W渡辺
- - - 第6話 渡辺くんと夏祭り 前編
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「祭り……?」
『うん、花火大会もあるんだって』

夏休みに入って、雛とは電話で話すことが多くなった。
それもそのはず、雛はなんとかいう教授に呼ばれて、7月いっぱいはイギリスにいるのだ。時差もあることだし、そう頻繁に電話をかけてこなくてもいいと言ったら、「英語ばっかり話してると日本語が頭から抜けちゃうの」などと本当になりそうなことを言うものだから、俺は毎晩かかってくるその電話に付き合うことにしていた(しかし何だか既にイントネーションがおかしい気がする)

『ユリが教えてくれたの。その頃には私も帰国してるし、一緒に行こう?』
「俺はまぁかまわないが」
『Really?』
「……?ああ」
『やった!』

そんなに祭りに行きたかったんだろうか。いつもより数倍はしゃいだ様子の雛に、俺は少しだけ疑問を感じた。

「なんだってそんなに祭りに行きたいんだ?」
『えっ!そんなの決まってるでしょ?』
「……?」
『わたあめ、たこ焼き、焼きそば、お好み焼き、イカ焼き、Apple Candy……』
「……わかった、もういい」

結局食い物か。雛……お前の価値観はひどく偏りがあるぞ。大体そんなに食ったら胃にもたれる。それにApple Candyってなんだ。りんごあめと素直に言ってくれ。
きっとネイティブが聞いてもわからないくらいに雛の発音は完璧なのだろう。もっとも雛に言わせると、自分はクイーンズしか話したことがないらしいが、彼女ほど語学力に富んでいない俺にしてみれば、クイーンズだろうがアメリカンだろうがたいして変わりはない。

『後は、金魚すくい!』
「は?金魚すくい?」
『Yes!楽しみだね、マサムネ』

食い気オンリーだと思っていた雛の口から、思ってもみなかった遊びの名前が出て、呆けていた俺に、雛は心底楽しそうな口調でそう言った。
きっと今、雛は俺の好きなあの笑顔をしているのだろう。
それが見れないことが、ほんの少しだけ寂しいような、そんな複雑な気持ちで、何故か俺の心はいっぱいだった。


* * * * *


「へえ、つまり初デートなわけだ」
「何を言ってるんだお前は」

夏休みとはいえ、部活はある。
俺と時政はウオーミングアップとして、軽く竹刀を合わせながら、何故か世間話をする習慣があった。

「だって、二人きりで休日にどこかに出かけるのって、初めてなんだろ?」
「そう言えば、そうだな」
「お前さ……付き合って二ヶ月たってから初デートって、どうなんだよ。もうちょっとこう積極的になれねえわけ?」
「大きなお世話だ」

パンッ!と強く打ち込んでやると、おおっと大げさな声を上げて時政はそれを受け止めた。

「でも雛ちゃんのことだからなぁ……食い気に走りそうだな」
「ああ、それはそれは楽しそうに次々に食べ物の名前を挙げていたぞ」
「やっぱりな!」

そう、なんてったってApple Candyときたもんだ。
しかしそれがさすがに言えず、俺は淡々と時政に向かって竹刀を振り下ろした。

「……で?」
「?」

―――――で?
ニヤニヤと笑う時政の顔を怪訝な顔で見返すと、時政は強めの突きを入れてきた。

「だから、あれだろ?」
「なんだ?」
「夏のステップアップ大作戦なわけだろ?」

―――――ステップアップ大作戦?
何のことだ、それは。

「お前は奥手だし、雛ちゃんもそっち方面には疎そうだから、一年くらい進展も何もないかと思ったけど、大チャンスが来たなぁ」
「何のチャンスだ?」
「そりゃお前、健全な男女がすることなんてひとつに決まってるだろう」

