W渡辺
- - - 第12話 渡辺くんとお祖父さん
[ 第11話 渡辺くんと冬の休日 | W渡辺Top | 第13話 渡辺くんと赤いリボン 前編 ]

穏やかそうで腹黒い父、天然そうで過激な母、シスコン過多の兄、天才だが眠りすぎの妹。
そんな構成の渡辺家もあれば、そうでない渡辺家ももちろんある。

俺と雛の家の大きな違い。
それは、俺の家の一番の権力者がじいさまであることだ。

俺のじいさまは、とにかく礼儀に厳しい。
性格も、元々剣道の師範をしているだけあって、一本気で真面目極まりない。
少しでもだらしなくしていると、容赦なく竹刀が振ってくる。
そんな環境で育った俺が、こんな性格になるのは、致し方ないことだろう。

「厳しいってレベルじゃないだろ、あれは」
「じゃあ何だ」
「あれはな、軍隊っていうんだ。ったく、いつの時代に生きてんだ、あのじいさん」

時政が顔を歪めるのを、雛と相良はきょとんとした顔で見つめていた。
今日は久々に部活がないので、4人でお茶をして帰ることになったのだ。

「あのじいさんにお茶して帰るなんてことバレたら、竹刀で尻を叩かれて、1時間以上説教食らうのがオチだぜ、ほんと」
「ってことは真辺くんはされたことがあるわけね?」
「言いたかないが、何っ度もある!」

威張って言うことか。
しかし確かに時政は良くじいさまに怒られる。その頻度は俺の数倍だ。
勝手知ったる家とはいえ、くつろいで、菓子を食い散らかし、腹を出して寝てることとかが多いからな。

「それじゃ、渡辺くんのお父さんとかもすっごく厳格だったりするの?」
「いや……」
「それがなぁ……あれは厳しくされすぎた反動なんだろうな。政宗の親父さんは、まるで観音のような人なんだ」

観音って言うな、人の親を。

「いっつもニコニコ笑っててさ、穏やかな後光がさしててさ。あれは悟りの境地ってやつに到達したんだとオレは思うね」
「……何だそれは」
「だから、じいさまの言葉を……見ざる聞かざる言わざるで、サラッと流せるようになったってこと」

ある意味すげえよ、と大げさに時政は言う。
確かに父さんは……穏やかな人だ。じいさまに怒られたことはあっても、父さんに怒られたことはない……と、いうかあの人が怒った顔など見たこともない。

「しかも政宗の母さんも、これまた穏やかオーラ満載の人でな。親父さんが観音なら、あれは菩薩だな、菩薩」

だから、菩薩って言うな、人の親を。
昔から知っているから仕方ないとは思うが、もう少し礼儀ってものを学べ、お前は。

「オレさ、前々からずっと不思議だったんだけど、どうしてあんな観音と菩薩な人達が、オレの親と親友同士なのかなぁって思うんだよな……ウチの親ははっきり言って、そういう涅槃の領域とは無縁な性格してるからさぁ」
「そうなの?」
「一言で言えば、ガサツ。超テキトーに生きてる」

息子ほったらかして、夫婦で海外旅行に行くこと数知れず。
その間ずっとカップ麺をすすっていた時政の姿を、幼心に俺は覚えていたりする。

そんなこんなで、時政の両親も、俺のじいさまにはすごぶる評判が悪い。だがそれを気にもせず、ずかずかとやってきては俺の両親と楽し気に話しているあたり、神経が普通より図太くできているのかもしれない。

「まぁ人ってさ、自分にないものを求めるっていうからな……ありなのかもしれねえけどさ」

確かに、俺と時政にもそういった共通点はあまり見当たらない。
それでも幼馴染で、腐れ縁で、悪友なのは、どこかに通じるものを感じているからなのだろう。
そんなことをぼんやりと考えていた俺の耳に、相良のとんでもない発言が飛び込んできたのは、その直後だった。

「だったら将来大変ね、雛」
「……何が?」
「だってその偏屈じじいが、将来義理のお祖父さんになるかもしれないんでしょ?」

お、お前は……ッ!
いきなり何を言い出すんだ!相良ッ!

「おおう!そうか、そうなるのかあ」

雛ッ!お前もあっさり受け入れるな!その発言を!

