W渡辺
- - - 第6話 渡辺くんと夏祭り 後編
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りんごあめを食べるのに、少しの時間を要した後。
さっきより落ち着いた雛と一緒に、いろいろな屋台を覗いて回った。食べ物の屋台だけではなく、ヨーヨー釣りや、射的、型抜きなんかも懐かしさにまかせてやってみた。

何をやっていても、雛はとにかく楽しそうだった。
こんなに生き生きしている雛を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。いつもは睡眠が優先な彼女だから。

「雛、今日は眠くならないんだな?」
「ん?そっだねえ〜?あ、まだ時差ボケが抜けてないのかも」
「そう言えばそうか」

わりと単純な理由だ。
なんとなく拍子抜けしたが、楽しんでいるならまぁそれはそれでいいのだろう。
もうすぐ小さいながらも花火大会が始まる、という時間になって、俺達は屋台が立ち並ぶ参道を、逆方向に歩き始めた。

と。

「雛?」
「……マサムネ、あれやろう?」

彼女の小さく細い指が指し示したその先には、金魚すくいの屋台があった。最近多いウエハースでできたタモではなく、ちゃんと和紙を張ってあるものを使っている。プラスチックでできたその青い入れ物の前で、小さな子供達が数人、赤や黒の魚を救おうと躍起になっているのも見える。

「金魚すくい?やりたいのか?」
「やりたい」
「金魚……飼えるのか?」

金魚すくいと言うものは、例えすくえなかったとしても、必ず一匹はくれるものだ。いくら小さな金魚とは言え命のあるものだから、俺は責任なくそれをする気にはならない。だからこそ心配して確認したのだが、雛は何故か、先程までのはしゃいだ様子ではなく、真剣な顔でそれを見つめていた。

「飼う」
「……そうか」
「そして、絶対すくう」
「は?」
「あの中にフンちゃん2号がいるかもしれない」

―――――フンちゃん2号?
なんだなんだ?また何だかいつものおかしな雛の言動が始まっているぞ?

頭にハテナマークを浮かべたままの俺を引きずって、雛は金魚すくいの屋台へと近づいた。そしてその前に座り込むと、ただひたすらに、じっ……と水槽の中を見つめている。

「お嬢ちゃん、お兄ちゃんもやるのかい?」
「え……俺は」
「やるっ!」

雛は勢いよく、屋台の親父の目の前に、ぎゅっと握った拳を差し出した。
いやその中に金が入ってるのはわかるが、もう少し穏便に渡したっていいだろう?親父は一瞬驚いた顔をしていたが、「ありがとよ」と笑って、俺と雛の前にタモと道具一式を差し出した。
こうなってしまっては仕方がない。
俺は諦めて雛の隣にしゃがんで、水槽の中を見つめた。

「マサムネ」
「何だ?」
「いた!」
「……?何がだ?」
「あれよ!あれ!ターゲットロックオン!」

ターゲットロックオンってお前、何を言い出すんだ。
そう思いつつ、雛の指の先を見ると、そこにはなんの変哲もない赤い小さな金魚がそよそよと泳いでいた。

「あれ?」
「そう!あれをすくうの!」
「……なんでって聞いてもいいか?」
「あれはフンちゃん2号よ、間違いない!」

いやだからフンちゃん2号ってなんなんだ。
2号ってことは1号も存在するのか?そしてそれは金魚なのか?

「私は絶対フンちゃん2号をゲットする」
「……あの、だからだな」
「私に不可能なんてない」

普段の授業中より、遥かにやる気が見えるのは気のせいか?
しかも屋台の金魚すくい、そのターゲットは出目金でもらんちゅうでもない、極々普通の赤いきんととに、何でお前はそんなに燃える?

自問自答していた俺を尻目に、雛は本気でその金魚をすくう気らしく、見たこともない真剣な顔でタモを構えている。

「……」

慎重に、タモを水面と水平に保ったまま、ゆっくりとフンちゃん2号と言う名の金魚に近づいていく。いつもは不必要な位に破天荒だというのに、目的があるとやはり違うのか。

俺は、何故かその勝負の行方ではなく、隣の雛の顔だけをずっと見つめていた。


* * * * *


―――――るん♪

今の雛の状態を文字にするなら、きっとこんな感じなのだろう。
手に持ったビニール袋の中には、赤い小さな金魚が一匹、ゆらゆらと揺れていた。

あっという間にフンちゃん2号とやらをすくった後、雛はまだタモが破けていないというのに、金魚すくいそのものをやめてしまった。目的を果たしたら、途端に興味が失せてしまったようだ。仕方ないので、俺もタモを屋台の親父に返して、今、俺達は花火を見に、神社近くの河原へと向かっていた。

