W渡辺
- - - 第13話 渡辺くんと赤いリボン 前編
[ 第12話 渡辺くんとお祖父さん | W渡辺Top | 第13話 渡辺くんと赤いリボン 後編 ]

放課後の校舎裏。
呼び出した女子と、呼び出された男子。
何が行われるのかなんて、いくらその手のことに鈍い俺でも分かる。

「あたし、渡辺先輩のことが好きです」

どうやら後輩らしい目の前の彼女が、頬を赤くしながら言う。
あまりにも予想通りなその展開に、内心げんなりしつつも、俺は淡々と答えた。

「悪いが、俺には……」
「彼女がいる、ですか?」

思わず目を見開いた俺に、彼女は少し笑った。

「知ってます、もちろん」
「……だったら」
「知ってても、好きなものは好きなんだから、仕方ないんです」

ゆらり、と彼女の頭のリボンが風に揺れる。
何の飾り気もない、真っ赤なリボン。

「渡辺、雛さん」
「……」
「天才眠り姫、ですよね?」
「ああ」
「渡辺先輩は、彼女のどこを好きになったんですか?」

何だかよく聞かれることなのだが、そんなこと言われても、答えようがない。
雛が雛であるところが好きになったとしか、言えない。
そんな俺の心を察したのか、彼女はまたふわりと笑う。

「あたしは、顔です」
「……は?」
「あたしは渡辺先輩の顔が好き」
「……顔って」
「もちろん、今は全部好きです。大好きです」

だから、と言って、彼女は頭に結んでいたそのリボンを外した。
顔が好き、だなんてはっきり言われたのが初めてだった俺は、彼女の言葉に思考がついて行かない。
そんな呆然としていた俺の腕に、彼女はそのリボンをキュッと結んだ。

「諦めません」
「え?」
「あたし絶対に、渡辺雛さんに勝ちます。そのリボンは先輩がそれまで預かっててくださいね」
「おい、ちょっと……」

最後まで聞くことなく、彼女はくるりと俺に背を向けた。
タタタ、と軽い足取りで走り出し、少し行ったところで振り返る。

「あたし、1年の柳川です!」

それだけ言うと、今度は振り返らず、彼女の姿は俺の視界から消えていた。
残されたのは、伸ばしかけた俺の手と、その腕に結ばれた赤いリボンだけだった。


* * * * *


「それで、それが例のブツ?」
「ああ……どうしろって言うんだ、これ」

やましいことをしたわけではないし、変に誤解をされるのもイヤなので、俺は昨日の放課後の出来事を雛に話した。
その周りにいつもの二人がいたのは、まぁ仕方がない。
時政は俺が差し出したリボンを手に取り、マジマジと見つめている。

しかし雛は淡々とその話を聞いた後、予想と違う感心したような顔で、俺を見上げた。

「マサムネって……モテるんだねえ」
「……」

雛……この話の後の反応として、それは確実に間違っているぞ。
宣戦布告されたのは俺だけじゃない、お前もなんだぞ、少しは気にしろ。

「1年の柳川って、陸上部じゃなかったかしら」
「相良……知ってるのか?」
「何か春頃に、新入生で可愛い子がいるって男子が騒いでたような気がするけど?」

その相良の言葉に、時政がポン、と手を叩いた。

「ああ!そうだ!話題になってた!」
「……そうなのか?」
「政宗、お前さ……本当に自分の関心のないことには疎いよな。雛ちゃんのこと笑えねえぞ?」

ほっといてくれ。
大体春先は、移動教室の度に雛の世話におわれて、他のことなんて気にしている余裕がなかったんだよ。
そう思いながら雛を見ると、既に弁当に集中していて、俺達の会話など聞いていないようだった。

そうだな、うん、今日の椎茸の肉詰めもうまいぞ。
そう言ってやると、雛は嬉しそうに笑う。
これも食べてね、と俺の弁当箱の中の、セロリの葉入り玉子焼きを指差して、また笑う。

そんな俺達を、相良と時政はげんなりとした顔で見つめて言った。

「もう少し危機感持ってもいいんじゃない?二人とも。そんな熟年夫婦みたいな会話してないで」
「危機感って……?」
「だから、その女は渡辺君に横恋慕してるんでしょ?少しは不安になりなさいよ、雛」
「ん〜……でも私、その人に興味ないから」

