W渡辺
- - - 第7話 渡辺くんと大魔王 前編
[ 第6話 渡辺くんと夏祭り 後編 | W渡辺Top | 第7話 渡辺くんと大魔王 中編 ]

「―――――で、それは本当か?」

いきなり挨拶もなく自分の部屋に上がりこんできて、冒頭の台詞を言い放ち、にっこりと微笑む目の前の人物。
その存在に、高崎少年ははっきり言って怯えていた。

「そ……それって?」
「それは、それだろ?」
「……え?」
「鈍いな、ニブちんだな、相変わらずのお馬鹿さんだな―――――『しんしん』」

誰かと同じ呼び方で名前を呼ばれ、少しむっとはするものの、態度には出せない。
何故なら目の前の人物は、高崎少年にとって、何よりも恐ろしい存在だったからだ。

「この俺様がわざわざ聞きに来ることなんて、一つしかないだろが、なあ」
「ひ、雛姉のこと、か?」
「ぴん、ぽん」

わざわざ擬音語を殊更に強調していること自体が、既に彼の機嫌が最高に悪いことを示していて、高崎少年は絶望的な気持ちになった。
しかし……よく考えてみるならば、ここまでバレなかったのが奇跡的なことのかもしれない。
ただそれが目の前の彼にバレたのが、何故夏休み期間中の今なのかが謎だった。

「この間、祭りがあっただろ?」

その笑顔、やめてくれないだろうか。
怒っているなら怒っているで、それらしい顔をしてくれれば、こちらとしてもまだ対処のしようはあるのに、と高崎少年は考える。
しかし逆らうと後が怖いので、とりあえずコクコクと彼は頷いておいた。

「俺様が合宿に参加してる最中にあった、あの祭りな」
「まだ引退してないんだっけ?」
「この俺様がこの夏に、そこらの受験生と同じように夏期講習なんて受けてると思ったのか?」
「……イエ、思いません」
「で、その祭りだ」

―――――祭り。
そう言えばそんなものあったな、とぼんやり高崎少年は思った。
しかし自分も彼と同じで、水泳部の合宿中だったし、一緒に行きたいと思う雛は確かイギリスに行っていたんじゃなかっただろうか。

「雛はその前日に帰ってきてたらしい」

考えを読んだかのようにそう言い放つ目の前の彼に、少し尻込みしながら、もう一度、コクコクと頷く。

「で、その祭りに、雛は男連れで行ったそうだ。知ってたか?」
「え……し、知らねえよ、オレだって合宿中だったし」

雛が男連れで祭りに行った。
その相手が誰なのかは、すぐにわかってしまう。
アイツだ、あの無愛想で無駄にでかくて、威圧感のある、あの男。
目の前の彼とは別の意味の威圧感ではあるが、あの男に食ってかかるのには、相当な精神力が必要だった。

「しかもその男、帰りは家まで送って来たそうだ。ひよりさんがそれはそれは嬉しそうに話してくれたよ」
「……へ、へえ」

家まで送って来たのか。
何て命知らずなことをするんだ、と高崎少年は一種尊敬にも似た気持ちを、彼の言うところの無愛想な男に抱いた。

「……で?」
「は?」
「誰だ、その命知らずな男は?知ってるんだろ?『しんしん』」
「あ……えっと……」
「いつから付き合ってる?」
「さ、さあ……」
「―――――『しんしん』?」
「すいません嘘です、春先からみたいデス」
「へえ、そんなに前から、ねえ。この俺様としたことが、気付かなかったからとはいえ、随分と放置プレイしたもんだなあ」

いや……っていうか。
自分にとっては喜ばしいことだが、あの二人はその関係の進展が、亀の歩みで。
自分が週末に雛の家を訪ねると大抵寝ていたし……もしかして二人で出かけたっていうのも、その祭りが最初だったんじゃないだろうかと、高崎少年は思いを巡らせる。

