昭和31年(1956年)
JASRAC No.000-0122-8
  
哀愁列車
作詞:横井 弘
作曲:鎌多俊與
歌唱:三橋美智也(倶楽部曲目
制作:滝野細道
(一)
惚れて 惚れて

惚れていながら 行く俺に

旅をせかせる ベルの音
辛いホームに 来は来たが
未練心に つまずいて
落とす涙の 哀愁列車

 

 (三)
 泣いて 泣いて
 泣いているのを 知らぬげに
 窓は二人を 遠くする
 堪え切れずに 見返れば
 すがるせつない 瞳
(め)のような
 星が飛ぶ飛ぶ 哀愁列車


(二)
燃えて 燃えて
燃えて過ごした 湯の宿に
うしろ髪引く 灯がひとつ
今宵逢瀬を 待ちわびる
君の幸せ 祈りつつ
旅に逃れる 哀愁列車

 
  懐メロ 童謡・唱歌・懐メロ 八洲秀章&抒情歌 昭和戦前の流行歌・新民謡 昭和戦後の歌謡曲・演歌
   2006/SEP/01
All photoes by Hosomichi

 細道のMIDI倶楽部トップページ1日当り視聴率ベスト30滝野細道へのメール当倶楽部へのメール倶楽部内の曲目全検索
  

三橋美智也は故郷物が多いですが、列車物は、この他に「北海の終列車」「北海道函館本線」「さすらい列車」「機関車物語」などがありますが、なんと言ってもこの「哀愁列車」が代表曲でしょう。いや、売上では「古城」が300万枚のミリオンセラーですが、三橋美智也を彷彿とさせるものとして、この曲が代表曲でしょう、と立川談志師匠も言っております。機関車は、付随する色々なエピソードと相俟って、郷愁をそそるものです。
三橋美智也はレコード売上が1600万枚となっていて、この記録は昭和の歌姫美空ひばりも破れない大歌手ですが、ホテル三橋を作ったり実業のほうに力を入れ、紅白歌合戦も自ら降板するなどしました。そうでなければ、美空ひばりを凌ぐ大歌手でありつづけただろう、というのが、これも立川談志師匠の話。当倶楽部では、「古城」「リンゴ村から」「おんな船頭歌」「おさげと花と地蔵さんと」「赤い夕日のふるさと」「星屑の街」「ああ新撰組」などをアップする予定です。
作詞の横井弘はこの倶楽部にも「ああ新撰組」あざみの歌」を始めとして「川は流れる」「心の窓に灯を」「さよならはダンスの後に」「下町の太陽」「山の吊橋」などがアップしてあります。また、作曲の鎌多俊與(1913年〜1991年)は、戦前近衛八郎の名前で歌を歌っており、戦後は三橋美智也、春日八郎に曲をつくりました。一時、同じ1913年生まれの細川潤一と戦前の「ああ我が戦友」(作詞:林柳波、作曲:細川潤一、歌唱:近衛八郎=鎌多俊與)で接点があり、細川潤一=近衛八郎=鎌多俊與と間違っていましたが、別人であることが判明しました。
 


【三橋美智也の当倶楽部内のアップ曲及び予定曲】

三橋美智也の曲
曲  目 作  詞 作  曲 歌 い 出 し
ああ新撰組 横井弘 中野忠晴 加茂の河原に 千鳥が騒ぐ  降るは血の雨
哀愁列車  横井弘  鎌田俊與  惚れて惚れて 惚れていながら 行く俺に 
赤い夕陽の故郷 横井弘 中野忠晴 呼んでいる呼んでいる 赤い夕陽のふるさとが
石狩川悲歌 高橋掬太郎 江口浩司 君と歩いた石狩の 流れの岸の 幾曲がり
俺ら炭鉱夫  横井弘  鎌田俊與   俺らはナー生まれながらの炭鉱夫身上は鶴嘴 
おさげと花と地蔵さんと 東条寿三郎 細川潤一 指を丸めてのぞいたら 黙ってみんな泣いてい 
おさらば東京 横井弘 中野忠晴 死ぬほど辛い 恋に破れたこの心 泣き泣き
お花ちゃん 矢野 亮 吉田矢健治 お名残り惜しいはお互いさ涙は門出に不吉だよ
おんな船頭唄 藤間哲郎 山口俊郎 嬉しがらせて 泣かせて消えた 憎いあの夜の
古城 高橋掬太郎 細川潤一 松風騒ぐ丘の上 古城よ独りなに偲ぶ 栄華
達者でナ 横井弘 中野忠晴 藁にまみれてョ 育てた栗毛 今日は買われて
星屑の町 東条寿三郎 安部芳明 両手を回して 帰ろう揺れながら 涙の中を
北海道函館本線 藤間哲郎 桜田誠一 都遥かに今を発車の ああ函館本線
北海の終列車 高橋掬太郎 中野忠晴 暗い夜霧に汽笛を鳴らし ああ北海の終列車
夕焼けとんび 矢野 亮 吉田矢健治 夕やけ空が真赤ッか トンビがくるりと輪を
りんご村から 矢野 亮 林伊佐緒 覚えているかい故郷の村を 便りも途絶えて