Clover
- - - 番外編4 Lady Devil
[ 番外編3 Friendship | CloverTop | 番外編5 Good Morning My Darling ]

「禁句?」
「そうだ、今ゲオハルトの前でその言葉だけは言ってやるな」

中庭にあるテーブルで具沢山のホットサンドを頬張っていたレヴィンは、そのアゼルの言葉にきょとん、と首を傾げた。
親友であるシードとは正反対で、レヴィンにとって色気より食気が優先なのは、誰もが知るところだ。

「どうしてだよ?」
「だから!『どーして』って言葉を使うな!それが禁句なんだ」
「わけわかんねえ」

俺だってわかりたくなんてなかったさ、とアゼルは目の前のサラダをぶすっとした顔で口に運ぶ。こういう機嫌の悪い時には、美味いお茶でも飲みたくなる。後でメナスに持って来てもらうか……などと、相も変わらず苦労人の神官長はぼんやりと思った。

(大体何で俺があいつのとばっちりを受けなくちゃいけないんだ!とっととケリをつけろ!ケリを!)

朝っぱらから姫と自分の執務室に響き渡ったあの甲高い声が、今でも耳に残っているような気がして、アゼルはブンブンッと首を振った。レヴィンは、その様子を既に3つ目のホットサンドにガブつきながら怪訝そうに見やっている。真実を知らないことはある意味幸せなことだなぁと、アゼルは目の前の大食らいの青年を見てしみじみと実感していた。





―――――その直後。





「どーして!どーして!どーしてですの!!!!!」





朝散々聞いて、もう聞きたくないと思っていたその声が、キンキンと中庭中に響き渡る。唖然として、レヴィンはボロッと持っていた4つ目のホットサンドをテーブルへと落としてしまった。見れば王宮の方から、図体のでかい黒服の青年が足早にこっちへ向かってくるではないか。そしてその後ろには、くるくると巻いた黒髪に青い瞳の、ひとめでヴォルマイオス家の者だと分かる娘がくっついているのが見えた。

「……なんだ、アレ」
「……教えてやろう、レヴィン。アレがかの有名なフランチェスカだ」
「フランチェスカ……?」

アゼルの言葉に一瞬きょとん、としたレヴィンだが、すぐに思い出したように、ポンッと手を叩いた。

「ああ!あの有名なゲオハルトの押しかけ女房気取りの女!」
「なんですって!?」

すぐ近くで聞こえたその声にビクッとして横を向くと、頭を抱えたアゼルと、疲れきった顔のゲオハルトの横に、腰に手を当てて仁王立ちをしているその娘の姿が目に入った。目がこれでもかというくらいに怒っている。

「女房気取りって誰のことですの!?」
「いや……オレはあくまで噂でそう聞いただけで……」
「噂!?誰ですの?そんなデタラメを言いふらしてるのは!」

((いや、デタラメじゃないし))

とアゼルとゲオハルトは二人揃って速攻でツッコんだが、あくまで心の中だけであった。そんなこと口に出そうものなら、またしても朝と同じようにあのヒステリックなキンキン声で怒鳴り続けるに決まっているのだ、この娘は。

「女房気取りだなんて……わたくしとゲオハルト様は近い将来夫婦になるのですわ!」
「……いや、だからフランチェスカ……誰がそんなことを……」
「お父様がずっとおっしゃっていました!ですからわたくし、小さい頃からずっとずっとゲオハルト様の妻になるべく育てられてきたのですわ!」

(あのタヌキジジイが……!!)

既に亡き人を悪し様に言うのは気がひけたが、ゲオハルトは悪態をつかずにはいられない心境だった。

フランチェスカはヴォルマイオス侯爵家の遠縁の分家であるレト家の出身だ。しかしそれも遠い過去の話で遠縁も遠縁、ほとんど交流などないと言っても過言ではなかった。
―――――そんな時だったのだ。突然本家のヴォルマイオスの色を持って、フランチェスカが生まれてきたのは。
その色のせいで、フランチェスカの父親は夢を見た。この娘を本家の長男として生まれたゲオハルトに嫁がせるという勝手な夢を。「お前は将来ゲオハルト様の妻になるのだよ」と言い聞かせて育てることに問題がないはずはない。現にフランチェスカは父親のその言葉を信じ込んでいる。ゲオハルトにしてみたら笑えない事態なのだ。

(婚約話なんて、本家の方は欠片も聞いてねえっつの!大体オレの両親は恋愛結婚だったんだぞ!?婚約話なんて持ってくるわけねえだろが!)

