- - - 第11話 渡辺くんと冬の休日 |
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皓の陰謀で、死にそうに忙しい秋が過ぎ、季節は気付けば冬になっていた。
体育祭、文化祭、生徒総会、生徒会役員選挙。
そんな行事続きだったはずなのに、いまいち記憶が薄いのは、あまりにも忙しすぎたせいだろう。
皓の言ったとおり、気付いたら生徒会長にされていたしな。
引継ぎの時のあの皓の顔、死んでも忘れまい。
そんなこんなの怒涛の秋が終わった途端に期末テストがあり、それが片付いてようやく一息ついた時、俺は隣に住んでいる時政の母さんから、2枚のチケットを貰った。
(「政宗くん、彼女と行ってらっしゃいよ」)
と、言うか。
そもそも、何故時政の母さんが、俺に彼女ができたことを知っているのかというのが疑問だ。
時政……口の軽いヤツ……今度稽古にかこつけて、連続で胴に突きを決めてやる。
俺は自分の家族にも、彼女ができたことは言っていない。
もちろん雛がうちに来たこともない。
何故かと言われると、うちの両親と時政の両親に雛がいじられまくるのが、わかっているからだ。
そして。
それより何より。
雛とはどうみても相性の悪そうな人間が、うちには約一名存在するのだ。
あの厳格なじいさまと雛が鉢合わせした時の、反応を想像すると、頭が痛くなってくる。
しかしとりあえず、時政の母さんの好奇心……いや、配慮はありがたく受け取っておこうと思った。
* * * * *
(「たまには、どこかに出かけようか」)
(「どこかって?」)
(「時政の母さんに、映画のチケットを貰ったから、行かないか?」)
(「……何の映画?」)
(「アクション映画、みたいだな」)
(「うん、なら、行く」)
付き合いだして約半年にもなれば、何故雛がわざわざ映画の内容を聞いてきたのかくらい、わかるようになるものだ。
お前、恋愛映画だったら、確実に寝るとでも思ってたんだろう。
普通はそういう映画を見たがるのは、女の方じゃないのか?
事前に交わされたその会話を思い出しながら、俺は駅前の待ち合わせ場所で、雛を待っていた。
ああ見えて律儀なところのある雛は、めったに時間に遅れることはない。
遅れた場合、それは間違いなく、睡眠欲が強すぎて起きられなかった時だけだ。
駅前の噴水は綺麗ではあるが、冬になるとさすがに寒い。
待ち合わせ場所を少し考えればよかったと、光に反射して光る水を見ながら、ぼんやりと思った。
まぁ花火大会以来、二人で出かけるのはこれが初めてなわけだし。
時政には、付き合ってるならもっと頻繁にデートしろと言われるが、俺は前述のとおり秋は忙しかったし、部活もあったしで、時間がなかったというのが、正直なところではあった。
そして、これまた天然記念物かと言われることだが、俺も雛も未だに携帯電話を持っていない。
だから夜にお互いに電話をし合うこともないし、会話はほとんど学校でしかしていなかった。
時政や相良に二人で携帯を持て、と言われた時。
あまり興味がなく、でも持たないことへの執着もなかった俺と違って、そう言えば、雛は心底イヤそうに頬を膨らませていたな。
(「―――――携帯で起こされるのは、絶対にイヤ」)
それが雛の持論らしく、そもそも持つ気はないと言い切られてしまったので、俺も持つのをやめてしまった。
話や約束は、学校でも帰り道でもできる。
最悪自宅に電話をかけても、もう雛の両親もも知っていることだし、かまわないだろうと思った。
世間一般の付き合い方をする必要はない。
俺達は、俺達のペースでいけばそれでいい。
こう言うとまた時政に『のろけ』と言われてしまうのだろうけどな。
「マサムネ」
噴水の前で、思考にふけっていた俺を、背後から聞きなれた声が呼んだ。
振り返った俺は、自分でもわかるほど、穏やかに笑っていると―――――思った。
* * * * *
「指定席なんだねえ……じゃあ並ばなくてもいいんだ」
「そうだな、少し時間があるから、何か食べるか?」
「んっとね、今日は釜飯気分」
「……わかったわかった」
―――――釜飯気分。
よく考えると妙な言葉だと思いつつ、俺は雛の手を引いて歩き出した。
雛は嬉しそうに微笑んで、とてて……とついてくる。寒いからか、首に巻かれたバーバリーの紺色のマフラーに、顔の半分が埋もれてしまっているのが、なんとも可愛かった。
こうして見ると、かなり人とは違う俺達でも、普通の恋人同士に見えるんだろう。
誰もそのきっかけが、ウォーズマンのキン消しだったなんて、思うまい。
ちなみに雛の手によって、真っ黒に塗られたあのウォーズマンは、未だに俺の筆箱の中に入ったままだ。
「マサムネは、釜飯好き?」