全ての物事における雛の判断基準は絶対的で、揺らがない。
興味がわくのか、そうでないのか。
赤いリボンの彼女は、雛の中では興味のない方へ振り分けられたようだ。

「ま、政宗が浮気することはないと思うけどな」
「……当たり前だ」

自分で言うのもなんだが、これでも俺は一途だと思う。
基本的にあまり女子に興味はないし、雛と相良以外とは、必要以上に話すこともない。

「でもその子、雛に勝つって、何で勝つつもりなのかしら?」
「そうだよなぁ?まず勉強は絶対無理だろ?陸上部って言うからにゃ、足の速さとかか?」

相良と時政は揃って首を傾げた。
だが思いっきり帰宅部の雛と、陸上部の彼女が足の速さで競って勝っても、それは勝負とはいえないような気がするが。
そう思いつつ、玉子焼きを口に運ぶ。
ちゃんとセロリの味がして、だしの風味とマッチしていて、とても美味い。

「おいしい?」
「ん?ああ、美味いな」
「うん」

本当に眼中にないのか、雛は赤いリボンの彼女のことなどよりも、俺が今口にしている玉子焼きの感想の方が気になるらしい。
美味いという俺の答えに、嬉しそうに笑う。
こういう時、母さんや時政の母さんが、可愛い可愛いと雛を抱きしめる気持ちがわかるな。
何というか、愛玩動物系の可愛さだ。無条件に可愛いってヤツだ。具体的に言うなら、子犬やら子猫を見た時の気持ちに似ている。
その気持ちは俺だけではなく、相良や時政にとっても同じだったらしく、二人とも目を細めて笑っていた。

「まぁ大丈夫よ、だって雛だもん」
「……?何が?ユリ」
「そだな、雛ちゃんだもんな」
「……だから、何が?時政くん?」
「まぁな」
「……マサムネまで、何なの〜!?」

気にするのはやめておこう。
とにかく断ったんだし、このリボンは次に見かけた時にでも返せばいい。
俺はそんな楽天的なことを考えつつ、少しずつではあるが、春の気配が近づいている窓の外を見た。
もう少しすれば、また屋上で弁当を食べるようになるだろうか、とぼんやり思いながら。


* * * * *


……が。
現実はそう甘くはなかったらしい。
放課後、防具をつけて打ち込みを始めていた俺のところにやってきたのは、意外な客だった。

「ありゃ?『しんしん』じゃないか」
「アンタが『しんしん』って呼ぶな!」

高崎少年は時政のからかうような言葉に、ひどく不機嫌そうに顔を歪めた。
水泳部のパーカーを羽織っているものの、下は素足のままだ。きっと水着のままなのだろう。
今の時期、水泳部は温水プールを使っているはずなのに、この剣道場まで何の用なのか。俺は首を傾げた。

「おい、渡辺政宗!」
「……一応俺は先輩のはずだが……呼び捨てか?」
「どうでもいいだろ、そんなこと!」

いや、絶対にどうでもよくないぞ、少年。
下僕で奴隷な身の上を可哀相だとは思うが、フルネームで呼び捨ては感心しない。

「話があんだよ、ちょっと来いよ」
「……見ての通り、部活中なんだが」
「オレだって部活中だよ、見りゃわかるだろ!?」

拗ねたような顔で叫ぶ高崎少年に、俺は一つため息をつきながら、同学年の部活仲間に一言言い置いて、道場を出た。
時政に頼まなかったのは、こいつは絶対に着いて来ると思ったからで、実際面白そうな顔で俺の後を追うように道場から出て来た。

