昭和30年(1955年)          JASRAC No.019-0150-8
カスバの女

作詞:大高ひさを
作曲:久我山 明
歌唱:エト邦枝(えとくにえだ)
MIDI制作:滝野細道
 
   カスバの女 Illustration by Hosomichi

 

(一)
涙じゃないのよ 浮気な雨に
ちょっぴりこの頬 濡らしただけさ
ここは地の果て アルジェリヤ
どうせカスバの 夜に咲く
酒場の女の うす情け

(二)
歌ってあげましょ わたしでよけりゃ
セーヌのたそがれ 瞼の都
花はマロニエ シャンゼリゼ
赤い風車の 踊り子の
いまさらかえらぬ 身の上を

 (三)
 貴方もわたしも 買われた命
 恋してみたとて 一夜(ひとよ)の花火
 明日はチェニスか モロッコか
 泣いて手をふる うしろ影
 外人部隊の 白い服

 
懐メロ  童謡・唱歌  八洲秀章&抒情歌  *10/MAR/28 「細道のMIDI倶楽部」TOPへ

【カスバ】アルジェリアやモロッコなど北アフリカ地中海沿岸諸国のカサブランカやアルジェ、チュニス、
ラバトといったアラブ都市中心部は、通りから通りへ街から街へと高い城壁ようの壁で迷路状とな
っていて、一番奥の到達が困難なところにカリフやスルタンなどの城館があったわけですが、これは
他部族や盗賊の侵入を防ぐ、いわば日本の古い城下町のようなものだったようです。城館を取り
巻くように市街地があり、その外側に高い城壁が張り巡らされ城郭都市となっていて、これが<カ
スバ>と呼ばれました。
近年カスバの周りに一般市街地ができ大都会となっています。この北アフ
リカ地中海沿岸諸国はスペインやフランスなどの植民地だった歴史があり、また第二次世界大戦
の時には枢軸国と連合国の間で諜報・防諜合戦の舞台となりました。特に<砂漠の狐>と呼ば
れた独乙ロンメル機甲師団と連合国パットン戦車軍団の熾烈な戦いは有名ですが、これが大戦
中や近代、麻薬、売春、諜報防諜合戦渦巻く舞台となり、この有様を歌ったのが、この「カスバの
女」、というわけです。エト邦枝(えとくにえだ、1916年(大正5年)〜1987年(昭和62年)、本名:
笠松エト)は浅草出身で、昭和22年、宇佐美エトとしてコロムビアからデビューしましたがヒットに恵
まれず、昭和30年に「カスバの女」を吹き込みましたがこれもヒットせず仕舞い、昭和42年緑川ア
コがカバーしてやっとヒットに繋がりました。久我山明(くがやまあきら、孫牧人(ソン-モギン)1913年
4月23日〜1999年1月9日)は、韓国慶尚南道出身の作曲家で、1952年来日し、「ハワイの夜」
やこの「カスバの女」を作曲し、1958年に帰国しました。帰国後、音楽著作権協会、韓国作曲家
協会を設立し初代会長をつとめました。
大高ひさをの曲は「君忘れじのブルース」、「銀座の恋の
物語
」があります。
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