「ああ」
「私、大好きなの!ちょっとおこげなところがおいしいよね」
ニコニコと雛は笑っている。
眠くはないらしいし、楽しんでくれている。そう思うと何だか嬉しかった。
例えそれが、これから食べるであろう釜飯への期待からくる笑顔だとしても、だ。
「今日は釜飯だ、釜飯がいいなぁって、夢の中で思ってたんだよね」
「夢にまで見るか」
「自慢じゃないけど、夢に出てきた食べ物は必ず食べてる気がする」
「……」
「前に、花火見に行った時の前の日も、りんごあめ食べる夢見たよ?」
「そりゃ予知夢っていうより、ただそれを実行してるだけじゃないのか?雛」
「うん、きっと夢はね、私の食べたい欲の具現化なんだよね」
眠っている時間が人より遥かに多い雛の見る夢に、俺は少しだけ興味をそそられた。
すよすよと眠っているあの時間、雛が何を考え、何を思っているのかを知りたかった。
「マサムネの夢は一回だけ見たかな」
「俺の夢?」
「そう、クラス替えして、隣の席になって、少ししてから見たの」
大通りに面した雑居ビルの2階にある釜飯屋に着いた俺は、ドアを開けて雛を中に入るように促した。
店は混雑しているようだったが、運良く二人席は空いていて、俺達は向かい合うように座った。
程なく水と、おしぼりが運ばれてきて、店員が注文を聞きに来る。
夢の話を中断して、じっとメニューに見入っていた雛は、結局五目釜飯を、俺はカニ釜飯を注文した。別にカニが大好物というわけでもないのだが、雛が最後まで迷っていたのがカニだったようなので、半分にすればいいかと思ったのだ。
「で?」
「……へ?」
注文を終えて、一息ついた後、俺は話の続きを促した。
しかし雛はすっかり釜飯に心が飛んでいたようだ、わけのわからない顔をしている。
「夢の話だ、さっきの」
「夢……ああ、夢ね」
雛はようやく合点がいったというように、小さく微笑んだ。
「マサムネがね、戦ってたんだよね」
「は?」
「あの時、隣の席だったけどほとんど話なんてしなかったでしょ?なのに何故か夢の中で、マサムネはリングの上で戦ってたんだよね」
「リング……?」
「プロレスの」
……雛。
何で大して親しくもなかった俺の夢が、プロレスなんだ、わけがわからないぞ。
思わず顔を歪める俺とは対照的に、雛はニコニコと笑って、どこか遠くをうっとりと見つめていた。
「ああ、戦ってるなあって……リングにはあれだよね、男の血と汗と涙がしみついてるんだよね。そこで渡辺くんは戦ってるんだ、すごいなあって思ったの」
「戦うって、誰と?」
「ロビンマスク」
……なんでだ。
「ロビンと戦ってるマサムネはね、何か黒い衣装着てたんだ。だからこれはウォーズマンなんだな、って」
「だから、いきなり俺にウォーズマンを?」
「おうっ!」
親指を立てるな!
―――――理由が。
俺とお前の、最初のきっかけが、そんなことなのか!雛……俺はちょっとだけ悲しいぞ。
お前、その時の夢の中で俺が黒い衣装じゃなかったら、見向きもしなかったんじゃないのか!?
「マサムネがラーメンマンじゃなくてよかったよ」
「……そうだな」
もう何も言うまい。
雛は黒くて無口ででっかいものが大好きだ。俺がそれにぴったり当てはまっただけのことだ、それでいいじゃないか。
実際問題、今雛と付き合ってるのは俺だ、ウォーズマンでもダース・ベイダーでもないんだ……微妙に空しく自分を慰めているだけの気がしなくもないけどな。
「おっきくて、黒くて、無口……か」
「……?」
「雛の理想のタイプ、だろ?」
「うん、そう」
ちょうどその時、盆にのった釜飯が運ばれてくる。
雛の顔がぱああっと輝いたのを見て、俺は苦笑した。
蓋を開けると、もわっと白い湯気が勢いよく立ち上ってくる。上にのっている具材と米を混ぜると、湯気はますます大きくなった。
「―――――でもね」
湯気の向こう、雛の顔はうっすらと笑っているように見える。
「今の理想は、おっきくて、黒くて、無口な―――――マサムネ、かな?」
―――――雛。
お前……心臓に悪いから、本当に。
顔に血が上るのが、自分でも分かった。不意打ちは本当に雛の得意技だ。
「だからね、マサムネ」
「……な、なんだ」
「だから」
ごまかすように、赤くなった顔を見られないように、俺の返事は、どもってしまう。
湯気が消えた向かいの雛は、これでもかというように、ほわほわと笑っている。
「カニ釜飯も、食べたいな♪」
そして―――――一気に俺の気分を落とすのも、得意だけどな。
どこまでも笑顔の雛に、振り回されっぱなしの俺は、今、かなり情けない男に違いなかった。
* * * * *
映画はそこそこ面白かった。
展開が早かったのもあって、雛も眠らなかったようだ。
