【早乙女光】 早乙女光(さおとめひかる:1904年1月27日〜1944年5月7日推定)は、映画音楽の作曲者で、1934年(昭和9年)6月28日の松竹蒲田映画<隣の八重ちゃん>の作曲以来1944年(昭和19年)4月13日の松竹大船映画<女性航路>まで52本の映画音楽を作曲しているようです。亡くなったのが1944年5月7日と推定されていますので、最後の映画音楽作曲直後に40歳で逝去したことになります。”アラウンド40”で応召というのも考えにくいのですが、それだけ戦局が厳しかったのでしょう。同年4〜5月頃春浅い満州で、<作曲家>と自称する<早乙女光一等兵>に出会った人がおり、その人は終戦後シベリアに抑留されて命からがら帰還したようですが、<早乙女一等兵>も一緒に抑留されたものと思って、探していたようです。以上の経緯を考えますと、作曲家早乙女光は、映画音楽などに一番充実していた39〜40歳時に応召し、満州に送られ、いくらも経たないうちに死亡(戦死かどうかは不明)したものと思われます。この大ヒット曲「古き花園」と「湖畔の乙女」「荒野の夜風」を残して・・・ |