W渡辺
- - - 第15話 渡辺くんとカフェ・オーレ
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時政曰くピチピチの新入生達の前で、俺が生徒会長の挨拶をしてしばらくたつと、校内は落ち着きを取り戻し始める。
そんな中、なんだかんだと雑用で忙しかった俺も、ようやく普段の生活に戻っていた。

ある日の放課後部活を休んで、生徒会の雑務を淡々とこなしていた俺の耳に、その声が響いたのはかなり突然だった。

「マサムネ〜!!!!!」
「……!?」

思わず持っていたシャープペンを落とした俺は、けたたましい音と共に開けられた扉を呆然と見つめるしかできなかった。
入り口には、ただでさえ大きな瞳に涙をためたまま、雛が立ち尽くしている。
肩で息をしているあたり、走ってここまで来たのはわかった。

不謹慎だとは思いつつも、放課後に雛がこんなに活動的だったことが今まであっただろうか?
……いや、俺の知るかぎりにおいては、こんなことは初めてだ。

「マサムネ〜!マサムネぇ〜!!」
「どうした?」

部屋には他の生徒会の面々もいて、びっくりしたように雛を見ている。
全員、雛と俺が付き合っているのは知っているので、そのことに驚いているわけではなく、あまりにもいつもと違う様子に目を丸くしているようだった。

「雛?」
「オレッ……オレがぁ〜!!」

敢えて擬音語にするならば、雛の歩き方はいつもはとてとて……といった感じなのに、今日はダダダダダ!だ。
急いで駆け寄ってきた雛を受け止めながら、俺は結構冷静にそんなことを考えていた。慣れってヤツだろうか。

「うううぅ……オレが〜!」
「オレ?」
「オレがぁ〜!!」

……すまんが、雛。
全然、理解できないぞ。

しかし前述のとおり、この奇想天外な行動に慣れ始めている俺は、ここでそれを口に出したらますます面倒になることがわかっていた。
なのでそのまま雛の背中を軽く叩いて落ち着かせることに専念する。
それに周りも慣れ始めているのか、それとも皓の教育が行き届いているのか、見て見ぬフリをしてくれた。

腕の中で、時折小さな「オレ〜……」という言葉が聞こえたが、俺はとりあえず綺麗に無視させてもらうことにした。
大体オレってなんだ、オレって。

落ち着いた頃を見計らって、俺は雛を隣の会議室に連れて行き、座らせて目線の高さを同じにした。
こうすると雛はいろいろなことを素直に話してくれることが多い。
でっかくて黒くて無口な男がタイプなわりには、目線は同じがいいようだ。

「オレが出た」
「……?」
「オレが出たの」
「すまん雛、わかるように説明してくれ」

オレオレ言うな。
まるで今流行の詐欺みたいに聞こえるぞ?

「図書館に行く途中に、購買に行ってね」
「ああ」
「自販機で、いちご牛乳を買ったの」
「……そうか」

ちなみに俺はいちご牛乳は大の苦手だ。
あの人工的な甘さが妙に舌に残るのがいただけない。

「確かに……確かにいちご牛乳だったの」
「……?」
「いちご牛乳って書いてあるボタンを押したの!間違いないの!」
「はぁ」
「なのに!なのに!コイツが出てきたんだよ!?よりにもよって、コイツが!」

ズズイッと雛が俺の目の前に差し出したのは、「まろやかカフェ・オ〜レ」と書いてある四角いパッケージだった。
それで俺は雛があんなにも切羽つまった様子で駆け込んできた理由を理解した。

―――――雛は、コーヒーが飲めない。

それはカフェオレであっても例外ではない。コーヒーゼリーすら口にできないのだ。
唯一雛が飲めるコーヒー製品は、風呂屋で売られている瓶のコーヒー牛乳だけらしい。
俺に言わせると、カフェオレとコーヒー牛乳と何が違うのか、さっぱりわからないのだが。

「オレだよ!オレ!」
「雛……わかったから」
「私の……私のいちご牛乳が……オレに!」
「……」

―――――そして、雛はいちご牛乳が大好きだ。

自販機から出てきたそれを見た時の雛の顔が、いやにリアルに脳裏を駆け巡った。
呆然として、その後怒って、そして悲しくなってここまで走ってきたんだな、雛?

