- - - 第13話 渡辺くんと赤いリボン 後編 |
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「渡辺雛さん」
「……」
「単刀直入に言います。あたし、渡辺政宗先輩のことが好きです」
「……?」
「聞いてます?」
「……んん?」
「聞いてるんですか!?」
「……ん」
「起きてくださいってば!」
「……んん」
俺と時政が高崎少年と、ちょっとばかり距離を縮めている頃、図書室でこんな会話が繰り広げられていたことを、もちろん俺は知らなかった。
* * * * *
「……で、一体これはどうなってるんだ、『しんしん』」
「オレに聞かれたってわかるわけねえだろ」
「政宗が…知ってるわけねえよな」
「当たり前だ」
「で?」
時政は残った相良へと問いかける視線を送る。
しかし相良は肩を竦めながら、首を横に振るばかりだった。
俺が放課後呼び出されてから、ちょうど一週間がたった日のことである。
いつもの昼休みとは違い、そこには高崎少年と剣道部後輩の中西、そしてもう一人が参加していた。
しかし、この目の前で起こっている事実に、俺は納得がいかずにいる。
「はい、どうぞ♪」
「ん〜……」
「どうですか?おいしいですか?」
「うん、おいしいよ」
「よかったぁ!」
……雛。
なぁ、雛。
頼むから俺にこの状態を説明してくれ。
何でお前と、彼女がそんなに仲良くなってるんだ、なぁ?
まるで餌付けされているかのように、ムグムグと口を動かす雛を、彼女は嬉しそうに見つめている。
おかしいだろ?つい数日前に君は俺に告白してきて、雛には負けないと豪語したんじゃなかったのか?
「おい、柳川」
同じように思ったのだろう、高崎少年は苦虫を潰したような顔で、クラスメイトの彼女に問いかけた。
「お前、どうなってんだよ?お前は渡辺政宗が好きなんだろ?」
「そうよ?」
「なのになんで、そんなに雛姉と仲良くなってんだよ!おかしいだろ!?普通」
「いや、あたしも最初は何かで勝負するつもりだったんだけどね」
赤い漆塗りの箸を持ったまま、彼女は困ったように笑って、雛の顔をじっと見つめた。
いきなり見つめられて、雛はきょとんとしている。
「……っ!もう、もう、どうしようもなく、可愛いっ!」
「……おい、柳川」
呆れたような高崎少年の声を無視して、ぎゅむむ……と彼女は雛を抱きしめる。
抱きしめられた当の本人は、弁当箱を落としそうになって、多少慌てた顔をしていた。
「だって可愛いんだもん!」
「それとこれと一体どういう関係があるんだよ!お前と雛姉はいわばライバルなんだろ!?」
「そうだけど、そうなんだけど……何ていうか渡辺先輩がどうして雛さんを好きになっちゃったのかわかるっていうか……」
「柳川……」
「だって、見てよこの大きな瞳!物を頬張る仕草!寝起きの顔なんてもう、言葉では言い表せない位に、可愛い!」
―――――いや。
わかるぞ、それはものすごくわかる。俺だっていつもそう思ってる。
でもなんでそれを彼女が感じるんだ。なんとなく俺としては複雑だぞ。
大体この状況を、何で普通にお前は受け止めてるんだ。何でそんなに普通に弁当を食ってるんだ、雛ッ!
そんな俺の心の叫びを感じたのだろうか、雛はじっと俺を見つめて返した。
「あのね、マサムネ」
「……なんだ」
「私ね、ポリシーがあってね」
「……ポリシー?」
「『食べ物をくれる人に、悪い人はいない』ってやつなの」
―――――呆然。
雛〜!お前は……ッ!
どこまで行っても食い気か!食い物につられて犯罪に巻き込まれたらどうするつもりなんだ!