健全な男女がすること?
金魚すくいは……別に男女じゃなくたってするよな。
りんごあめだって、たこ焼きだって、お好み焼きだって、いか焼きだって、わたあめだって、男女じゃなくたって、食うよな?
というか俺はお前と昔行った近所の盆踊りで思いっきり食った記憶があるぞ?相変わらずわからん……雛とは別の意味でお前の言葉はわからなすぎる。
俺が考え込んでいることに気づいたのだろう、時政は少々呆れたようにため息をついた。

「お前……本気でわかんねえのか?」
「わからん」
「この朴念仁。こういうことはな、男がリードすべきことなんだぞ!」

―――――朴念仁。
自分でもわりといろいろなことに疎いという自覚はあったものの、時政に言われると腹が立つのは何故なのか。これだから……などとぶつぶつと呟いているその顔に奇妙にイラついて、俺はすかさず時政の顔めがけて竹刀を振り下ろした。

ウォーミングアップ……もちろん防具はつけていない。

頭を抑えて蹲る時政を冷たい目で一瞥してさっさと防具を付けに部室に戻っていく俺を、他の部員がおどおどとした目で見つめていた。
こうして自分が鬼部長、と呼ばれるようになったということを、俺は未だに自覚していなかったりする。


* * * * *


見渡せば人、人、人。
そんな混雑した浴衣だらけの人の中でも、俺はすぐに彼女を見つけることができた。こんな時は自分の背が高かったことに感謝する。

屋台が続く神社の参道の入り口に、雛は白地に赤い金魚柄の浴衣姿で立っていた。雛が待ち合わせよりも10分以上も早くそこにいることに俺は多少驚いたが、それ程この祭りを楽しみにしていたのだろう。ただでさえ大きな瞳が期待できらきらと輝いているのを見て、俺は小さく苦笑いした。

「雛」
「マサム〜ネ!」
「……」

声をかけると、雛は嬉しそうに微笑んで答えた。
しかし……いつもおかしいとは思っていたが、それに輪をかけて発音がおかしいぞ、雛。この分じゃ本当に電話で話してなかったら、すっかり日本語が抜けてしまっただろう。
そんな俺の内心の葛藤に気付かず、雛はててて……と小走りに走りよってくると、ほぼ追突するような形で、ボフッと俺の腰に抱きついた。

「ひさしぶりー」
「いや、二週間ぶりだろう」
「逢いたかったよ?」
「……そうか」

いつもと違うその格好でそんな思いっきりくっつかれると、どうしたらいいのかわからない。俺は両手をどうしたらいいのかわからず、ただ硬直するばかりだった。
しかし雛はそんな俺の不器用さを気にする風でもなく、持っていた白いビニール地の手下げ袋を俺に差し出した。

「おみやげー」
「イギリス土産、だな」
「うーん、そうでもない」
「……は?」
「帰りに中国に寄ったので、そこで買ったの」

―――――オイ。
お前は二週間、イギリスに行ってたんだろう?なのになんでわざわざ中国土産を俺に渡すんだ。

「あ、でも一応紅茶も買ってきた。マサムネのお母さんは紅茶が好きだって、時政くんが言ってたから」
「……」
「開けて開けて。これ見た時にね、絶対マサムネに似合うって思ったの!」

―――――似合う。
ってことは少なくとも食べ物ではないと、俺は悟った。
微妙だ……かなり微妙だ。選んだのが雛、と言うだけでかなり不安だ。
俺は期待を込めて見つめてくる雛の視線に気付かないフリを装いながら、あくまで動じていない顔でそれを取り出した。

「……」
「すごいでしょー、素敵でしょー?」
「これは……ヌンチャク……?」
「No!三節棍!ヌンチャクは沖縄の武器だよ、別名は双節棍っていってね……」

―――――いや、だから。
なんでお前はそういう無駄な知識を……そしてなんで俺にこんな物騒なものを。
三節棍を持って呆然としている俺に、雛はあくまで嬉しそうに言った。

「マサムネは武道家だからね、それにちなんだモノがいいかなぁって思って」
「いや俺は武道っていうより剣道家……」
「……剣道は武道じゃないの?」
「大きく分けたらそうかもしれないけどな」

