Clover
- - - 番外編3 Friendship
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フィアルがアゼルと一緒に地下神殿に降りたその日の午前中。
王宮の回廊を歩いていた地のフレジリーア候ヴォルクは、物陰からこっそりと何かを伺っている少年を見つけた。
―――――堅物、と評されるほど真面目を絵に描いたような男である。
もちろんそんな怪しい様子を見過ごすことは出来ず、物音を立てないよう気を配りながら、そっと少年の背後へと近づいた。

「イース」
「……!?えっ……!あっ……ええっ!?」

まさか背後に人がいるなどとは微塵も考えていなかったのだろう。意味の無い声をあげて、飛び上がりそうに驚き振り向いたのは、最年少の13諸侯、空のエリオス侯爵、イースだった。明るい茶色の髪に空色の瞳を大きく見開いて、最年長のヴォルクを見上げる。

「ヴォルク様……びっくりさせないでください」
「―――――あからさまに怪しかったのはお前の方だ。何をしている」
「……あー……えっと……そのですね」

口篭もるイースに内心では首を傾げながら、ヴォルクはこの少年が伺っていた方を横目で見やった。その先には何本かの大木が立っていて、その下ではゲオハルトとディシスが剣を合わせている。横ではラドリアから来た二人の青年が、その様子を真剣に見つめていた。実を言うとヴォルクも、久々に会った元近衛隊長であるディシスと手合わせをしたくて、そこに向かっていたのだった。

「お前もディシス様と手合わせでもしたかったのか?」
「え?ち、違いますよ!僕が見てたのはディシス様じゃなくて……」

ディシスではない。
だからと言って今更、ゲオハルトやレインやイオを、物陰から隠れるように見る必要があるだろうか?
訳がわからずもう一度そちらへ視線を向けると、その木の幹に背を預けて目を閉じていた少年を、視界に入れるのを忘れていたことに気付いた。

―――――普通ではありえない色を持った少年。

「……アレか」
「……あ……はい……」

その動きでヴォルクが気付いたことを悟ったイースは、バツが悪そうに頷いた。
確かにあの外見は目を引くが、わざわざ隠れてまで見るものとは思えず、ヴォルクは黙ってイースの次の言葉を待つ。賢い少年だ、ヴォルクの沈黙の意味がわからないわけはない。

「僕って……13諸侯の中では最年少じゃないですか」
「―――――?ああ、そうだな」

イースがポツリポツリと話し始める。

「僕が17歳、一番近いメナス様は19歳……でもメナス様は女性ですし」

メナスが女性だと問題のあることなのか?といまいちイースの話の流れが見えてこない気がしたが、ヴォルクはとりあえずそのまま話を聞くことにした。

「一番近い同性の13諸侯は20歳のリーフ様なんですけど……ちょっと性格的にどうだろうと思わなくも無いんです」
「……性格?」
「ちょっとだけ姫様に聞いたんですけど、彼、僕と同じ17歳らしいんです」
「……それで?」

本格的によくわからなくなってきた。
リーフの性格にはまぁ……確かにかなり問題がある。喧嘩っ早いし、堪え性はないし、ヴォルクが説教することもしばしばある。20歳とはとても思えない。
が……それとあの少年とイースとの関連性が全然見えない。
頭の中でぐるぐると思考を巡らせているヴォルクを尻目に、イースは勢いよく顔を上げて、言い放った。





「だから僕!彼と友達になりたいなと思って!」





……。
―――――……は?
その間、時間にして10秒。
目の前にはすっきりきっぱり決意したような、曲者ぞろいの面々の中で唯一、『13諸侯の良心』と呼ばれる少年。





―――――なんともまぁ、可愛らしい望みであろうか。





がっくりと脱力しながらも、ヴォルクは思わず小さく笑みを零さずにはいられなかった。
確かに13諸侯は殆どが20代であり、イースだけが少し離れている。やはり淋しい気持ちもあったのだろう。
ただ……そのイースが友達候補に選んだ少年は、どうにも一筋縄では行きそうにないのだが。

「……まぁ、頑張れ」

ヴォルクはその大きな手を伸ばして、ガシガシとイースの頭を撫でてやった。
けれど……そういう仕草や行動、そして最年長という理由から、密かに自分が『13諸侯の保父さん』と呼ばれていることに、彼自身は全く気付いていなかった。