「大丈夫大丈夫、あのじいさまにいじめられたら、オレんちに逃げてきても全然オッケーだからな?雛ちゃんなら大歓迎」
「時政ッ!」
「だって可哀相じゃんか、雛ちゃんがあのじいさまに怒鳴られてもお前いいのかよ」
「何でそういう話になるんだ!」

大体仮にそんな話になったとしても、何で俺の家での同居が決まってるんだ。

「でも便利よね?雛がお嫁に行っても、渡辺くんが婿養子に来ても、苗字変わんないじゃない?」
「そうだよな、どっちも渡辺だもんな」
「ミドルネームでいいから、ベイダーって入れたいんだけどなぁ……」

却下だ!
しかし、うっとりした顔で遠くを見つめだした雛に、俺の鋭い睨みは通用しなかった。
何だってお前はそんなにもベイダーが好きなんだ。

それに婿養子は勘弁してくれ。
そんなことになったら、俺は一生、皓にいびり倒される気がして仕方がない。

「ま、政宗が婿養子なんて、あの厳格なじいさまが許すわけないと思うけどな」
「そーなの?」
「だって未だに男子たるもの、だの、婦女子たるもの、だの言ってるんだぜ?女の子はみんなセーラー服に三つ編みでなくちゃダメだとか思ってるよな、ありゃ」

ひどい言われようだが、あながち間違いでもないので俺は否定をしなかった。

そう、その時は所詮話のネタだと思っていたのだ。
まさかその数日後に、そのじいさまと雛が鉢合わせをするだなんて、考えもしていなかったのだ。


* * * * *


その日、部活を終えて家に帰った俺の目に、信じられない光景が飛び込んできた。

「あら、お帰りなさい政宗」
「政宗くん、お帰りなさーい」
「よぉ、政宗」

日誌を提出に行った俺より早く帰った時政、そして時政の母さん、俺の母さんがいるのは分かる、いつものことだ。
だが、その時政の隣にちょこんと座っているのは、認めたくはないが……間違いなく雛だった。

「おかえり、マサムネ」
「……なんで雛がここにいる!」

俺は雛ではなく、時政を睨み付けた。
その俺の剣幕に、時政はブンブンと首を振る。

「知らねえよ、オレが帰った時にはいたんだよ」
「嘘を付くな!」
「嘘じゃねえってば」

なぁ、雛ちゃんと時政が同意を求めると、雛はコクリと頷いた。
その仕草に、母親二人が何故かうっとりとした顔をする。

「ああんっ!もうっ!可愛いっ!」

時政の母さんにぎゅうと抱きしめられ、雛の口から「うげぇ」という言葉が漏れた。大概この人のスキンシップは過多傾向なのだ。

「ほんとに可愛いわ……政宗にこんな彼女ができるなんて、嬉しいわ」
「母さん!」
「いいなぁ〜トキもこういう娘を見つけてね?そしたら将来娘と二人でショッピングとかしたいもん」
「そうよね、やっぱり女の子は夢よね」
「ねえ?」

勝手なことを抜かすな!母親達!
可哀想に、雛が時政の母さんの腕力のせいで窒息寸前じゃないか!

俺はとりあえずゼハゼハ言い始めた雛を救出して、自分の身体の背後に回した。
このままではまずい。とにかく雛がじいさまと会う前に連れ出さなくては。

「雛ちゃん、お夕飯食べていってくれるでしょ?」
「母さん!」
「あら、政宗は向こうのお宅で時々ごちそうになってるんでしょ」
「……いや、それは」

夕飯の時間までに返さないと、皓がうるさいってだけの話で。
その流れでたまたま夕飯を一緒に食べることがあるってだけなんだ。

「だったらねえ?食べていってくれるわよね?」
「はぁ……」
「せっかく偶然とはいえ会えたんだもの。いろいろお話しましょう?」

そうだ、そもそも一体何処でどうしたら、ここに雛がいるって事態になるんだ。
そう思った俺を察したのか、クイクイ、と雛が後ろから俺の学ランの袖を引っ張った。

「あのね、眠くって」
「……は?」
「図書室で寝てたんだけど、時間になって図書委員に追い出されたの。でも眠くって」
「それで?」
「ふらふらしてたみたい……一応家の方向には向かってたんだけど」

お前な……危ないから、そういう時は俺の部活が終わるのを待つか、皓に電話しろと言っただろう。
俺の眉間に深い皺が3本寄るのを見て、雛はしゅんとしてしまう。

「でね、いつもマサムネと別れるところで、電柱にぶつかっちゃって」
「はあ?」
「ほら」

おろしている前髪を、雛がぺろん、とめくると、そこは赤くなり少しはれていた。
この間も寝ぼけながら帰って、植え込みに突っ込んだ雛は、手足に無数の小さな傷を作っていた。
皓の怒った顔が眼に浮かぶ気がする。アイツなら、その植え込みを燃やしかねん。

「痛かった……」
「雛……あのな」
「目が覚めた」
「そりゃな……」
「そしたらその時ね、時政くんのおかーさんが通りかかって、手当てするからっておうちに呼んでくれたの」