反論する気力もなくがっくりと肩を落とした俺を、不思議そうに見つめている雛に、これ以上何が言えるだろう。
そうだ……いつかは、限りなくゼロに近い可能性ではあるが、三節棍だって何かの役に立つかもしれないじゃないか。物は考えようだ。と言うか、そう考えなければあの始末にひどく困ってしまう。
しかし、彼女からの初プレゼントが三節棍だなんて、日本中探しても俺だけだろうな。
……。
時政にだけは死んでも言うまい。思いっきり笑い飛ばされるのがオチだ。

「マサムネ?」
「いや……行こうか」

いろいろなことを自己完結して、俺が手を差し伸べると、雛は嬉しそうに微笑んでその小さな手を重ねた。
祭囃子が―――――聞こえる。
どうしてだろう。いつもの帰り道で手を繋ぐより、もっともっと気恥ずかしい。顔が熱い。
でもきっと―――――この薄明るい提灯の灯りが、それを隠してくれるだろう。
俺はそのまま雛の手を引いて、参道へと歩き出した。
その後ろで雛が、嬉しそうに微笑んでいたのを、知ることもないままに。


* * * * *


(「わたあめ、たこ焼き、焼きそば、お好み焼き、イカ焼き、Apple Candy……」)

電話の向こう、確かにそう言った雛の声を忘れたわけではなかった。

―――――が!

「雛!一気に買っても仕方ないだろう」
「あ!あっちにべっこうあめもあるー!」
「あ!バカ!勝手に行くな!」
「あ!焼き鳥だ〜!」
「雛ッ!」

両側にこれでもかと並んだ屋台が目に入った途端に、あっちへふらふらこっちへふらふら、俺はそんな雛を止めるのに必死だった。ひどい混雑の上に、何しろイヤにちょこまかと歩くものだから、見失ったら大変だ。手を握っていたはずなのに、いつの間にか俺は、雛の腕を掴む羽目になっている。

「何食べよう?どれ食べよう?ね?ね?ね?」
「わかった……わかったから少し落ち着いてくれ、雛」
「やっぱり王道で焼きそばかなぁ?でもあれ食べちゃうと何も食べられないくらいお腹いっぱいになりそうな気がするしな〜?あ、それともやっぱりイカ焼きかな?だったら私、ゲソがいいな。あのこりこりしたところがいいんだよね」

―――――聞いてない。
何と言うかイヤにハイテンションだ。興奮状態だ。しかもその口から出てくるのは食べ物のことばっかりだ。眠気が一番食い気が二番な雛だから、覚悟はしていたものの、これはさすがに困る。

「マサムネは何を食べたいの?」

いや、だからそんな期待を込めた瞳で見られても。
俺はあの厳格なじい様のおかげで、お前ほどジャンクなものを食べ慣れてないんだ。両親が万年新婚夫婦で、二人でしょっちゅう旅行に行ってしまって、仕方なくいつもインスタント麺をすすってた時政とは違うんだ。

俺は返事に困って、ちらりと周りに視線を泳がせた。
―――――その時……ふと、目に入ったのは、その鮮やかな色。

「じゃあ、あれにしよう」
「へ?」

俺の視線の先を追った雛は、少し驚いたように目を見開いた。

「……いいの?」
「食べたがっていただろう?」
「そうなんだけど……なんかちょっと意外」

悪かったな……仕方ないだろう、目に入ったんだから。
しかもあれは食べ終わるのに時間がかかる。少しどこかに座ってゆっくりしてからまた繰り出せばいい。
「わ〜い!」と店に走り出す雛は、満面の笑みを浮かべている。その嬉しそうな様子に、俺も小さく笑った。

―――――ただな、雛。
俺はそのでっかい真っ赤なりんごあめじゃなくて、その横にちまっと並んでいるみかんあめで勘弁してくれ。
心の中では、そんなことを呟いてはいたけれど。