* * * * *


―――――まずは、接点を持とう。

計画はまずそこから始まった。とりあえず話をしなければ何も始まらない。おまけに相手は、どうも姫君にベッタリで、近づく隙があまりない。アゼルと一緒にフィアルがいない今日は、その絶好のチャンスであるように、イースには思えた。
ぐっと拳を握り決意を高めた後、ヴォルクの背中を追うように、手合わせ中の彼らに近づく。

「ヴォルクじゃねえか。お前もディシス様と手合わせしに来たのか?」
「まあな」
「―――――おいおいおい、ちょっとは休ませろ」

ディシスが苦笑しながら息をつく。そのディシスの横の木の幹に寄りかかって、静かに目を閉じている彼が、イースのターゲットだ。

「ひよこ、ひよこ。水くれ、水」

ディシスがそう言うと、彼はふっと反応して、閉じていた瞳をゆっくりと開いた。そして何も考えていないかのように、横にあった水を手に取ると、軽くディシスの方へと放る。危なげなく受け取ったディシスは、手を伸ばしてその純白の頭を撫でた。

「お前、今日は機嫌悪いな、ネーヤ」
「……別に」
「そんなにあのじゃじゃ馬がいないのが淋しいのか?」
「……」

(―――――あ……淋しそう)

その赤い瞳が一瞬伏せられて、彼の想いを語る。
イースももちろんフィアルのことは好きだ。自分の考えつかないような突飛な行動と言動に最初は驚いたけれど、今はそんな姫君が一番だと思えるようになった。でも、彼のフィアルに対するそれと、自分の思いは別だろう。
そんなことを考えながらじっと見つめていたからだろうか。彼がその視線に気付いて、ふっと顔を上げた。

「……」

目が、合ってしまった。
どうしよう……―――――何か、何か言わなくちゃダメだ。なんだか少しパニックになってしまって、イースが声を出せずにいると、彼はひどく怒ったような顔になって、すっと立ち上がった。細身なのに、その背丈はイースよりも高い。

「ネーヤ、どこ行くんだ?」
「……フィーナのところ」
「あそこには入れねえって言っただろ?フィーナだって、ついて来るなって散々言ってただろうが」
「―――――入らない。扉の前で待ってる」

そう言い残して、ネーヤはさっさと歩いていってしまう。その後姿を 呆然とイースは見送った。自分は、何か彼の機嫌を損ねるようなことをしてしまっただろうか。
困惑が顔に出ていたのか、ヴォルクがディシスに聞いてくれた。

「―――――何か、怒っていたようでしたが……ディシス様」
「あ?ああ、あんまり気にすんな。ネーヤはな……あの外見だろ?昔から人の注目を集めることが多かったからか、ジロジロ見られるのが嫌いなんだ。あ、フィーナだけは例外だけど」
「彼はずいぶんと、姫様への依存が激しいですね……」
「まぁ仕方ねえな……ネーヤの世界にはフィーナしか住んでねえから。あそこまで真っ直ぐに、何の見返りもなく惹かれるってのも、オレはある意味すげえと思うけど……行き過ぎなところも確かにあるな」

でもどうしようもねえだろ、とディシスは肩を竦めて見せる。
イースはどんどん遠ざかるその背中に我慢できず、身を翻した。走って、ネーヤの後を必死に追う。

「……ヴォルク、イースの奴、どうしたんだ?」

その姿を見送ったゲオハルトは、少し驚きながら隣に立つヴォルクに問いかける。そんな彼に小さく笑って、ヴォルクもその小さくなる姿を目で追った。

「……まぁ、青少年にはいろいろあるってことさ」
「―――――はぁ?」
「友達になりたいんだそうだ」

それに絶句したのはゲオハルトよりも、ディシスの方だった。
―――――友達。
今までネーヤに関する限り、そんな言葉を聞いたこともない。元々凄腕の傭兵だったということと、本人がフィアル以外を視界に入れていなかったということもあいまって、ディシス達もそんなことは考えたこともなかった。

「あの坊や……酔狂だな……よりにもよって、ネーヤを選ぶのか、それに」

呆然と呟く元近衛隊長に、ヴォルクは苦笑しながら先程と同じように言った。

「―――――イースにも、いろいろとあるんですよ」


* * * * *


王宮の地下にある、大きな扉の前にネーヤは一人、立っていた。
扉は封印されている。その向こうに彼の一番大事な人はいるはずだった。

「フィーナ……」

一言呟くと、扉にほど近い場所にネーヤは腰を下ろした。膝を抱えるような格好で彼女がそこから出てくるのを待つ。しかしその直後、慌てたように階段を駆け下りてくる音が、耳に入った。
灯されている明かりは、扉の両側の燭台だけだ。それに淡く照らされた空間に姿を見せたのは、彼を追ってきたイースだった。はぁ……はぁ……と荒く息をつくイースを、ネーヤは何も感情のない瞳で見つめる。