何だかもうそこで既に話が読めたぞ。
時政は口が軽い。そのせいで時政の母さんは俺に彼女がいることも、その名前も知っている。
自分では言っていないのに、母さんも父さんも俺に彼女がいることを知ってたのは、そこから情報が流れたからにちがいない。

時政の家で、名前を聞かれた雛は普通に名乗っただろう。
うちの学校の制服でその名前。
……バレるに決まってる。

「もういい、大体わかった」
「へ?」
「母さん、俺、雛を送ってくるから」

もう雛がここにいる経緯やら、両親にバレたことはこの際どうでもいい。
回避すべきは、じいさまと雛の接触だ。

「ダメよ、雛ちゃんは今日はうちでお夕飯を食べるのよ?」
「母さん……俺は雛とじいさまを会わせたくないんだ」
「あら、どうして?」
「それは……」

相性が悪いとか、そういう以前に。
あの超絶寝起きのいいじいさまと、電柱にぶつかるくらい寝起きの悪い雛が、合うわけがない。
そう思っていたのに―――――。





「ワシがどうかしたのか」





何故現れるんだ……じいさま。
「男子厨房に入らず」とか言って、いつもはこんな台所のテーブルには近づきもしないくせに。

「帰っておったのか、政宗」
「はい……ただいま帰りました」
「そしてまた来たのか、時政」
「かーさんが来てたもんで」
「遠慮のない男だな、両親そっくりじゃ」

イヤミたらたらで言うじいさまに、時政の母さんはそ知らぬ顔をしている。もう言われることも慣れっこなのだ。
じいさまはふん、と顔をしかめると、俺の後ろにいた雛に気付いたらしい。

「なんじゃ、客か?」
「え……ええ……これはその」
「政宗の彼女の雛ちゃんですよ、お義父さん」

―――――母さん。
何故言う……何故そこで馬鹿正直に言ってしまうんだ。
見ろ……母さんの言葉に、じいさんが目をむいているじゃないか。

「政宗の彼女……?お前、いつの間に婦女子と交際などを」
「いえ……その」
「マサムネ、マサムネ」

俺が必死に考えているその後ろから、雛が強く袖を引く。
雛、ああ頼むから、ちょっとだけ黙っててくれ―――――この人を敵に回すと、本当にやっかいなんだ。





「すごいね!本家本元の日本のジイって感じだね!」
「……」





俺だけではなく、時政も同じように絶句した。
もちろん、言われた本人であるじいさまも、ぽかんとしている。

「うわあ、ほんとなんだ……これぞジイだよね」
「雛……」

―――――ジイって。
お前、ジイって。
その呼び名は一体。

俺がそんなことを思っていると、じいさまの顔が急激に赤くなった。
ヤバイ、これは……ヤバイ。
これは怒鳴り、竹刀を振り回す直前の顔だ。





「……この……たわけがっっっ!!」





キーン!と耳元で響くその声は、じいさまの怒りがMAXに達したことを意味する。
それなのに、それだというのに。

「タワケ?」
「ひ、雛……」
「田を分ける?多きを分ける?え?」

考えるな!そこでその言葉の意味を考えるな、雛!
っていうかあからさまに怒鳴られてるのに、なんでお前そんなに動じないんだ!

「たわけの意味も分からんのか、このバカ娘が!」
「バカ……?」
「いや、雛ちゃん天才なんだけど……常に学年一位……」
「うるさいっ!黙らんか!時政!」

いらぬツッコミを入れた時政は、じいさまに一喝されたあげく、竹刀でバシッと叩かれた。。
時政……お前って奴は……本当に学習能力に欠けた奴だな。
その一言が余計だと、何故気付かない。

しかし雛に対して『バカ娘』とは……知らないとはいえ、じいさまもかなり度胸のある人だ。
そんなこと言われたこともなかったのだろう、本人は一瞬呆然としたようだが。
今はどうしてだろう……目が怖い。

―――――もしかしなくても、雛のプライドに障ったんじゃないだろうか。

俺のその心の葛藤に気付きもせず、じいさまは、雛を指差しながら、今度は俺に怒鳴った。

「こんな礼儀の欠片も知らんような娘と付き合うことは断じて許さんぞ!政宗!」

と、言うか。
真っ赤な顔で怒鳴っているじいさまより、指差されている雛の方が、怖い。
そう思って内心でかなり動揺している俺をよそに、雛は静かに口を開いた。

「―――――っていうか、私もジイに挨拶の一つもされてないんだけど……それは礼儀知らずじゃないの?」
「何を言う!目上の者に対して先に挨拶するのは当たり前だろうが!」
「でも、いきなり初対面の人間に怒鳴るのは、礼儀知らずじゃないの?」
「……ぬっ」
「いきなり怒鳴られてるのに、挨拶する人なんて、いないよ?」
「……そ、それはそうじゃが」
「それに、人を指差したりしちゃ、いけないんでしょ?」
「……う」

