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- - - 第7話 渡辺くんと大魔王 後編
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(「んっとね、それは……」)

雛から聞いたそれに間違いがなければ、俺は今日であの書類の山とおサラバできるはずだ。


* * * * *


「なんでお前等がここにいる!」
「お邪魔してます」

日曜日。
俺と時政、そして相良は揃いも揃って雛の家に遊びにきていた。
雛の家、つまりは会長の家だ。

俺達が訪ねてきてからほどなくして、2階にある自分の部屋から降りてきた会長は、俺達を見てしばらく固まった後、身体をわなわなと震わせながら、そう言ったのだった。

「何しに来やがった!出てけ!」
「まあ!皓ちゃん!そんなこと言っちゃダメでしょう!?」

俺達の為にアイスティーを淹れてくれていた雛のお母さん、ひよりさんがぷぅ、と膨れた顔をした。
ふわふわの柔らかい髪を背中の中央まで伸ばしたひよりさんは、本当に高校生の子持ちには見えない。と、言うかどう見ても20歳そこそこだ。ある意味、すごい。

そんな母親に、会長はうっ、と息を呑み、この上なく不機嫌そうな顔で、空いていたソファーに身を沈めた。
会長の横には雛のお父さん、啓さんが綺麗な微笑を浮かべている。啓さんはさらさらの黒髪の落ち着いた雰囲気の男性だが、ひよりさんと同じように、どう見ても外見が20代なのが不思議だ。
会長と雛は、どちらかと言えば外見は父親似で、性格が母親似なのかもしれない。

「雛がこんなに大勢友達を連れて来るなんて、初めてだな」
「そうだっけ?」
「そうだよ」

大学教授をしているという啓さんが、会長とは逆隣に座っていた娘の頭を優しく撫でた。
会長とは違って穏やかな性格らしい。俺は内心少し安心していた。
将来の敵はなるべくなら少ない方がいいに決まっている。

「違うわ、啓ちゃん。友達だけじゃないの。政宗くんは雛ちゃんの彼なのよ?」

ひよりさんに言われて、啓さんの視線がゆっくりと俺に向けられた。
でもその視線はとても柔らかい。最近会長の射抜くような視線ばかり受けていた俺にはオアシスだ。そう思いながら小さく会釈すると、彼は小さく微笑んだ。

「雛にも彼ができたんだな、よかったな」
「啓さんはそう思う?」
「思うよ、人を好きになることはいいことだよ」
「うん」

ほわわん。
効果音にするならそんな穏やかな雰囲気が、父、母、娘の間に流れた……一人を除いて。

「ふざけんなっ!」

それに耐えかねた会長が叫びながら立ち上がる。

「ダメだ!ダメだダメだダメだダメだっ!許さん!」
「ひより、皓は何を怒っているんだ?」
「さあ?雛ちゃんわかる?」
「知らない」

俺にも何となくこの家族の関係が飲み込めてきた気がする。
相良は慣れているのか、そ知らぬ顔でアイスティーを飲んでいて、時政は近くにあったクッションに顔を埋めて笑いを堪えていた。

「そいつは雛に近付くバイ菌だ!青カビだ!除去だ!」
「こら皓、人間がそんな菌なわけないだろう、無知をひけらかすんじゃない」

何だか突っ込みがアカデミックなのは、啓さんの専門がバイオテクノロジーだからだろうか。なるほど……雛の頭脳もこの人譲りなのかもしれないな。

「そうでもないよ、啓さん。最近は人食いバクテリアってのもあるし」
「いや、でも皓は彼そのものが菌だと言っているんだろう?」
「それは間違ってるね」
「間違っているよな?」

この父と娘は。
微妙だ……話展開は間違っていないが、気分的に微妙だ。
雛、お前はそこで菌がうんぬんじゃなくて、俺が菌扱いされていることに、怒ったりするべきなんじゃないのか。

「ま……まさむね……オレ……もうダメだ……面白すぎて……死ぬ」
「……黙って死んでおけ」

笑いを堪え過ぎて腹が痛くなったらしい時政は、必死で俺の腕を掴んでくるが、俺は放っておくことにした。
俺が雛と付き合い始めてからというもの、時政にとっては面白おかしい展開が続いているので、そりゃ満足だろう。

「雛はお前なんぞに渡さん!」
「いや、そう言われても」
「別れろ!今すぐ別れろ!さあ!別れろ!」

いいのか?会長……逆上のあまり、雛の前だと言うのに怒鳴り散らして。
雛の前では最高のお兄ちゃんでいなくちゃいけないんじゃなかったか?

