「ああ新撰組」新撰組?新選組?

「ああ新撰組」新撰組?新選組?

 BGM
 
 歌手三橋美智也には、横井弘作詞の『ああ新撰組』と一九六三年の映画・新撰組始末記主題歌『新選組の歌』の二つの持ち歌がありました。と、書きましたが前者の歌の【撰】と後者の【選】は誤植ではありません。ネットの検索をしますと『ああ新撰組』は【撰】表記が多く、『新選組の歌』は【選】の表記が多いようです。映画・新撰組始末記も、子母澤寛の小説・新選組始末記も【撰】【選】の表記が入り乱れており、最近出版された新撰組幹部として大正時代まで生きた永倉新八の本が「新撰組始末記」、もうゴチャゴチャです。しかし、歌の作詞者や小説の著者が題名を付けた時の字は決まっていたのでしょうし、幕末を駆け抜けた隊士組の正式名称がどっちでもいいのか?という疑問が残ります。
 【撰】が<澤→沢>のように【選】の旧字体であれば何の問題もないのですが、【撰】はあまりお目にかからない漢字である上に、現在でも<えらぶ>以外に異なった意味を持つ、異なった漢字のようです。わざわざ珍しい【撰】を撰んだのだからそちらの方に信憑性があるようですが、これはもう、幕末の文書(もんじょ)に頼るほか無いな、と思いました。筆者は原資料は見られませんので、文献を調べましたが、これまたバラバラ。やっと辿り着いた一文が「撰と選はどちらも当時普通に使用され、意味もほとんど同じ。新撰組の正式文書や隊士の書いたものすらバラバラだった」と。つまるところ、どっちでも良いのである・・・??
 これでは、ここまで読まれた方に申し訳ありませんので、もう少し分析を。現在でも【撰】と【選】の字は異なっていて、意味も少し違うと書きましたが、『広辞苑』を見ますと、【撰】の第一の意味は「著わし述べる(書く)」、二番目の意味が「撰(えら)ぶ」、とありますが、その<撰ぶ>は使われた歴史も古く、「勅撰和歌集」や「古今集撰」など、和歌や詩などを撰び編集するという時に使用されたようです。一方【選】は普通に<何でも選ぶ>で、どうやら、厳密な推敲の上で選んだ、という意味では<撰ぶ>のほうが強いようです。
 しかし<撰>は<杜撰(ずさん)>などとも使われ、悪いイメージもあります。この<杜撰>は中国の故事によるとされていますが、<撰>が持つ二つの意味により、故事由来も二つに分かれるという面白いことになっています。一つは<著述>の意味の方で、中国の詩は五言絶句でも七言絶句でも韻を踏むのが鉄則のところ、宋時代の<杜黙>という人の詩の韻律が出鱈目なので、<杜の著述した詩=韻が出鱈目=杜撰>となったという説。二つ目は<詩や歌を撰ぶ>の方で、唐末の<杜光庭>という人物が道家の書五千巻を撰んだが、それが何ともいい加減なものだったので、<杜の撰んだ巻=いい加減な撰=杜撰>となった、とするものです。細道の友人に名前が【撰】という人がいます。<はかる>と読み、まことに素晴らしい名前ですが、巷の解釈が杜撰で、ご苦労があったか、と。
 これらの諸説も、何か怪し気で杜撰だとする説も多く、新せん組の【撰】、【選】を補完するものではなくなっています。新せん組の命名者は、当時京都守護職の会津公松平容保ですが、この佐幕一辺倒の殿様が命名に当たって『この組の隊士は厳密に選んだ精鋭揃いである』という意を込めて【撰】を撰んだのに、隊士の解釈が杜撰だったためゴチャゴチャとなってしまったのが真相、と思いたいですが、如何でしょうか?



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