「どうしていちご牛乳からオレが出てくるの!?オレが!」
「そりゃ業者が間違えたんじゃ……」
「何で間違えるの!?こんな薄茶色いブツと、あのピンクのパックは全くの別物でしょう!?」

それは業者に言ってくれ、頼むから。
お前は本当に食べ物に関することにだけは、いやに執着が激しいな。

「ひどいよ〜!飲めない〜!!」
「……」
「飲めないよ〜!こんなもの飲めない〜!!」

ブンブンとカフェオレを振り回す雛は、完全に退化していた。まるで小学生のようだ。
俺が時々、本当にお前の頭がいいのかわからなくなるのは、そういう姿をよく見ているからだぞ。

「雛……わかったから落ち着け」
「マサムネ〜……」
「それは俺が飲んでやる。だからもう一回購買に行こう、な?」

これ以上放置すると、雛が床を転げまわって悔しがりそうなので、俺は妥協案を持ち出した。
たまたま一個紛れ込んでいたのかもしれないし、次もカフェオレが出てくることはなかろう。

「でも……」
「次はきっといちご牛乳が出てくるさ」
「……どうしてわかるの?」
「……カンだ」

そう言い放つと、俺は雛の手を引いてとりあえず購買へ向かった。
俺達の会話は筒抜けだったようで、他の生徒会の面々は苦笑しながら俺に手を振っている。
微妙に照れる展開ではあるが、とりあえず雛を落ち着かせることの方が先だ。
まるで雛を引きずるように購買へ向かう俺を、すれ違う奴等が怪訝そうに見ていたが、今はかまってはいられなかった。


* * * * *


最上階にある生徒会室から一階まで階段を下り、別棟立てになっている購買へ入ると、自販機がずらりと並んでいる。

「……あれなの」

その言葉どおり、雛が指差した先には、紙パックのカフェオレといちご牛乳が並んで売られていた。

「確かに右を押したんだよ?」
「ボタンの色まで違うんじゃ、あんまり間違えようもないよな……」

仕方なく俺はポケットから小銭入れを取り出し、チャリンチャリンと金を入れた。
パッとランプが点いて、俺は軽い気持ちでいちご牛乳のボタンを押す。

自販機は、予想通りにガタンと音を立てて。
―――――そして、出てきた商品は。





「……カフェオレ……」





そんなバカな……俺は確かにいちご牛乳を押したはずだ。
その事実に呆然としてしまった俺は、隣に立っていた雛が俯いて、フルフル……と震えていることに気付かなかった。





「バカぁぁぁぁぁーーーーー!!!!!」





その細い体のどこに、そんな力があったのか。
それが怒りに任せた火事場のクソ力というものなのか。
少し後ずさって助走をつけた、雛の渾身の力を込めた飛び蹴りは、見事に自販機の中央部を直撃した。

「!?」

ベコンと凹んだその自販機に俺が言葉をなくしていると、その内部から怪しい音が聞こえてきた。

ギギィ。
ガチャ、ガチャ、ガチャガチャ。

明らかに怪しいその音の後。

ガチャ!ガチャ!ガチャ!

いきなり大量の紙パックジュースがはき出され始めたので、俺は慌てた。
何だこれは!どうなってるんだ!
慌てる俺の横で、力を出しすぎて疲れたのか、雛ははぁはぁと肩で息をしている。
しかしその視線がますます不機嫌そうに鋭くなった。

それもそのはず、後から後から出てくるその紙パックは全てカフェオレで、いちご牛乳はひとつもない。
そもそもこの分では、この中にいちご牛乳はセットされていなかったのだろう。

「ひ……雛……?」
「……いちご」

―――――雛は……俺の好きになった雛は。
いつも眠そうで……ほわほわっとしていて……。
そして……そして……。





「いちごぉぉぉぉぉーーーーー!!!!!」





今度は助走をつけず、雛は思いっきり左足で蹴りを入れた。
ベキッという音の後、商品見本の後ろのパネルの電気がチカチカと点滅して、そして完全に消えた。
はき出されていた商品も、ピタリと止まる。

―――――完全に、壊れた。

「いちご……私のいちご牛乳……」

ペタンと床に座って、本格的にシクシクと泣き始めた雛を、俺は今までとは違う目で見ざるを得なかった。
泣きたいのは俺の方だ。
どうすんだ、これ。

カフェオレを両手一杯に抱えたまま座り込んで、俺はしばらく放心状態になった。


* * * * *


それから購買に行くと目に付く『故障中』の張り紙を見るたびに。
コンビニでカフェオレを目にするたびに。
俺は雛を本気で怒らせることだけはやめようと、固く、固く心に誓ったのだった。