「食べ物をくれる人でも悪い人はいるんだぞ?」
「ん〜……でも少なくとも今までお目にかかったことはないし」
「今まで会わなくても、これから会わないなんて言い切れないだろう!」
「でも先のこと考えても仕方ないし」
「少しは考えろ!」
俺の強い口調に一瞬雛はびっくりしたように目を見開いたが、すぐに困ったようにへにゃっと笑った。
ダメだ、わかっているけど受け入れない、って顔だ、これは。
素直なようで頑固者の雛は、完璧に自分が間違っている時以外は、絶対に自分の意見を曲げない。
「怒った?」
「……」
「ねえ、マサムネ」
「……」
だからと言って、俺だって甘い顔ばっかりしているわけではない。
雛は手を伸ばして、いつものように、俺の眉間を突付いてくるが、俺は険しい顔を変えなかった。
大体危険な目に会うのは、俺じゃなくて、お前なんだぞ?少しは気にしろ。
「……だってね、軟骨が」
軟骨?
「コリコリしてたから……」
何の話だ?
困った顔をしているくせに、言っていることが合っていない。
ますます眉間に皺を寄せた俺に、雛もうにゅ、と顔を歪める。
お互い険しい顔をしているが、考えていることは「軟骨」と「コリコリ」のことだけというのが、何とも情けなくはある。
「そんなにおいしかったですか?雛さん、つくね」
「……うん」
つくね?
リボンの彼女の言葉が、俺の頭の中でグルグルと回った。
「今度マサムネのお弁当に入れようかなって」
……軟骨、コリコリ、つくね。
いや、俺の弁当のおかずのためにいろいろと考えてくれることは嬉しいんだが……お前の場合、方向性がずれている。
ようやく雛の考えていることに合点がいった俺は、そのままガックリと項垂れた。
「そう言えば、渡辺先輩。あたしがあげたリボン、持ってます?」
「リボン?」
ああ、いきなり君が俺に結んでいったあのリボンか。
俺はごそごそと制服の上着のポケットを探ると、一応綺麗に折りたたんであった赤いリボンを差し出した。
彼女は満足そうにそれを受け取ると、何故か雛の頭に、まるでカチューシャのようにそのリボンを結んだ。
「うん、可愛い」
「……?」
箸をくわえたまま、雛は目をパチクリしている。
そんな雛を彼女は満足そうに見つめた。
「渡辺先輩、やっぱりこのリボン、雛さんにあげていいですか?」
「……いや、俺はかまわないが」
元々俺が欲しかったわけじゃないし。
と言うより、勝手に君が結んでいったんだろう?
「だからあげます、雛さん」
「……リボン?」
「お近づきのしるしに!」
「う〜ん……でも私、リボンとかつけないよ?」
「何でですか?可愛いし、似合ってるのに」
「でもリボンとかつけてると、皓ちゃんが怒るから」
……皓。
お前、そんな雛のプライベートまで管理してるのか。
皓が外部の国立大学を受験すると聞いた時、微妙に俺は小踊りしたくなったぞ。頼むからもう、とっとと大学に行ってしまってくれ。
「皓兄は雛姉が可愛くなりすぎるのもイヤで、可愛くないのもイヤなんだよな」
「そうそう、あの人我侭なんだもん。さすがよくわかってるわね、高崎ちゃん」
「……だてにあの人と、生まれてから今まで一緒に過ごしてませんから」
あまりにも嬉しくなさそうな高崎少年の肩を、相良は慰めるようにポンと叩いた。
「でも可愛いですよ?ねえ、渡辺先輩?」
「え……?」
言われてマジマジと雛を見つめると、照れくさかったのだろうか、珍しく雛は自分から視線を逸らした。
弁当箱の中のおかずを意味もなくブシブシと箸で刺している。
だからそういう仕草が、俺や高崎少年や、このリボンの彼女の保護欲を増大させるんだ。お前に自覚はなくても。
「まるでプレゼントみたいね、雛が」
そう言って、微妙な雰囲気の漂った俺達を見ながら、相良が苦笑する。
「プレゼント……?」
「そう、ほら、雛自身が誰かへのプレゼントみたい」
