昭和30年(1955年頃)   
JASRAC No.000-0018-3
ああ新撰組
作詞:横井 弘(C)
作曲:中野忠晴(C)
歌唱:三橋美智也
MIDI制作:滝野細道

(一)
加茂の河原に 千鳥が騒ぐ
またも血の雨 涙雨
武士という名に 生命(いのち)をかけて
新撰組は 今日もゆく

 (三)
 菊の香りに 葵が枯れる
 枯れて散る散る 風の中
 変わる時世に 背中を向けて
 新撰組よ 何処へゆく

(二)
恋も情も 矢弾(やだま)に捨てて
(いくさ)かさねる 鳥羽伏見
ともに白刃(しらは)を 淋しくかかげ
新撰組は 月に泣く
 懐メロ八洲秀章&抒情歌童謡・唱歌
  2007/SEP/01

三橋美智也にはこの「ああ新撰組」のほかに「新選組の歌」(牧房雄作詞、小川隆司作曲、<新撰組始末記>主題歌)という曲もあります。両曲とも歌詞は重厚ですが、メロディーは新選組の歌がテレビ主題歌に合った重い感じに対し、戦前「小さな喫茶店」や「山の人気者」などのシャンソンを歌っていた中野忠晴のメロディーはむしろ軽快ともいえるものです。

  (一)葵の花に吹く 時代の嵐
    乱れて騒ぐ 京の空
    誠の旗に集いつつ 誓う剣は雲を切る
  (二)荊を踏み越えて 大儀の虹に
    憂いて進む 道ひとつ
    今宵も鴨の水荒れて 夢は破れる小夜千鳥
  (三)火筒に草は燃え 300年の
    武運は虚し 鳥羽伏見
    夜明けを前に散り惑う 壬生の強者どこへ行く
                       JASRAC 信託曲No.039-0456-3

<しんせんぐみ>の<せん>は【撰】、【選】のどちらが正しいのか、という疑問が常にあります。どちらの文字も当時普通に使用され、意味もほとんど同じで、新撰組の正式文書や隊士の書いたものすらバラバラだったといいます。ただ<厳密な推敲の上>選んだ、という意味では<撰>のほうが」強いようですが、<撰>は<杜撰(ずさん)>などと使われ、悪いイメージもあります。この<杜撰>は中国の故事によるもので、厳密であるべき<撰>が<杜>という人物の手前勝手な考えから無茶苦茶な<撰集>となってしまった、ということに拠ります。清河八郎などがこの故事を知悉していて『この組の隊士は厳密に選んだ精鋭揃いである』という意味を込めようとしたのであれば、隊士の方が杜撰に<選>の方を使用したことにより曖昧となってしまったということかも知れませんね。この「ああ新撰組」は、横井弘の<撰>の選択に従っています。 
「ああ新撰組」新撰組?新選組?はこちら

【三橋美智也の曲】
ああ新撰組 加茂の河原に 千鳥が騒ぐ  またも血の雨
赤い夕陽の故郷 呼んでいる呼んでいる 赤い夕陽のふるさとが
哀愁列車 惚れて惚れて 惚れていながら 行く俺に
石狩川悲歌 君と歩いた石狩の 流れの岸の 幾曲がり
おさげと花と地蔵さんと 指を丸めてのぞいたら 黙ってみんな泣いてい 
おさらば東京 死ぬほど辛い 恋に破れたこの心 泣き泣き
お花ちゃん お名残り惜しいはお互いさ涙は門出に不吉だよ
おんな船頭唄 嬉しがらせて 泣かせて消えた 憎いあの夜の
古城 松風騒ぐ丘の上 古城よ独りなに偲ぶ 栄華 
達者でナ 藁にまみれてョ 育てた栗毛 今日は買われて
星屑の町 両手を回して 帰ろう揺れながら 涙の中を
北海道函館本線 都遥かに今を発車の ああ函館本線 
北海の終列車 暗い夜霧に汽笛を鳴らし ああ北海の終列車
夕やけとんび 夕やけ空が真赤ッか トンビがくるりと輪を
りんご村から 覚えているかい故郷の村を 便りも途絶えて