「イヤだよ、マサムネと別れたりしないもん」
「……!雛ッ!お前は騙されてるんだ!たぶらかされているんだ!」

―――――いや、そんなことしてないし。

「騙されてなんていないよ。マサムネはそんなことできる程器用じゃないし、嘘もヘタ」

何だかひっかかりを感じるが、まぁいいか。

「ダメだ!こんな……こんな……こんな無愛想の権化みたいな男!ダメだ!」
「皓ちゃんわかってないなぁ、そこがいいんだよ。マニアックなツボをくすぐるんだよ♪」

ものすごーくひっかかりを感じるぞ、雛。
……マニアックなツボってなんだ!俺は珍獣か!?

「何でだ!何で俺じゃなくてこいつなんだ!雛!」
「だって好きだから」

……。

「だって、私はマサムネが大好きなんだもん」

うっ……。

俺の顔に瞬時に血が上るのと正反対に、会長はあんぐりと口を開けたまま、固まった。
更に笑いの発作に飲み込まれて呼吸困難寸前の時政の横で、一人優雅に成り行きを見守っていた相良が、ニヤリと嫌な笑いを浮かべて俺を見やる。

「男冥利につきるわね、渡辺君」
「……」
「何の飾りもない、盛大な愛の告白よね」
「……相良、お前楽しんでるだろ」
「当たり前じゃない」

ニッともう一度笑う相良の横では、ひよりさんが胸の前で両腕を組んで、感動したように娘を見つめていた。

「いいなぁ……雛ちゃん、純愛ね」

この人もどうしてこうずれているんだ。
外見通りの天然キャラだな、本当に。

「皓、雛がこう言っているんだ、ちゃんと認めてやりなさい」

妻と同じく娘の言葉に感心したような顔で、啓さんは息子の肩をポンと叩く。
それで我に返ったかのように、会長はみるみる顔を真っ赤にして、怒り狂いはじめた。

「だ、だ、だ、だ……」
「だ?」
「ダメだーーーーーーー!!俺は!俺様は!断じて!認めん!雛は……雛は……雛は……俺様のもんだ!」

もう自分でも何を言っているのか分かってないんだろう、学校でのあの落ち着いた優等生ぶりが嘘のようだ。
それだけ会長にとって、雛は特別な存在なんだろうな。
ちょっとばかり同情の気持ちが俺の中にわきあがったその時、ひゅんっという風を切るような音が聞こえて、またその場の空気が凍りついた。

「?」

何かと思って会長を見れば、壁際で怒り狂って手を振り上げたその形のまま、ぴくりとも動かない。
そしてその右のわき腹には、きらりと光る……。





―――――包丁!?





「皓ちゃん」

静かな声が響いて、俺は耳を疑った。
さっきまで夢見がちに娘を見つめていたはずの、ひよりさんが……包丁を数本握ったまま、にっこりと微笑んでいる。

「こーうちゃん」

呼び方は優しいのに、何だこの迫力は。

「は、はい」
「ダメでしょ?こーうちゃん。そんな我侭言っちゃダメでしょう?」

そう言いながらひよりさんは会長に近付くと、固まったままの会長の顔の右に、持っていた包丁をブスリと突き刺した。
……って、おい!
何だそれは!ものすごく怖いぞ!おい!

この展開に笑いが引っ込んだのか、時政も、そして相良でさえも声を失ってその様子を見つめていた。

「ねえ皓ちゃん?昔っから言ってるわよね?お兄ちゃんは?」
「……い、妹を守るもの」
「はい、正解♪」

そう笑いながら、何故左脇腹の壁にも包丁を!

「もう一回言うわね、お兄ちゃんは?」
「妹を……守るもの」
「妹の幸せは?」
「……あ、兄の幸せ」
「はい、大正解♪」

―――――インプリンティング。
いや俺はこんな形で実現したかったわけじゃなくて。
ただ……雛に聞いただけなんだ。家族の中で一番会長に影響力のあるのは誰かって。

(「んっとね、それは……ひよりさん。ひよりさんが家族では最強」)

最強って……文字通り最強だったのか!?
俺はただ、そのひよりさんを味方につければ、昔から妹を守れって言われている会長の暴走を止められるかもと思っただけなんだ!こんな恐ろしき展開を希望していたわけじゃないんだ!

