大正2年(1913年) JASRAC 067-0300-3 |
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浜辺の歌 | ||
作詞:林 古渓(PD) 作曲:成田為三(PD) MIDI制作/編曲:滝野細道 |
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湘南海岸の朝夕 ©Hosomichi | ||
(一) あした浜辺を さまよえば 昔のことぞ しの(偲)ばるる 風の音よ 雲のさまよ 寄する波も 貝の色も |
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(二) ゆうべ浜辺を もとおれば 昔の人ぞ しの(偲)ばるる 寄する波よ 返す波よ 月の色も 星の影も |
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成田為三の故郷の能代海岸「浜辺の 歌」を作曲したといわれる↓ |
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(三) はやちたちまち 波を吹き 赤裳(あかも)のすそぞ ぬれひじし やみし我は すでに癒えて 浜辺の真砂(まさご) まなごいまは |
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*2006/SEP/01 「浜辺の歌1」はこちら |
この「浜辺の歌」に3番があることはつい最近まで知りませんでした。「浜辺の歌1」は2006年に配信しておりますので、MIDI倶楽部を管理しながら2年以上も知らなかったことになりますので何とも、いやはや・・・・・ただ、理由は単純です。この<細道のMIDI倶楽部>にアップする曲は、当初は細道が基本的にメロディーはもとより一番の歌詞は全部記憶しているものに限定されており(現在はメロディーを知っているかどうかとなってきましたが)、「浜辺の歌」は3番に接する機会ががなく、2番までと信じ込んでいた、ということに過ぎません。最近、トシとともに思い込みが激しく、随所に思い違い、記憶違いの箇所(楽譜の間違いもあり)が散見されますので、ネットなどで見直ししている中で発見したものです。記憶に頼り過ぎてはいけませんね。 いままで細道のアンテナになぜ掛からなかったか?これも単純で、戦前戦後を通じて、私の周囲の環境に3番の存在を示すものがなかった、というに過ぎません。また3番の歌詞は1、2番と<疾風>のように突然懸け離れていて、しかも誠に難解で、背景が分らなければ理解し得ないところがあり、戦後の唱歌としては削除されてしまったのでしょう。ネットで検索しますと、3番は幾多の変遷があり、現在の詩に落ち着いたようです。 意味は難解で全部漢字表記したほうが分り易いでしょう。 (一) 朝(あした)浜辺を 彷徨(さまよ)えば 昔の事ぞ しの(偲)ばるる*1 風の音よ*2 雲の様(さま)よ 寄する波も 貝の色も (二) 夕(ゆうべ)浜辺を 廻(もとお)れば 昔の人ぞ しの(偲)ばるる 寄する波よ 返す波よ 月の色も 星の影*3も (三) 疾風(はやち)*4忽(たちま)ち 波を吹き 赤裳(あかも)*5の裾(すそ)ぞ 濡れ漬(ひ)じし*6 病みし我は 既に癒えて*7 浜辺の真砂(まさごorまなご)*8 愛子(まなご)*9今は 【解説】 *1:『偲ばるる』 一般の楽譜には<忍ばるる>という表記が普通。原典は「しのばるる」と平仮名だったらしいが、<忍ばるる>は<耐え、我慢(または姿を隠す)するのだろう>の意だから、完全に誤植なので、当倶楽部では敢えて「しの(偲)ばるる」と記載した。 *2:『風の音よ』 一時正式に<風よ音よ>とされていたそうだが、原典のとおり「風の音よ」に戻されたとのこと。 *3:『星の影』 「影」には<光>、<物の姿・形>の意もあり、<星影>は<星の光り>の意。<月影><火影・灯影>も同様。<影を慕いて=影を慕いて>や<彼の君影もなし=高原の旅愁>の<影>は<姿・形>の意。「星影のワルツ」参照。 *4:『疾風』 「疾風=つむじかぜ」は通常<はやて>と読む。<追風に帆掛けて=おいてにほかけて>も同様だが、ここでは<はやち>。<東風吹かば=こちふかば><東風平=くちんだ>のように<ち>と発音する場合も多い。ちなみに、<南風=はえ>、<西風原=にしばる>、<北風=きた>などとも言う。 *5:『赤裳』 {あかも」の<裳>は大辞林には<裳=女性の装束で、表着(うわぎ)や袿(うちき)の上に、腰部から下の後方だけにまとったもの>とあり、一字でも<もすそ>とも読む。 俗にいう<赤い腰巻>は同じ様態でも、着物女性の下着のことである。 *6:『濡れひじし』 古渓の原典では「ぬれもひぢし」となっていたらしい。しかし、広辞苑には<ぬれひず=濡れ漬づ、濡れてびっしょりになること、→ひじ参照>とある。見出し語が<ぬれひず>で漢字表記が<濡れ漬づ>というのも妙だが、<ひず=漬づ・沾づ・・・>とある。<ひじ>とするか<ひぢ>とするか難しいところである。1・2番で旧仮名使いをしていたら<ひぢし>であり、現代仮名使いを採用していたら<ひじし>となるのが妥当か。 *7:『既に癒えて』 <すでに>の部分は出版楽譜では<すべて>となっていた時期(大正7年~昭和13年)があったらしい。<すべて>には<総じて・おおよそ>の意味もあるので全くの間違いとも言えないが、苦しい。ここは原典の<すでに>を変える意味が無い。 *8:『真砂』 <まさご>は<まなご>とも表記され、実際古渓の原詩には<真砂(マナゴ)>とされていたという。意味は五右衛門の辞世の句 ♪石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ♪ のように白いサラサラした砂のことであるが、*9との関連で、これをわざわざ<マナゴ>と読ませる作者の主旨が分らない。 *9:『愛子』 <まなご>は<いとしご>の意だが、前項との関係で<重ね詞>とする意味がわからないとする記述があるが、同感。 (参考文献:二木絋三氏の浜辺の歌蛇足、成田為三Wikipedia、音楽館など) |