「……で?」

道場の裏手で足を止め、俺は腕を組んで話を促した。
外に出たからか、高崎少年は少し寒そうだ。

「お前、柳川に告白されただろ?」
「……柳川?誰だそれ」
「赤いリボンの彼女だろ、政宗」

そう言えば、そうだった。
雛に話してしまったことで、妙にすっきりしていた俺は、何もかもが頭から抜け落ちてしまっていた。

「何で『しんしん』がリボンちゃんのことを知ってるんだ?」
「柳川は同じクラスで、おまけに席も隣だから」
「……そりゃまた、偶然」

どうでもいいが、いつの間にか『リボンちゃん』扱いなのか、時政。
高崎少年は何故か怒ったような顔をして、眉を顰めた俺を見つめた。

「お前、もちろん断ったんだろうな?」
「……当たり前だろう」
「本当か?柳川は全然諦めた感じじゃなかったぞ?」
「断ったのに、諦めないって言われただけだ」
「浮気とかしないだろうな!?」
「するわけないだろう」

俺の気持ちを何だと思ってるんだ。
大体言い方は悪いが、あれだけ手のかかる厄介な性格の雛と付き合ってるってことは、それだけ俺が雛に惚れてるってことなんだぞ。
なのになんで浮気なんてしなくちゃならんのだ。

「おいおい、『しんしん』」
「だからアンタが『しんしん』って呼ぶなよ!」

時政が苦笑しながら、ぽんぽんと高崎少年の肩を叩く。
さすが水泳をやっているだけあって、細身ではあるが、肩幅は立派だ。

「お前としたらさ、政宗がリボンちゃんと浮気してくれた方が都合いいんじゃねえの?」
「なんでだよ」
「お前が入り込む隙ができるってことだろ?なのになんでわざわざ親切に心配してんだ?」

確かに時政の言うことにも一理ある。
だが、言われた当の本人は、心底嫌そうに顔を歪めた。

「ふざけんなよ、オレはそんな汚いやり方は嫌いだ!」
「へ?」
「大体そんなことしたら泣くのは雛姉じゃないか!雛姉を泣かせたりしたら、絶対に許さないからな!」

心からそう思っているのだろう。
俺を睨み付けるその顔は、真剣だった。

―――――ああ。

何だろう。今俺にはこの少年が、雛と同じような愛玩動物に見える。
言ったら怒られるだろうが、何て素直で、何て可愛らしいことだろう。
雛や皓がこの少年をおもちゃにしつつ、可愛がっている理由が、今になって俺はようやく理解できた気がした。

「何だよ!何笑ってんだよ!」
「いや、可愛いなぁ、『しんしん』」
「だから『しんしん』って呼ぶな!」

時政は抑え切れなかったらしく、その頭を抱え込んで撫でさすっている。事情を知らない人間が見れば、微妙に怪しい構図だ。

「いいか!絶対柳川になんて靡いたら、許さないからな!」
「言われなくても、靡いたりしないさ」
「本当だな!?絶対だな!?」
「お前、俺があの皓とやりあってまで雛と付き合ってるのに、まだ疑うのか?」
「……」

皓の名前が出た途端、黙り込むあたり、よっぽどひどい目にあってるんだろう。
そうだな……皓だったら、この状況を思いっきり利用して雛を取り戻そうとするんだろうな。間違いない、あいつはそういう男だ。
心配して怒鳴り込んできたのが高崎少年だったことは、俺にとっても不幸中の幸いだったのかもしれない。

「でもさ、柳川マジみたいだぜ?」
「そうか」
「アンタには何もしなくても、雛姉に何かするかもしれないから、目、離すなよ」
「雛ちゃんに、ねえ……」

一瞬考え込むように顎に手を当てた時政は、すぐにプルプルと首を振った。
困ったような、気づかなくてもいいことに気づいてしまったような、そんな顔だ。だからこそ時政が今何を考えているのかはよくわかった。

「心配することもないだろ?」
「……そうだな」
「おいっ!」

俺と時政は顔を見合わせて小さく笑うと、目を吊り上げている高崎少年に言った。

「お前はあの雛が、黙ってやられるタマだと思うか?」

ほわほわっとしているようで、何も考えていないようで。
実際は―――――頑固で、人一倍プライドの高い雛。
何かされたら、倍以上で返すだろう。
頭がいい分、それはえげつなく、的確に急所狙いだ。

俺より長い付き合いの高崎少年も、それには思い当たる節があったらしい。
はぁ……と長く、大きなため息と共に、肩を落とす。

「……オレ、柳川の心配した方がよかったかも」

その言葉に、俺と時政は大きく頷いて、苦笑するしかなかった。