―――――あれ?
何だ、この展開は。
あのじいさまが……質実剛健を絵に描いたようなじいさまが……雛に説教されているように見えるのは、気のせいだろうか。

「『ごめんなさい』、は?」
「ぬぅ……」





「―――――『ごめんなさい』は?」





―――――雛、お前……怖いぞ、そのダメ押し。
笑顔だけにますます怖い。

よくよく見れば、時政とその母親が、期待に満ちた瞳で雛を見つめている。
それもそうだろう。俺もあのじいさまが、他人に負けるところなど見たことがない。
俺の両親は、負けてもいないが、勝ってもいない。完全に流す技術を習得しているだけだ。

じいさまはしばらく葛藤しているようだったが、どうにも分が悪いことには気付いているようだ。

「何だ……本当に昔ながらの日本のおじーさんだと思ったのに、単なる怒鳴りジジイなんだね」
「……うう」
「礼儀なんてないんだね、うわべだけなんだ」
「くぅ……」
「最近は高齢者でも日本の心を忘れちゃうんだ……見かけだけなんだ」
「……そんなことは」
「若者に怒鳴るけど、自分はどうなのかな。そんなにご立派な人間なのかな。どこら辺がどうご立派なのか説明して欲しいなぁ。説明責任があるよね、やっぱり。どっかの首相みたいに説明もしないでのらりくらりとなんて、しないよね」
「……クッ」

完全に目が座っている、気がする。
いや、じいさま、無理だから。
雛は確かにちょっとばかり非常識な部分があるが、基本的に賢いんだ。

ああ言えば、こう言う。
天然なのか、計算なのか。
雛と一緒にいる時間が増える度に、俺の中で膨れ上がっていく疑問だ。

いや、基本的には天然なんだと思う。
眠い時は特に、何も考えてなさそうだし。

ただ、一度そのスイッチが入れ替わると、とんでもなくやっかいな存在に成り果てる……それだけで。
って……俺、何でそこまで分かってるのに雛と付き合っているんだろう。
―――――惚れた弱味、ってやつか?

「す……」
「す?」
「……す……す……」
「すす?」

じいさまは今、必死に自分のプライドと戦っている。
その返事を待つ雛は、にっこりと笑っている。既に勝敗は決しているな。
ちらりと視線を動かすと、未だ期待で満ち満ちている時政母子と、穏やかに事態を見守っている母さんがいた。そんな俺に気付いたのか、母さんがいつもの柔らかな笑みを向けてくる。

―――――菩薩。

……あながち間違いではないかもしれない。
きっとここに父さんがいても、同じ顔をしていた気がする。

「……す……」
「す?」

その問答に、ついにじいさまが折れた。

「すまんかった!!!!!これでいいんじゃろうがっ!!!!!」

もうやけくそという感じで叫ぶじいさまが、微妙に可哀想に思えなくもなかったが、それを聞いた雛は、完全なる勝利者の笑みで答えた。

「はい、よくできました♪」

雛は、俺の横を通り過ぎ、何故かじいさまへ近付いていく。
そして自らのプライドと格闘して疲れたのか、ため息をついて俯いているじいさまの肩に手を置いた。
それを不信に思ったじいさまが、ふっと顔をあげると同時に―――――。





(―――――え)





雛の口唇が、柔らかにじいさまの頬に触れた。

呆然とする俺と、じいさまと、時政と。
きゃ、という声と共に目を見開いた時政の母さんと。
あら、という声と共に目を細めた母さんと。

そんな俺達をよそに、雛はじいさまのその皺の寄った顔を、見上げながら。
俺の好きな、そしてものすごく弱い、そのほわっとした笑顔でもう一度、言った。





「―――――よく、できました♪」





俺とじいさまは、やっぱり血の繋がりがあるのだろうか。
瞬時に赤くなったまま、じいさまはその日、雛や時政達が帰った後も、一言も口を聞くことができなかった。


* * * * *


「王手」
「あ!ま、待ったじゃ!」
「待ったなしだよ、ジイ」

それからしばらくして、何故か当然のように、うちの縁側で将棋をしている二人をよく見かけるようになる。
そう言えば……うちの学長とも囲碁仲間だったっけな……お前。

(知らなかったの?)
(雛、すっごく年寄り受けがいいのよ?)
(密かにジジイキラーって言われてたもん、中学の時)

後から聞いた相良の言葉に、時政が爆笑したのは言うまでもない。

海外では、それは挨拶なのだと、雛は軽く言う。
仲良くしてくれるのはいい。
だがもう二度と「ほっぺにチュー」はしてくれるなよ、と少し不機嫌に二人を見守る、根っからの日本人の俺が、そこにいた。