「……」

視線を感じて、息を整えていたイースが顔を上げると、座り込んだまま自分を見つめる赤い瞳を見つけた。
今度こそ、話をしなくてはいけない。きゅっと眉を寄せて、イースはネーヤの隣にそっと座った。

「あの……少し、話をしてもいいかな?」
「……お前、誰?」
「あ……僕はイース。空のエリオス候だよ」
「……」

ネーヤはさほどその肩書きには興味がないらしく、無言で小さく頷いただけだった。膝を抱えたまま、イースから視線を外して、扉を見つめている。その様子に、ああ……本当に彼は姫君が好きなんだな、とイースは思った。まるで母親の帰りを待つ子供のように純粋で、一途な想いだ。

「姫様が、心配?」
「……心配なんてしてない。フィーナは強い」
「じゃあどうしてここにいるの?」
「……逢いたいから」

逢いたいから。
側にいたいから。
その一心で彼は扉を見つめ続ける。
その真っ直ぐな心根に、イースは驚きを通り越して、尊敬の念すら感じた。
彼は何の見返りも求めてはいないのだ。ただ自分がそうしたいからするだけ。もしそれをあの姫君が拒絶したとしても、彼は迷惑がかからない場所から、彼女を見つめ続けるのだろう。

「……姫様が、好き?」

イースはネーヤの整った横顔を見つめながら問いかけた。それに反応して、ネーヤはイースへと視線を動かす。

「好きだ」

分かりきった答え。でも律儀に答えるネーヤに、イースは微笑んだ。

「姫様のどこが好き?」
「……どこって……お前、変な奴……」
「僕はお前じゃなくて、イースだよ?君のことは……なんて呼んだらいい?」
「別に……好きに呼べ」
「じゃあ僕も皆と同じように、ネーヤって呼ぶよ」

勝手にしろ、と言わんばかりに、ネーヤはそれには言葉を返さなかった。
―――――死の天使。
傭兵としての彼は、人々からそう呼ばれていたという。
そしてその天使は、女神に焦がれた。
真っ直ぐな心……純粋な瞳。イースから見てもあの理解し難い姫君が、この少年にはどうにも弱そうな顔をしているのか、わかったような気がした。

(ユーノス様も、こんな風にジークフリート様のこと、思っていらしたのかな?)

実際には会ったことはない。でも話は何度も何度も、いろいろな人から聞いていて知っている。そしてそんな関係に強く、憧れた。
すうっと息を吸い込む。そして少しばかりの決意を込めて、イースは目の前の少年に向かって口を開いた。

「僕はね、ネーヤと友達になりたいと思ってるんだ」
「……?」

きょとん、とした顔で、ネーヤは柔らかな色彩を持つ少年を見つめている。その様子に、少しだけ不安を覚えた。

「ダメ……かな?」
「友達……ってなんだ?」

本当に知らない、という顔でネーヤは首を傾げる。苦笑しながらもイースは律儀に答えた。

「一緒にいて、楽しくて安心する関係のことだよ」
「……フィーナは?」
「ネーヤにとっての姫様はきっと友達、じゃないと思うな。姫様だけは特別、かな」
「……特別……」

考え込むように、ネーヤはもう一度膝を抱きなおした。イースにはその姿が、『特別』という言葉の意味を必死で考えているように感じられた。そしておそらくそれは当たっているのだろう。





(―――――なんだ)
(簡単なことじゃないか)





思わず口元に浮かんだ笑みを、ネーヤは見止めたらしい。また不思議そうにしている彼に、イースはそのままの顔で優しく言い放った。

「友達だよ」
「……よくわからない」
「わからなくていいよ。だから、姫様の次でいいから、一緒にいて、いろんなことやってみよう?同じものを見よう?」

―――――きっとそれを姫様も喜んでくれると思うから。
そう言うと、ネーヤは安心したように、少しだけ視線を和らげた。

「お前の目、空の色だ」
「え?」
「僕の好きな、青空の色だ――フィーナと……同じ色だ」
「でも……姫様の瞳はもっと淡い蒼だよ?」
「僕のフィーナの瞳はお前と同じ色だから」

その時イースには、血の色の赤の瞳が柔らかく柔らかく、光を放ったように見えた。





「―――――その色……とても好きだ」





そして……二人は、お互いが始めての―――――『友達』になる。
ぎこちない、不器用な、想いで。