息子である自分から見ても恥ずかしくなるくらいに、お熱い夫婦だった亡き両親を思い出して、ゲオハルトは肩を落とした。
最近ではヴォルマイオスの館を女房気取りで取り仕切ろうと入り浸っている彼女から逃げるため、ゲオハルトは王宮の執務室に備え付けられている寝室で暮らしている。館にはここ2ヶ月ほど帰っていない。
それがかなり不満だったのか、ついに今日、フランチェスカ自ら乗り込んできたというわけだ。

「……ゲオハルト、お前どっか行け」
「なにっ!?アゼル!お前それでもオレの親友か!?」
「朝から散々付き合ってやったろ!?おかげで午前中は執務にならなかったんだぞ!?姫は危険を察知してお前達が来る前に逃げ出すし……昼飯くらい静かに食わせろ!」

いい加減頭にも来る。
と言うか、いい加減ズバッと!バシッと!言ってやれ!と内心でアゼルは思っていた。その気がないなら早い方がいいに決まっている。確かにげんなりするほど騒がれそうだが、それは一時の我慢で済むはずだ。

「んまぁ!どっか行けとはなんですの!?ゲオハルト様に対して失礼ではありませんの!?」

(……そう来るか)

フランチェスカの世界はゲオハルトが全て、ゲオハルトが全て正しい。ある意味姫君にくっ付いているあの白髪の少年に通じるものがあるが、少なくともあの少年はこんな殺人的超音波のようなキンキン声は発しない。
耳元で騒がれたアゼルは、フォークを置いて、思わず耳を塞いでしまった。その隣でレヴィンは何もなかったかのように落としたホットサンドを食べ始めている。

「耳を塞ぐなんて失礼ではありませんか!どーして!どーして!どーしてですの!!!!!」
「……」

塞いでいてもしっかり聞こえるフランチェスカの口癖の『どーして』に、アゼルはげんなりと肩を落とす。
しかし下を向いたその視界に、その時バチッと一瞬火花が散るのを見つけて、アゼルは思いっきり目を見開いた。

顔を上げたそこには、変わらずホットサンドを口いっぱいに詰めこんでいるレヴィンがいる。だが―――――見間違いではなかったはずだ。

「……お、おい……レヴィン……」
「……?」

震えたようなアゼルの声に、ゲオハルトも視線を動かす。
その瞬間、バチバチッとレヴィンの周りを小さな紫電が舞った。幸か不幸かアゼルに文句を言うのに夢中なフランチェスカはそれに気付いていない。

「ま、待て……落ち着け、レヴィン」
「そ、そうだ……オレ達ならともかく、さすがに一般人がそれをくらったら、死ぬぞ?」

アゼルとゲオハルトが揃って青ざめる。レヴィンが何よりも楽しみにしている食事タイムを邪魔することが、一体どういう事態をもたらすのか……以前に経験したことのあるアゼルは尚更想像したくなかった。
元々レヴィンはその潜在能力が大きいが故に、自分でその力を制御しきれていない。しかも間の悪いことに、感情が高ぶるとその力は暴走する傾向があった。いくらキールの作った制御リングを額にはめていても、制御しきれない感情に誘発された力は、強烈な電撃になって周囲に放出される。

「ゲオハルト!早く行け!」

アゼルの鋭い叫びに、はっとしてゲオハルトは踵を返した。さすがに親友というべきか、それだけで意思の疎通ができている。ゲオハルトがこの場所にいる限り、フランチェスカもここにいるということで……それはレヴィンの機嫌を最悪にすることは明白だった。

(とりあえず……走れ!オレ!)

ゲオハルトは一目散に中庭を走り抜ける。後からキンキンと響くフランチェスカの叫ぶ声が聞こえ、アゼルの機転が成功したことがわかった。とりあえず周りの人間が電撃をくらうことだけは免れただろう。
残る問題は―――――このままどこまで逃げるか、ということだけだ。
フランチェスカのゲオハルトレーダーは超高性能だ。女のカン、というものだろうか……それはそれで怖いものがある。

(と、とりあえずどこかに隠れて、今日をやり過ごさないと……!)

なんで自分がこんな目にあわなくてはならないのか。
ゲオハルトは自分の女運の無さを実感して、何だかひどく悲しい気持ちになった。


* * * * *


「……で、ここですか?大変ですね、ゲオハルト様」

くすくすと目の前で笑う黒髪の少女に、ゲオハルトは心底脱力した笑みを向けた。同じ黒髪だというのに、生まれ持った性格でこうも違って見えるものかと、少々的外れなことを考える。どうぞ、とお茶を差し出すメナスの執務室のソファーにゲオハルトはその大柄な身体を埋めていた。

「でもここも、すぐに見つかりそうよね……あの迫力じゃ」
「笑えねえこといわないでくれよ、おひーさん……っていうかおひーさんだってここに逃げてきてるじゃねえか」
「当たり前でしょ?あんな騒音スピーカーのわけわかんない話を何でこの私が聞かなくちゃいけないの」

しれっとした顔をして、ゲオハルトの前でお茶を飲んでいるのは、午前中アゼルを生贄に執務室を逃げ出したフィアルだった。どうやらこの姫君もここを避難場所にしたらしい。

「でも……ゲオハルト様にその意思がおありでないのなら、はっきりそう言った方がよろしいのではないですか?」
「オレもそうしたいのは山々なんだけどよ……そんなこと言ったら一日どころか一ヶ月くらいアレに付き合わなくちゃいけない気がして、踏ん切りがつかねえんだよなぁ」