「うん、やっぱり皓を説得するのは、ひよりが一番だよな」
「そうだねえ、やっぱりひよりさんだよね」

ほのぼのと笑ってる場合じゃないだろ!そこの父娘!
会長が青ざめてるぞ!
そしてあんなに嫌っていた俺に、懇願の視線を向けてるじゃないか!ありゃ間違いなくエマージェンシーコールだ!

「あ、あの……」
「なあに?」

くるりと振り向いたひよりさんは、満面の笑み。でもその奥に俺は「邪魔すんな、ウラ」という感情を何となく感じて、一瞬怯んだ。この人……もしかしなくても、楽しんでる……間違いない。

「あのもういいですから……」
「あら、政宗くんは皓ちゃんに反対されたまんまでいいの?それじゃ雛ちゃんが可哀想だわ」

待てよ。

これは。
もしかして、もしかしなくても。
……最大最高の、チャンスかも?

俺はちょっと考えて、壁に張り付いたままの会長へと視線を向けた。
―――――平穏な日々よ、カムバック。
―――――すみません、会長。

「そんなことはないと思います……会長だって俺達のこと、認めてくれますよ」
「そうかしら?」
「そうですよね?」

俺の策略に気付いたのか、会長はこれでもかと言う位怒り狂った目を俺に向けてきた。
―――――が。
俺の隣で包丁を持ったまま笑っている母親には、かなわないことをこの人は分かっているのだろう。
やがて……全てを諦めたかのように、会長はがっくりとうなだれた。

「……わかったよ」
「……」
「だけど……泣かせたら、どうなるかわかってるだろうな」
「……肝に命じます」
「泣かせるな、悲しませるな、傷つけるな」
「わかりました」

―――――やった。
―――――俺は勝った!

「もぉ、皓ちゃんったら最初からちゃんとそう言えばいいのにぃ」

ひよりさんが笑いながら、会長の周りに刺さっていた包丁を抜き去ると、会長はへなっとその場所に座り込んだ。
もしかして、いや、もしかしなくても……この家族の中で一番の常識人は……会長なのかもしれない。

「皓ちゃん」

へたり込んだ会長の前に、とててと雛が駆け寄って、力の抜けたその顔を覗き込んだ。

「……雛」
「あのね、私はマサムネが大好きなの」

雛、嬉しいがそんな会長の傷に塩を塗りこむようなことを今言わなくても。
会長もそう思ったんだろう、少し傷ついたように瞳を伏せた。

「でもね、皓ちゃんのことも好きよ?」
「……雛」
「だって皓ちゃんは私のお兄ちゃんだもん。ちょっと単純でおバカでシスコンだけど」

後半部分がフォローになってないぞ。





「よく言うでしょ?おバカな子ほど、可愛いって!」





撃沈。
―――――会長、撃沈。

……なんでだろう。
俺はこの後、会長とはすごく仲良くなれるような、そんな予感がした。


* * * * *


「じゃあ啓さんとひよりさんは、幼馴染だったんですか?」
「そうだ、生まれた時から隣同士だったらしい」

何だか俺と時政みたいな関係だな。
すっかり元の日常が戻ってきた生徒会室で、俺と会長は二人、書類に向かっていた。

「啓さんはすごい、あの人を妻にしている時点で、うちの家族最強だ」
「雛は、ひよりさんが最強だって言っていましたけど」
「バカ言え、ひよりさんのあの暴走をにっこり笑って一瞬で止められるのは啓さんだけだ。この間は敢えてあの人は止めなかったんだ、そうに決まってる!」

あの穏やかそうな人が、ねえ。
人は見かけによらないな……真の大魔王はあの人だったというわけか。

そんなことを考えていると、ふと思いついたかのように、会長が口を開いた。

「お前、とっとと雛と結婚しろ」
「この間までと言ってることが180度違うんですが」
「あの家族に対抗するためには、仲間が必要だ。あの家では常識人は生きていけない」

―――――まぁ、そんな感じだけどな。

「頑張ろうな!未来の義弟!あの家族をいつかギャフンと言わせてやろうな!」
「はあ?」
「渡辺同盟だ!W渡辺同盟の結成だ!」

何だか変なことになってしまったな。
まあ、また上履きにとろろいもを仕込まれるよりは、いいか。

そう思って俺は、もしかしたら近い将来義兄になるかもしれない人の手を、とりあえず握り返してみたのだった。