「……嬉しそうだな」
「え?うん、嬉しい!」

雛が満面の笑顔で答える。
そのあまりに素直な答えに、俺の顔に血が上った。

「フンちゃん2号、ずっと探してたの」
「フンちゃん2号って結局なんなんだ?」
「……?この子のこと」
「いや、何でその金魚だったんだ?そして何でその名前なんだ?」
「あれ?私、言わなかったっけ?」

言ってない、言ってない。
首を横に振る俺を見て、雛はそうだっけ、と呟く。本気で言ったつもりになっていたらしい。
まぁ、いつもなら見ることができないような興奮状態だったからな、仕方ないか。

「フンちゃんは、うちの金魚なの」
「それが、1号?」
「そう、1号」
「何でフンちゃんなんだ?」
「フンが長いから」
「……」

……お前ね。

「小学校の時にすくったの。この子そっくりでちっちゃかったのに、フンだけいやーに長くて」
「へえ」
「あんまりすごかったから、フンボルトって名前つけたの」
「……」
「ちょうどその時、社会かなんかの授業で、シーボルトをやってたんだよね」
「それで、フンボルト」
「そう、フンボルト。略してフンちゃん。ちょっとばかりおしゃれでしょ?」

歴史上名を馳せた人物も、雛にかかるとこんなものに成り果てるのか。
俺は歴史の教科書に出てくる全ての人物に、祈りたい気持ちになった。

「でもね、しばらくしてから、フンちゃんが実はメスだったってわかってね」
「……」
「フンボルトって男の名前でしょ?だから、改名したの」
「……何に?」
「フンボルリーナ」

そりゃまたごたいそうな名前だな、金魚とは思えないな。
俺にはもう、雛の言葉が異国語に聞こえていた。

「金魚ってすごいよね、いっぱい食べると、いっぱいフンが出るんだよ」
「そりゃそうだろ……」
「あんなにミニマムだったフンちゃんなのに、今では体長20cm!」

―――――でかっ!!

「だからね、いい加減フンちゃんにお婿さんを探してあげようってずっと思ってたの」
「……ちょっと待て」
「いい子が見つかってよかった!」
「まさか、そのでかい金魚の婿に……それを?」
「そう!この子は絶対すごいフンをしそう!」

基準が……基準がそんなことなのか、なあ!!
俺は呆れを通り越して、何だか力が抜けてしまい、へなっとその場に座り込んだ。
花火を見るにもちょうど穴場だ、ここで腰を落ち着けたっていいだろう……と言うか、このアナザー雛ワールドから、自分の思考を取り戻すのには、絶対にそれが必要だ。

「マサムネ?」
「雛、ここで座ろう」
「ん、いいけど……?どしたの?」
「俺はここで花火が見たい、いや見よう」
「……?」

近くにあった木箱に、俺と雛はとりあえず腰を落ちつけた。
―――――落ちつけ、俺。
これから花火だ。もう巨大なフンをする金魚のことは忘れろ。綺麗な夜空に上がる花火のことだけを考えろ。





「―――――あ!」





俺がそうして葛藤していると、ドーン!という大きな音と共に、大きな花火が上がった。

本当に花のように開いては、きらきらと輝きを放ちながら、消えていく。
その美しさに、俺も雛も、一瞬言葉を失って、ただただ見とれていた。

「きれいだね」
「……ああ」
「私、ちょっと枝垂れてるのが好きだなぁ」
「俺も好きだ。あれは地味だけど、やっぱり綺麗だから」
「うん」

二人とも視線は花火に向けたままで、また無言でその空の花を見つめる。
しばらくして、雛が静かに口を開いた。

「ねえ、マサムネ」
「……ん?」
「花火、好き?」

そう言われて、花火から隣の雛に視線を向けると、雛は何故かとても柔らかく微笑んで、花火を見つめている。

「ああ」
「りんごあめは、好き?」
「……?まぁ嫌いではない」
「金魚すくいは、好き?」
「……??嫌いでは、ないけど……?」

―――――何だ?
やっと日本の夏の風物詩である花火で、普通の夏祭りの情緒を感じていたのに、また雛のアナザーワールドに足を踏み入れてないか?俺。
そう思った俺の気配を感じたのだろう。その視線を、花火ではなくふっと俺に向けて、雛はトン、と木箱から飛び降りた。そしてそのまま俺の正面に立つ。

座った俺と、立った雛の視線の高さが同じになった。





「じゃあ―――――私は?」





―――――ドクン。
雛は笑っている。
その意図に気付かない程、俺は鈍感ではなかったし、彼女もそうだろう。
俺の身体は正直で、気がつくとその腕を掴み、雛を抱き寄せていた。





「……好きだよ」





俺の声に、雛は綺麗に微笑んで。
―――――そっと、目を閉じた。
雛の肩越しに見えた花火は、今まで見たことがない程―――――美しかった。


* * * * *


例え、また俺の眉間に皺が増えるような行動を雛がしたとしても。
きっと今年の夏は―――――最高の夏になる。