少し薄暗くなり始めた街を、手を繋いで歩く。
雛の話では、ひよりさんが夕飯を俺の分も作って待っていてくれるらしい。
だから、二人でいられるのは、それまでの間だけだ。夕飯の時間に遅れでもしたら、俺は皓に殺されるだろう。
クリスマスが近いこともあって、どこもかしこもイルミネーションに彩られ、街はとても綺麗だった。
「あ、可愛い」
「え?」
とっ、と立ち止まった雛の視線の先には、黄色と藍色の小さなくまのぬいぐるみがちょこんと座っていた。
手を伸ばして、ちょいちょい、とくまの頭を突っつく雛に、俺は苦笑した。
―――――やっぱりこういうところもあるんだな。
可愛い、の対象がまたロビンマスクだの、デカレンジャーだったら、どうしようかと思ったぞ。
クリスマスには何か贈ろうと密かに思っていた俺は、心の底から安心した。
「買っちゃおうかな……」
「買うのか?」
「うん、お安いし」
小さなぬいぐるみだ。二つ合わせても千円なら、確かにお買い得だな。
「気に入ったなら、俺が買ってやろうか」
「……え?」
「安いしな」
「だ、ダメだよ、自分で買うよ?」
珍しく雛はうろたえたように、俺を見上げてくる。
世の中には、そこらの知らないオヤジとデートするだけで、何十万もするブランドバッグを買ってもらうような女子高生もいるというのに、その辺り、雛は本当につつましい性分だ。
俺はそんな雛に微笑むと、妥協案を提案した。
「じゃあこっちを俺が買う。そっちの黄色いのを雛が買えばいい」
「でも……」
「そしてこっちは俺から雛にプレゼントだ。それでいいだろ?」
「だって、今日はクリスマスでもなんでもないのに?」
マフラーに埋もれながら、雛が首を傾げる。
背の高い俺から見ると、雛をどうしても見下ろす形になる。だからますますマフラーに埋まっているように見えてしまうのかもしれない。
「そうだな、弁当の礼だ」
「お弁当?」
「そう、いつも作ってくれているから。ならいいだろう?」
「……うーん」
雛が腕を組んで本気で考え出したので、俺はそれを横目にとっととそれをレジへ持っていってしまった。
あのポーズをし出すと、雛は長いのだ。その前に目的のモノは買ってしまえばいい。
(「渡辺君も、雛の扱いに慣れてきたわよね」)
相良が苦笑いしているのが目に浮かぶようだが、俺はそれを不快とは思わなかった。
案の定、会計を済ませ戻ってきても、雛は同じポーズで固まっていて、俺は苦笑するしかない。
「ほら、雛」
「へ?……あ、あれ?」
「お前がうんうん唸っている間に買ったぞ」
「唸ってなんてないもん!」
「いや、唸ってた」
ぷぅっと膨れた雛にかまわず、俺はまた雛の手を引いて歩き出した。
雛は俺から手渡されたくまのぬいぐるみをじっと見つめている。綺麗な透明な包装は、外からもその二匹のくまが良く見えた。
「マサムネ」
「何だ?」
「……ありがと」
ほわんと笑う雛に、俺は苦笑した。
安上がりというかなんと言うか、雛の機嫌バロメータは気まぐれで、いつもはよくわからない方が多いのだが、今日はちゃんと読みが当たったらしい。
「うん……名前決めた」
「名前?そのぬいぐるみのか?」
「うん、決めたよ」
雛は嬉しそうに、俺と繋いでいない方の手で、透明な袋を上げたり下げたりしている。
しかしあれか、ぬいぐるみに名前なんて考えるもんなんだな。
俺は男だし、一人っ子なので、そういう気持ちは正直よくわからなかった。
「こっちの、黄色い子は、マサコ」
「……マサコ?」
えらく渋い名前だな。
そう思って、少し眉を寄せている俺に気付かず、雛は笑顔で続けた。
「こっちの、紺色の子は、ムネオ」
「……」
オイ。
……ムネオって、お前。
「合わせるとマサムネ!」
「……」
「うん、いい名前だよね!」
雛のネーミングセンスに期待した俺が馬鹿だった。
マサコはともかく、ムネオはないだろ、ムネオは。
しかしそれを手にした雛があんまり嬉しそうなので、俺はため息を一つ付くと、また歩き出した。
行きかう人も、俺達も、コートを着込んで白い息を吐いている。
でも何故だろう、街のイルミネーションのせいなのか、みんなどこか幸せそうに見えた。
俺達もそう、見えるだろうか?
―――――うん。
少なくとも、俺は今、何だかとても満ち足りた気持ちだった。
「……マサムネ?」
俺はちょっと立ち止まると、寒さと興奮で少し赤くなっていた雛のその鼻先に、軽く口付けた。
そんなことが、一瞬とはいえ道端で出来るようになった自分に、少しだけ戸惑うけれど。
でも、二人の繋いだ手だけが、とても暖かかったから。
それは幸せな―――――冬の休日。
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