ハバロフスク小唄 | |
作詞:鈴木克東 作曲:島田逸平 |
歌唱:林伊佐緒 MIDI制作:滝野細道 |
(一) ハバロフスク ラララ ハバロフスク ラララ ハバロフスク 故郷(くに)は遥かな 雲の陰 いつの日に妻や子と 逢えるやら 男泣きする 夢ばかり |
(三) 風が吹く ラララ 風が吹く ラララ 風が吹く 何処へ行くやら 渡り鳥 丘越えて飛んでゆく 影見れば 俺もなりたや あの鳥に |
(二) 抱いている ラララ 抱いている ラララ 抱いている 可愛い坊やの この写真 朝も夜も幾度か 眺めては つらいノルマも 笑い顔 |
(四) 待っててね ラララ 待っててね ラララ 待っててね やがて帰れる その日まで あの山をこの川を 後にして 早く行きたい 故郷(くに)の空 |
*10/JAN/18 | |
「ハバロフスク小唄」:終戦直前にソ連が日ソ平和条約を一方的に解消し、満州に侵攻してきて、終戦時多数の日本兵を捕虜としてシベリアに連行しました。これが<シベリア抑留>と呼ばれ、強制労働に就かされました。この歌の二番にある<ノルマ>が課せられ過酷な労働となりました。極東シベリアのハバロフスクにも沢山の兵が抑留されましたが、その間、捕虜たちの間で誰からとも無く歌われだしたのが、「異国の丘」や「ハバロフスク小唄」などの望郷の歌でした。現地で多くの人が亡くなりましたが、生きながらえた人々が復員してきて、その人たちと共に、望郷の歌も帰還してきました。「異国の丘」も最初は誰が作ったものか分かりませんでしたが、後にシベリアから復員してきた吉田正のものとわかり、レコード化されました。この「ハバロフスク小唄」の場合も作詞作曲とも分かりませんでしたが、シベリアに抑留されていた米山正夫が採譜していました。米山正夫は帰還直後の昭和22年に「山小舎の灯」を近江俊郎に提供しており、コロムビアレコードも「ハバロフスク小唄」の作者が特定できなかったので、野村俊夫に作詞を依頼し、野村俊夫作詞、米山正夫採譜、近江俊郎唄、でレコードリリースしてしまいました。しかし販売開始していくらもしないうちに、この歌の原曲がキングレコードの島田逸平作曲、林伊佐緒唄の「東京パレード」の替え歌であることが判明し、コロムビアは慌てて回収したのですが、すでにヒットしてしまっていました。そこで改めてこのような形になりましたが、その後元歌の関係者であった林伊佐緒により、キングレコードから発売されたのが、この「ハバロフスク小唄」です。メロディーは原曲と全く同じですが、歌詞/編曲は全く違うものです。 鈴木克東については検索してもあまり出てきません。藤田まことや楠木トシエが歌った「スチョチョン節」「女心はこんなもの」などがあるようです。 |