はぁ、とため息をついたゲオハルトに、フィアルはニヤリと人の悪そうな笑みを浮かべて、とんでもないことを言い放った。

「いいんじゃないの?一回くらいヤッちゃってから、ポイすれば?」
「……おひーさん……」
「だからってヘマするんじゃないわよ?それこそ結婚への道一直線になるから」
「だからっ!一応お姫様がそんなこと口に出すな!!一回ってなんだ!一回って!」
「え?……ちょっとヤダ、あんたまさか……」
「……ッ!ちげーよ!この歳でオレが初心者なワケねーだろうが!」
「なんだ……よかった……てっきり……」

真っ赤な顔で怒鳴るゲオハルトと、からかうようなフィアルの会話はかなりキワどく、メナスは頬を染めて黙りこくる。傭兵育ちだからか、はたまた育ての親がアレだからか、フィアルはそう言った話にわりと寛容、というか無遠慮だった。

「とにかく!オレとフランチェスカはヤるとかそういう以前の問題なんだ!」
「じゃあそう言えばいいじゃないの」
「だからー」

わかっては、いる。
そうしばらくの間我慢すれば、その後の生活は安泰だ。フランチェスカの傍若無人ぶりに頭を悩ませているであろう、ヴォルマイオスの館の使用人達も執事も、胸を撫で下ろすことだろう。

(……覚悟、決めっかな……)

呆然とそう思った時、心配そうなメナスの声が耳に飛び込んできた。

「でも……ただ断って、それでフランチェスカさんは諦めてくれるでしょうか?」
「そうよね。あの分じゃ絶対に、ゲオハルトに気に入られるまで頑張るとかなんとか言いそうよね」
「……二人とも、笑えねえ話はよしてくれ」

でも―――――ありえる。
……と、言うか、絶対にそうなるような気がする。
最終手段で誰かに頼んで、「オレにはもう相手がいるんだ」と言っても「ゲオハルト様はその女に騙されているんですわ!」とか何とか言いそうだ……いや、絶対に言うだろう。

(じゃあどうするんだ!?オレにはもう打つ手がないじゃねえか!)

おとなしく彼女と結婚……それだけは絶対にイヤだ。そんなことになったら、一生ヴォルマイオス領には帰れない。

「あんまり使いたくない手だけど……何とかしてあげてもいいわよ」

その声にハッと顔を上げると、フィアルは満面の笑みを浮かべてゲオハルトを見ていた。
―――――胡散臭い。
はっきり言ってものすごーく胡散臭い。
顔に出ていたのだろう、フィアルはますます笑みを深くした。

「ま、無理にとは言わないわよ?このままなし崩しにフランチェスカと結婚して、無理矢理押し倒されて、逆にヤラれちゃって、子供が5人くらい次々にできて、その全部がフランチェスカにそっくりで、6人がかりの『どーして』攻撃にあいたいって言うなら、私は止めないしね」
「やめろっ!勝手にオレの未来を捏造するな!!」

あんまりな想像にゲオハルトは身震いをした。姫君の隣ではその姿をリアルに想像してしまったのであろうメナスが、必死に声を殺して笑っていた。
―――――仕方がない……背に腹は変えられない。

「……スミマセン、オネガイシマス」
「棒読みかぁ」
「すみませんっ!お願いしますっ!」

恥も外聞も捨てて頭を下げるゲオハルトに、フィアルはすっとその手のひらを差し出した。意味がわからず首を傾げると、彼女のその満面の笑みにどこか打算めいた光が宿る。

「まさかタダでやってもらえるとか思ってないわよね?」
「……かっ!金取るのか!?それでも大神官か!?」
「やーね、世の中そんなに甘くないわよ?しかも私は元傭兵なんだから、その辺りシビアなのよ」

コロコロと笑う姫君が一瞬悪魔に見えたのは気のせいだろうか。その横でメナスは瞳を輝かせながら「流石です!姫様!」などと手を叩いている。正義はここには存在しないのか。

「……わかったよ……で、いくらだ?」
「お金なんていらないわよ。労働で返してもらうわ」
「……労働!?」
「アークがね、ワーレン村の堤防視察の相棒探してたの。ちょうどいいから一緒に行って来て、3日間」
「3日!?あの顔だけ笑って中身は変態の!アークの相手を3日間もしろって言うのか!?」
「―――――行って、来て」

―――――行って来いやウラ、と言外に語っているその視線に、ゲオハルトが勝てるはずもなく。
がっくりと項垂れた大きな身体を見て、フィアルはそれはそれは楽しそうに、笑った。


* * * * *


―――――数日後。
というか、アークに付き合わされて、かなりげんなりしていたゲオハルトの元にヴォルマイオスの館にいる執事から連絡があった。フランチェスカが館を出て行ったという。
代償は大きかったが、流石は姫君、と感心しつつ、久々にゲオハルトは館に戻り、フランチェスカからの一通の置手紙を受け取った。
そこにはたった一言、こう書いてあった。





『―――――不潔ですわ』





「……何言ったんだー!!!!!」

その後、どんなにゲオハルトが問いつめても、フィアルの口から真実は語られることはなかったという。
やっぱり女は悪魔だ。
そしてそれ以上に自分は女運が悪いのだと、しみじみと実感したゲオハルト―――――26歳の春であった。