「蘇州夜曲」と張継の<楓橋夜泊>

「蘇州夜曲」と張継の<楓橋夜泊>

「蘇州夜曲」
 
 詞:西条八十 曲:服部良一 唄:渡辺はま子/李香蘭

 (一)
 君がみ胸に抱かれて聞くは 夢の船唄鳥の唄

 水の蘇州の花散る春を 惜しむか柳がすすりなく
 (二)
 花を浮かべて流れる水の 明日の行方は知らねども

 今宵映した二人の姿 消えてくれるないつまでも
 (三)
 髪にかざろか口づけしよか 君が手折りし桃の花

 涙ぐむよなおぼろの月に 鐘が鳴ります寒山寺


 
楓橋夜泊   張継

 
月落烏啼霜満天 (月は落ち烏が啼いて霜は天に満ちている)
 
江楓漁火對愁眠 河岸の楓や漁火が半睡の目に遠く見える)
 
姑蘇城外寒山寺 (姑蘇城壁の外にある寒山寺の)
 
夜半鐘声至客船 (真夜中を告げる鐘の音が旅の宿の船にまで聞こえてくる)

 上掲の二つを比べて見ると、<楓橋夜泊>の主人公が詩人の張継その人であるとすると、「蘇州夜曲」の主人公は張継とともに客船に同乗している姑娘(クーニャン)で、彼女の側から<楓橋夜泊>の風景を夢うつつの内に見たのが「蘇州夜曲」の光景であるといえる。西条八十が昭和14〜5年の日中戦争の最中に蘇州に行ったかどうか定かでないし、それ以前の安全な時代に訪中していたかも定かではない。しかし、詩人が憧れの中国詩人の古詩をベースにしてこの「蘇州夜曲」を作詞したのは明らかである。
 先ず、一番にある♪夢の船唄鳥の唄♪の<鳥>の部分である。この曲は<夜曲>を標榜しているからには<夜>の光景であろうし、現に<今宵><おぼろ月>など夜半を思わせる言葉がでてくる。しかるに、<鳥の唄>とはどうしたことだろう?夜半に鳥が唄うだろうか。梟(ふくろう)くらいなものじゃあないか?あまりにも唐突である、というわけかあらぬか、<鳥の唄>のところは作詞者も知らないうちに、<恋の唄>となってしまった経緯がある。筆者も間違いなく<恋の唄>と記憶していた。しかし、この風景上のインバランスこそが作詞者が張継の詩をベースにしていたことを如実に物語っている。すなわち、<鳥の唄>こそ原詩の<烏啼>に呼応するものであって、<鳥の唄>でなければならない所以である。<カラスの啼き声>では<君がみ胸に抱かれて聞く>には到底そぐわないので<烏→鳥>としたものである。そこまで言わなくとも、西条の<涙ぐむよなおぼろの月に 鐘が鳴ります寒山寺>は張継の七言絶句の最終節、<夜半鐘声至客船>そのものであるが、<鳥の唄>のインバランスがなければ、歌全体を張継の<楓橋夜泊>をベースにしたとは言い切れない。「蘇州夜曲」と<楓橋夜泊>の最大の相違は、前者が恋の舞台に春爛漫の季節を持ってきたのにたいし、後者が旅の寂寥を表わす秋を描いていることであろうか。
 しかし、とまた言う。この<烏啼>を<カラス啼き>とするには異論がある。
先ず、カラスは早寝早起きの鳥で、♪カラスと一緒に帰りましょ♪と童謡「夕焼け小焼け」にもあるように、日暮には帰巣してしまう。また、明けガラスは、夜も明けやらぬうちに早起きして来る。じゃあ、<夜烏>という言葉があるじゃないかと問われるが、<夜烏>は夜啼くカラスとは違った不吉な意味に使われたり、他の鳥の夜中の鳴き声を夜烏と呼ぶ場合がある。真夜中に<ゴアー>と啼くゴイサギは別名夜烏という。また同様真夜中に恐ろしげな声で啼くトラツグミは漢字そのものが<>である。ほかに真夜中に啼く鳥と言えば夜鷹(ヨタカ)、時鳥(ホトトギス)、郭公(カッコー)、梟(フクロウ)、木菟(ミミヅク)などに限られ、烏は真夜中には啼かないとされたものだ。それでは張継の<楓橋夜泊>の第一節目は<月落烏啼霜満天>(月は落ち烏が啼いて霜は天に満ちている)と言いながら、最終節の<夜半鐘声至客船>(真夜中を告げる鐘の音が旅の宿としている船にまで聞こえてくる)、と真夜中に烏が啼いていると言っているではないか、矛盾しているではないか、という疑問が上がるのは当然のことだ。これには、この詩共通の解釈があって、<浅い眠りの中で、カラスの啼き声を聞いたようである。周りを見ると月もすでに西の山に沈んで、夜明けの霜が天空を包んでいるがごとくだ。ああもう夜明けかと思って眠い目で見たら、まだ真夜中に漁をする漁火が遠く点々と見えるではないか。その時、寒山寺の真夜中(12時)の時を告げる何打ち目かの鐘の音が船に響いてきた。あっ、烏の啼き声と思ったのは、鐘の音であったのか。>というものだ。多少コジツケ気味ではあるが、解釈は通っている。西条八十はそこまで裏読みをしなかったので、トラツグミでもゴイサギでもカラスでも、<夢の船唄>に付けて<鳥の唄>としたのであろう。
 先ほど、この<烏啼>を<カラス啼き>とするには異論がある、と書いたが、上記は大した異論ではない。辻褄合わせの為に、ネボケて間違ったではどうもしっくりいかない、という人たちがいて、この<烏啼>は<カラス啼き>ではなく<地名>だとする説がある。この中心人物が大河小説「大菩薩峠」作者の中里介山である。介山は<三国志>や<水滸伝>などを取材しようとしたこともあったろうが、蘇州にも滞在してこの<烏啼>が地名であることを確かめようとしている。その結果、@姑蘇城外の城ではなく、楓橋(張継の時代には無かったが)から西方に古城跡があり、古くは烏啼城という廃城があった。A江楓漁火から判断して時期は中秋の名月頃と思われ、<月落>と<夜半鐘音>は月の位置が矛盾する。B太湖畔沿いの運河のため、真夜中でも靄とも霧とも霜ともつかぬものが満天を覆うこともある、と主張する。意味は、<落ちる>と言うのは沈んでしまうのでは雅風も何もなく、<その方面に落ちかかって天空に浮いているさま>であるとし、<烏啼城跡方面に朧月が落ちかかり・・・>と解釈するのである。
 前者は、ネボケた上のコジツケとは、と言われ、後者は、情景描写的に過ぎ物語的立体感に欠ける、といったところだろうか。どちらにしても、蘇州夜曲のムードとは関係ないことである。


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