「付き合ってるのか、そうか……」
「あ、あの……」
「お前も知ってた位だから、知ってる人間は他にもいたんだよな、きっと」
「……た、たぶん」
「へえ」

―――――面白くない。
笑っているのに、暗にそう言われている気がして、高崎少年は、背中に悪寒がよぎるのを感じた。

―――――ニコ。

彼が笑う。
怖かったので、思わず笑い返してしまった。
大体何で昔から、この人の一人称は俺様、なんだろう。しかしそんなことすら怖くて一度も指摘したことはない。

「で……?」
「はい?」
「誰だ、それは」
「えっと……」

言ってもいいものだろうか、悩む。
しかしそんな迷いを蹴り飛ばすかのように、目の前の彼は、そのある意味作り物めいた笑みを浮かべたまま、続けた。





「命が惜しかったら吐け」





―――――許せ、渡辺政宗。
オレはまだ、命が惜しい。

そんな風にして高崎少年が陥落したことを、もちろん当の本人たる俺が知るはずもなく―――――。


* * * * *


夏休みはそれなりに充実していた、と思う。
あの祭りの後も、時政と俺と雛と相良の4人で遊びに行ったり、合宿があったり、大会があったりと忙しかった。

「会長……何ですか、これ」
「見て分かるだろう?生徒総会の資料だよ」

しかし、新学期が始まってからというもの、平和で穏やかだった俺の生活は、何故か崩壊の危機を迎えていた。

「生徒総会って……確か11月……」
「ああ、そうだ。でもその前に体育祭も文化祭もあるだろう?準備の時間なんてなかなか取れないからな、今のうちに片付けておくのが賢いと思わないか?」
「でも毎日下校時刻ギリギリまでかかってやるほどのことでもないと思うんですが」

多少恨みがましい視線を向けると、彼はその人好きのする顔に、ニコ、と擬音が付きそうな位の笑顔で返してきた。
―――――ダメだ。
何でかわからないが、俺はこの顔に、弱い。
こんなことなら、何だって去年、生徒会なんかに入ってしまったんだろう。担任の推薦だったとはいえ、断ればよかった気がする。

生徒会長は、副会長である俺より一学年上の3年生だ。
学年トップの成績に、スポーツも万能で、バスケ部の部長をやっている。俺と違って人当たりがいいので、生徒教師問わずに人気がある。
そんな彼はその仕事っぷりも優秀で、夏休み前までは俺も好感を抱いていた。

―――――が!

何か彼の気に障るようなことをしたんだろうか。
どうにも理不尽に仕事を押し付けられているような気がするんだが。
いや、考えすぎなのかもしれない。会長はそんな人ではない。
そう思ってみても、何かが引っかかる。正当な理由があると言えばあるが、何だかそれを盾に取られているような、この奇妙なもやもやは何だ。

(「渡辺!これも頼む!資料室に持って行ってくれ」)
(「は?」)
(「今さっきそこで生徒会長がお前に頼めって言ってたからさ!」)

何で俺が、ちょっとプリントを置きに行くだけだった俺が、日直の手伝いまでしなくちゃいけないんだ?
そんなことが、新学期が始まってからずっと続いているのだ、いい加減不信にも思うだろう。

おかげでここのところ帰りは遅いし、休み時間もほとんど教室にいられないので、雛と話す暇がない。
唯一のオアシスの昼休みまで、最近はこの生徒会室で過ごすことの方が多いくらいだ。
ただでさえ普通の恋人同士より歩みが遅いのに、どんどん遠ざかってる気がするのは何故だろう。

「すまないな……でも俺は、俺が卒業した後、会長になるのはお前だと思ってるんだ。仕事も覚えてもらいたいしな」
「俺が会長なんて、向いてませんよ」
「お前は自分を過小評価し過ぎだぞ?」
「そんなことは」

ほら、またこうして丸め込まれてしまうんだ。
コレが生徒会長のカリスマってヤツなのか、会長がもっともらしい言葉を口にすると、どうにも逆らえなくなってしまう。
問題は、最近気付いたことだが、この人がそれを計算してやっている節が見えるところだ。

「ん?どうした?渡辺」
「いえ……何でもありません」

なんでだろう。
「それって計算なんですか?」とはとても聞けない雰囲気がこの人にはある。

「何か言いたいことがあるなら、言った方がよくないか?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
「じゃあ俺が言ってもいいか?」
「は?」
「お前、彼女ができたそうだな?」

ぐしゃっ―――――!

