鶴岡雅義は石原裕次郎の歌った「二人の世界」を作曲した時、レキント・ギターの伴奏をつけ、それが斬新な曲想となって、衝撃をあたえました。その翌年の1966年、<鶴岡雅義と東京ロマンチカ>を結成し,1968年に三条正人をリードボーカルとして、「小樽のひとよ」を大ヒットさせました。<ロマンチカ>の命名は、ロマンチック・レキントの先駆、ロス・パンチョスをイメージしたものであると思います。 <君>というのは<彼の君>などのように、かつては女性が恋人をさして言う言葉で、男尊女卑のイメージを引きずったような感覚がありましたが、昭和30年代から同一目線で、主として男性どうしで使用されるようになり、歌謡曲からは女性の言葉としては消えました。 |