雛は相良を目をパチパチさせながら見つめた後、頬の横にかかったリボンの先端を、自分の手でツン、と引っ張った。
幾度かその動作を繰り返した後、不意に俺を見上げる。
「……?」
「じゃあ、あげる」
雛が小さく笑いながら言う。
「全部、マサムネにあげる」
それは―――――俺達の身体を硬直させるのには、充分過ぎるほど充分な言葉だった。
* * * * *
(「負けました」)
リボンの彼女が敗北宣言したのも、無理はない。
あの言葉の後じゃ、苦笑することしかできないだろう。
時政と相良に散々からかわれ、ずーんと落ち込んだ高崎少年と、何故かすがすがしい顔をしていた彼女を思い出しながら、帰り道を雛と二人で歩く。
雛の手には、あの赤いリボンが握られたままだった。
「それ、どうするんだ?」
「リボン?」
「ああ」
いつもの公園に入り、止まった噴水の前に座った雛は、曖昧に笑う。
「結ぶの」
「……って、おい、雛」
雛は俺の手に、くるっとそのリボンを巻きつけると綺麗にリボン結びにした。
また俺に結ぶのか……何なんだ。
しかしそれを雛は満足そうに見つめると、俺の前に立った。
雛は俺が座っているとよくこういう体制を取りたがる。身長差のある俺達が、同じ目線になるには確かにこの方法しかない。
「はい」
「……?」
すると何故か、雛は俺に向かって両手を広げた。
その行動の意味がわからず、首を傾げている俺を、もう一度手を揺らして促す。
「……何だ?」
「ちょうだい」
「……何をだ?」
「マサムネを」
……。
すまん、雛。本当に悪いが意味がわからない。
「お昼休みにね、私をプレゼントしたでしょ?」
「……ああ」
そのことを言われると、とんでもなく照れくさいんだが。
かすかに顔を赤くした俺に、雛は柔らかく微笑む。
「だから、今度はマサムネをプレゼントして」
「……は!?」
「貰いっぱなしはズルいよ?」
「……いや、だけどお前」
「私、マサムネが欲しいな」
意味がわかって言ってるのか!?
雛の場合、わかっていないようでわかっていたりするから、見た目通りとは言い切れない。
あらゆる方向に思考を巡らせている俺を、雛はどこか面白そうな、ちょっとだけ大人びた瞳で見つめていた。
「……くれないの?」
わかったよ、負けたよ。
俺は一つため息をつくと、目の前にある雛の腰に手を回して、軽く抱き寄せる。
雛の顔が目の前で柔らかく微笑んだ。
そのまま俺の首に手を回し、ぎゅむむ、と抱きついてくるその背中をゆっくりと撫でてやると、安心したように身体の力が抜けた。
「……い」
「……?」
耳元で小さく呟く声は、よく聞き取れない。
仕方がないのでそのまま待っていると、少しかすれるような声音で、もう一度雛は口を開いた。
「……マサムネは、誰にもあげない」
―――――ああ。
なんて、わかりにくいヤキモチだろうか。
きっと照れて真っ赤だろう雛の頬は熱い。俺は気付かれないように、目を細めて微笑んだ。
―――――安心してろ。
俺はお前限定でプレゼントになってやるから。
安売りなんて、しないから。
「……やるよ」
「……?」
「雛に、全部やるよ」
コツンと額をくっつけて、俺は大きな雛の瞳を覗き込む。
黒目がちのそれは、少しだけ潤んで見えて。
口唇に触れるぬくもりに安心したような雛を、俺は心から愛しいと、そう思った。
* * * * *
でもな。
「よかったね」
「……何がだ?」
「マサムネも、私も花粉症じゃなくって」
「……」
「くしゃみと鼻水で、キスどころじゃなかったよね、きっと」
……その余韻に俺だって、たまには浸りたい。
キスした直後にそんなことを言われて、俺の中の感動モードは綺麗に霧散した。
ああ、でもそんな雛でも、きっと俺は愛おしい……んだろう。
……たぶん。
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