しまった、持っていた紙を握りつぶしてしまった。
そんな俺を会長はニコニコと笑いながら見ている。

「お前って女に興味なかったんじゃないのか?意外だったな」
「……」
「だってお前、俺の学年じゃ一番の美人と評判の、斎藤女史の告白を断ったって聞いたぞ?」
「それは……俺はあの先輩のこと、知りませんでしたし」
「それが斎藤女史だったってのが、渡辺政宗、女嫌い説をもっともらしく見せてたってわけか」
「……会長」

その声にからかうような響きが混じったのを感じて、俺はやんわりとその会話を打ち切ろうとしたのだが。





「―――――全く、おかげでこんな事態になっちまったじゃねえか」





……?
何か今、ボソリと呟いた言葉は何だ?

でも目の前のこの人の顔は、それまで通りの笑顔のままだ。

「で?そんな渡辺が選んだのが、あの有名な天才眠り姫だそうだな?」
「どこからそんなこと、聞いたんです」
「あれ?隠してるのか?」
「いや、そういうわけじゃないですけど」

別に隠してるわけじゃないが、おおっぴらに言い回っているわけでもない。
デリケートな問題なんだ、こういうのは。
特に俺みたいに元々そっち方面が得意とは言えない人間にとっては!

「しかしお前に彼女ねえ……好きなのか?」
「好きじゃなきゃ付き合ってませんよ」

何だかいつになくしつこいその追及に、俺がげんなりして答えたその言葉が。
まさかこの後の事態を招くなんて、誰が想像できただろう?

「そうか……なるほどね」
「……?」
「好きなのか、そうか」
「……会長?」
「じゃあ―――――決定だな」

その時、俺は見た。決して見てはいけなかったものを、見た。
生徒会役員の中で、いや、全校生徒が観音のようだと評する、会長のアルカイックスマイルが。
世にも恐ろしき、悪魔の笑みに変わるその瞬間を。

「渡辺政宗」
「え……?」

会長の纏う雰囲気が、その柔らかで温和なものから、殺気めいたものに変わる。
それなのに、その顔はあくまでも、笑顔で。
だからこそ、ますます異様さを感じさせた。





「今日からお前は―――――俺様の敵だ」





邪悪な笑みを浮かべながらそう言われて、俺は呆然とそれを受け入れることしか、できなかった。


* * * * *


「……生徒会長?」

久々に取れた昼休み、いつもの屋上で俺がその話題を持ち出すと、首を傾げた雛とは反対に、相良が飲んでいたジュースをブッ!と噴出した。

「生徒会長が、どうかしたの?」
「いや、雛と何か関わりがあるのかと思って」
「ん〜?知らないよ?」

本当にわからないといった風に雛は更に首を傾げた。しかし、それを慌てたように相良が遮る。

「何言ってんのよ!雛!知らないわけないでしょ!?」
「だって、知らないもん」
「雛ッ!」

雛に心当たりはなくても、相良には思いっきりあるらしい。そんな二人の様子に気付いているのかいないのか、のほほんとパック牛乳を飲みながら、時政が口を挟んだ。

「生徒会長ってアレだよな、あの完全無欠人間」
「時政とも知り合いか?」
「いや、知り合いってんじゃねえけど、誰でも知ってるだろ?絵に描いたような優等生、去年のバレンタインチョコレート獲得数1位ってさ……うらやましくねえけど、それは」

