彼女は心から愛している。
「ネーヤ」
「うん?」
「ありがとう……大好きよ」
「僕もフィーナが好きだよ」
ふわりと柔らかく笑ったネーヤは、コツンとフィーナの額に自分の額を合わせるように軽くぶつけた。
間近に見るその瞳は、その身体に流れる血の色を透かしているのだとわかる。
翼人がみな純白の髪と真紅の瞳を持つのは、生まれ持った色素自体がもともと薄いからなのだ。
「フィーナだけが好きだよ。他のものなんていらない」
「ネーヤ」
「君が僕の空、君が僕の運命。だから、出逢えてとても嬉しい」
穢れのない純粋な魂のままに、ネーヤは言葉を紡ぐ。
今のネーヤのように、昔は自分も思っていた。
大好きな守護竜と風竜の娘、父親とユーノスと、少し苦手だったディシスと大きくて寡黙ではあるけれど優しかったファング、そしてたった一人の兄であるリュークがいる世界。
時折感じた、神官達からのあのねっとりとした視線さえなければ、みんなでずっと一緒にいられるのだと、信じて疑わなかった幼い自分。
その全てが、今では遠い遠い記憶の彼方だ。
10年は決して短い時間ではない。
その間に、彼女の手は血に汚れ、戦術や武器に関するあらゆる知識と、懇意にしている精霊王や四大竜王の元に赴いて、魔導という魔導の全てを覚えこんだ。
精霊のこと、ネーヤを除き全てが姿を消したという翼人のこと、ノイディエンスタークという国の成り立ち、竜の身体の形をした3つの大陸の地理や特徴、そして竜族のことも、彼女は必死で学んできた。精霊王や四大竜王はそんな彼女に協力を惜しまなかったので、1年のうち、ほぼ1ヶ月は彼等の元で彼女は過ごしていたことになる。
竜や精霊の持つ知識は、人のそれとは比べ物にならないほど多く、深い。
そして、今この世界に生きる人の中で、その教えを全て受けることができるのはフィアルだけだった。
彼女はそれほどに、竜や精霊に、そして大地そのものに愛された存在なのだから。
結果、彼女は賢人と呼ばれる者や学者などよりも、遥かに高度な知識や見識、そして魔導力を手に入れることができた。
そもそもが普通より賢く生まれていた彼女にとっても、それは並大抵の努力ではなかったが、それをディシス達の前で見せたことは一度もなかった。
―――――運命、と……ネーヤは言う。
ではそれは、誰が決めたことなのだろう。
ネーヤと自分が運命によって出逢えたのなら、かの人達があの日死んだのも、また運命だったと言うのだろうか。
「ネーヤ……私はね、運命なんて言葉は、嫌いよ」
「どうして?」
「誰かに決められた道を歩くのは、嫌いなの」
八つ当たりだ、これは。
ネーヤが純粋であるからなお、己の醜さを、穢れを感じてしまうからだ。
しかしそんなフィーナに、ネーヤはにっこりと微笑んで、もう一度額を合わせた。
「誰かに決められたんじゃないよ」
「?」
「僕が望んで、僕が選んだ運命。それが君だよ、フィーナ」
「望んで、選んだ?」
ネーヤの赤いその瞳には、ただただ彼女を慕う感情しか浮かんでいない。
けれど何故かその言葉には、強い力があった。
ネーヤはそっとフィーナから離れると、空へ向かって手を伸ばし、その指の隙間から眩しそうに太陽を見つめる。
「僕の……僕達の生まれた島は、とても寒かった」
「……ポラリス島ね」
極北の国、シュバルツの民が神の島として崇めていた、極寒の島。
その島でネーヤ達、翼人は人目を避けるように結界を張り、細々と暮らしていたのだと、彼女は精霊王から聞いていた。
「僕達は空を愛し、大気を愛し、そして大地を愛する。どうしてかはわからないけれど、僕達は世界の全てを愛している」
「……」
「どうしてそう思うのか、僕は一度、一族の長老に聞いてみたことがあるんだ」
穏やかな白い髭を伸ばした長老の一人は、その時に確かに言った。
(「『正統なる翼』よ。それは我々がそういう運命の元に生まれたからなのです」)
(「運命?」)
(「そうです。けれど運命とは、そうある状況の中で選択することです。貴方が空を愛するのなら、それは貴方が選んだ運命の一つ……そして貴方が大地を愛するのも、また運命の一つなのです。我々はいつも何かを選択し、自らの運命を作り出していくのですよ」)
「自ら選んだ道が運命。だから僕は君を選んだんだ、フィーナ」
ネーヤの言葉と透明な笑顔に、フィーナは思わず顔を背けてしまった。
彼はやはり、綺麗すぎる存在だ。自分の隣にいるには、あまりにも美しすぎる。
(ああ……―――――もうそうやって、笑わないで)
眩しいの。
今の私に、貴方は眩しすぎるの。
ネーヤの言葉はゆるゆると温かい温もりで、自分を殺してしまう。
(愛しいと思うことも)
(泣きたいと願うことも)
(許されるはずなどないのに)
誰が言ったのだろう。
自分のことを―――――『光の巫女姫』だなんて。
こんなにも暗い闇を抱えている存在は。
―――――ただの咎人でしか、ありえないのに。
闇魔導を使えるようになったことを、彼女はディシスに言うことができずにいたのだ。
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