それはお前がただ単に、チョコレートが嫌いなだけだろう。
そうツッコミたかったが、敢えて言わないでおいた。

「しかし何でそんなのに、いきなり敵視されたんだ?お前、何かやらかしたのか?それとも前から仲悪かったっけ?」
「いや……仲は悪くなかったはずなんだが、急に」

しかも薄ら寒くなるような、邪悪な笑みを浮かべて、とは言えなかった。
あの会長の整った顔だからこそなせる技だろう、あれは。

俺と時政の話を聞いていたのか、相良が何故か同情に満ちた顔で俺を見つめてきた。

「バレたわね」
「……?」
「いきなりそうなったんでしょ?絶対にバレたのよ。まぁいつかはバレると思ってたけど、案外早かったわ」

バレた?何がだ?
顔を見合わせる俺と時政に、相良は大げさにまたため息をついた。

「まぁそれも試練よ、渡辺くん」
「なんだそれは、何か知ってるのか?バレたって……何がだ?」

俺は別に会長に隠れて何かをしたつもりはないぞ。

「だから、バレたのよ」
「何が?」
「渡辺くんが雛と付き合ってることに決まってるでしょ!?」

―――――はあ?

その間、たっぷり5秒はあっただろうか。
いや、ちょっと待て相良。俺と雛が付き合ってることが、会長に知られると何か問題があるのか?
大体俺は雛と付き合いだしてから、一度たりともそれを隠したことはないぞ?確かに言いふらした記憶もないが。

「会長に政宗と雛ちゃんが付き合ってることがバレると、何がまずいんだ?」
「まずいに決まってんじゃない!」
「ねえ、だから会長って何なの〜?」

話についていけない雛は、少し唇を尖らせている。
しかし相良はそんな雛を、呆れたように見やった。

「生徒会長は、皓さんでしょ!」
「皓ちゃん?」
「知らなかったの!?雛!」
「そうなの?聞いたことなかった」

ただでさえ大きな目をくりくりさせているところを見ると、会長を知らなかったのではなく、彼が生徒会長をやっている、ということを知らなかったらしい。と、いうことは、やっぱりあの180度の態度の変換は、雛絡みと言うことは間違いなさそうだ。

「絶対あの高崎ちゃんあたりからバレたのよ、あの人そつがないから、絶対自分に服従する人間から情報を仕入れたに違いないわ!」
「で、つまり何なんだ?」

また幼馴染とかそこらへんの類か?とサンドイッチを頬張りながら聞く時政に、相良はキッとした強い視線をぶつけた。

「何言ってんの?皓さんに比べたら、高崎ちゃんなんて小者よ、小者!」
「へ?」
「皓さんは……あれはもう完全な魔王よ、帝王なの!普段はそうでもないくせに、雛が絡むと本当に大人気なくてえげつない攻撃をしかけてくるんだから!今まで雛に近づこうとした男共が、何人皓さんによって撃退されたことか……考えただけでも震えが来るわよ」
「皓ちゃん、優しいよ?」
「雛にだけね」

雛は本当に訳がわからないらしい。
でも困った顔で俺を見上げられても、俺も何が何だかさっぱりわからない。今全てをわかっているのは相良だけだろう。

「雛は会長のこと知ってるのか?」
「知ってる……って言われても」
「渡辺くん、渡辺くん」

何だ相良、今俺は雛に聞いてるんだぞ。
お前に聞いても埒が明かないからそうしているというのに。

「ハイ、思い出してみて」
「何を?」
「貴方の苗字は?」
「渡辺、だが?」
「雛の苗字は?」
「渡辺、だろう?」

何を言い出すんだ、いきなり。

「じゃあ、生徒会長さんのフルネームは何でしょう?」
「だから、渡辺……」

―――――渡辺?

ちょっと待て……俺は今猛烈に嫌な予感がするぞ。

「ハイ、当たり。生徒会長のフルネームは、『渡辺皓(こう)』です」
「……雛」
「?」
「生徒会長……いや、『渡辺皓』って―――――お前の」





「皓ちゃんは、私のお兄ちゃんだけど……?」





しかもウルトラシスコンよ、という相良の呟きを、俺は聞かなかったことにしてもいいだろうか。
雛。お前と付き合うのは、本当に……本当にスリリングで、飽きないぞ。
―――――ただ、もう少しくらい、平穏でもいいんじゃないかとも、思うけど。

あの魔王スマイルを思い出して、俺は何故か遠い世界に現実逃避したい気持ちでいっぱいだった。